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これまでの事例を「踏み台」にして、研究のあり方を考える

先週の教職大学院の演習(担当教員が複数入ったグループゼミ)での実践論文読み合わせ。
某大学の紀要に掲載された「学級経営」をテーマにした論文だが、いろいろとツッコミどころがある(あえてそういうものを選んだ)。実際、演習の場でも、

「□□の手立てを講じた結果、○○が向上しました、とするのは、間をすっ飛ばしすぎじゃないの? ○○に影響を与えるものなんて他にもいろいろ考えられるのに」
「例証として出しているノートの記述、本当にここからそんなこと言えるのか疑問。正直、バラバラにして示されたら、どれがどのケースの例か、結びつけられる気がしない」
「アンケートの結果を数値化し平均を出して『○○値』にして論文の要にしているところがよく分からなかった。『質的研究』って言ってるけれど、そうなの??」

など、手厳しいコメントが飛ぶ。

一通り済んでから、ちょうど「学級経営」をテーマに課題研究に取り組みたいというM1の学生がいるので、「どう?」と尋ねたところ、彼女いわく、
「不安になっちゃった…」
自分自身、「学級経営」というテーマでどのように研究が進められるか、イメージが持てなくなったらしい。

酷なようではあるが、問題を抱えたこうした過去の事例との直面は、大事なことでもある。
これを経ないままだと、自分も同じことをやってしまいかねないわけだから。

彼女も他のゼミメンバーも、この論文の問題意識ややろうとしていること自体の意義は認めている。
ただ、学級経営は、中長期的に捉える必要があるうえ、からむ要因も複雑であるため、研究として成り立たせるのが難しい。何を焦点にしてどんなアプローチで迫るのか、工夫が必要。
いや、これは特に学級経営というテーマに限った問題ではない。多かれ少なかれ、他のテーマの院生らも、実践研究を進めるうえで、似たような問題に直面する。

だからこそ、こうした過去の例をいわば「踏み台」にして、どうやったら意味のある研究を行えるか、さまざまな実践研究の例に触れながら、じっくり考えてほしいなあと思う。
私が見る限り、これは、教職大学院(本学に限らず)において往々にして欠けている部分。そのため、同じような問題をもった「研究」が繰り返されてしまうのだ。

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