別所隆弘

フォトグラファー, 文学研究者。滋賀、京都を中心とした”Around The Lake…

別所隆弘

フォトグラファー, 文学研究者。滋賀、京都を中心とした”Around The Lake”というテーマでの撮影がライフワーク。 Twitterはこちら https://twitter.com/TakahiroBessho

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    日経COMEMOは、様々な分野から厳選した新しい時代のリーダーたちが、社会に思うこと、専門領域の知見などを投稿するサービスです。 【noteで投稿されている方へ】 #COMEMOがついた投稿を日々COMEMOスタッフが巡回し、COMEMOマガジンや日経電子版でご紹介させていただきます。「書けば、つながる」をスローガンに、より多くのビジネスパーソンが発信し、つながり、ビジネスシーンを活性化する世界を創っていきたいと思います。 https://bit.ly/2EbuxaF

  • 『写真で何かを伝えたいすべての人たちへ』のご感想

  • 闇の先へ

    新著執筆の副産物。精神の水面下で切り捨てられた言葉たちの墓場。

  • 「写真と文学」 - 世界を視るメディア

    2017年初夏からインプレス社刊行のデジタルカメラマガジンにて連載していた12回分の記事をまとめたマガジンに、その後似たようなテーマで書いた文章を追加してます。

  • SNS時代の表現

    SNS時代の表現について書いた自分の文章を集めたマガジンです。

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    写真で何かを伝えたいすべての人たちへ

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    地元写真家がいちばん見せたい にっぽんの絶景

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SNS時代における「表現のコモディティ化」

今回の文章は、この2年ほど色々書いてきた「SNS時代の表現」というテーマの、現状におけるまとめみたいな話になります。最初に要旨を書くと、たった一文でまとめられます。それはこういうことです。 SNSにおける情報伝達の超高速化によって引き起こされる「表現のコモディティ化」に、我々はどうやって抗うのか。 この場合のコモディティ化とは、「ある表現が瞬く間に代替可能品で溢れかえるようになること」を指します。つまりSNS時代、特に今後5Gが整備され、情報伝達がさらに加速化し、空間の距

    • すべてを肯定するために(あるいは『写真で何かを伝えたいすべての人たちへ』が目指す場所)

      カミュの本「シーシュポスの神話」は、多分10代から20代の僕にとって最も大きな影響を与えた本だったと思う。尖りまくってすべてを否定し、薙ぎ倒そうと思っていた10代の僕は、カミュがこの神話の最後に書いた「すべてよし(tout est bien)」という一言、そしてそれを体現した「いまや、シーシュポスは幸福なのだと思わねばならぬ。」という一文に出会って、世界への見方がガラッと変わった。 神の罰によって、永遠に岩を山の上に運び続ける(しかも頂上に着いた途端に岩は地上に転がり落ちる

      • 新著『写真で何かを伝えたいすべての人たちへ』 発売!

        明日3月19日、この一年ほどかけてじっくりと進めてきた久しぶりの単著『写真で何かを伝えたいすべての人たちへ』が発売になります。今日はその内容のご紹介をしたいなと。ちょっと長くなるかも。できるだけ短くしたいのだけど。 実はすでに早い地域ではポストに届き始めているようで、おそらく全国の本屋さんでもそろそろ並び始める頃だろうなと思っています。著者としては、いよいよという気持ちではおりますが、一方において、一番大変な「書く作業」が終わっているので、なんというかとても晴れやかで気楽な

        • 「君たちはどう生きるか」を初めてみた夜の殴り書き

          宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」がアカデミー賞の長編アニメーション賞を獲得した。この映画に関しては、公開当時にスタジオジブリが一切の情報を出さない状態で封切りされていたため、長く感想じみたことを書かないようにしてきたのだけれど、大きな賞も受賞したことだしそろそろ自主規制も必要ないかなと。と同時に、この映画を見た後の衝撃が、今週末の19日に発売する自分の本を書きはじめた一つの遠い理由になっているということもある。 僕が「君たちはどう生きるか」を見たのは2023年の7月20

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          闇の先へ20

          本の執筆の副産物であるこの断章も、そろそろ終わりを迎えようとしている。2月18日の深夜、俺は著者校正をしている。自分が書いた生の原稿を、編集者が整形してくれたものを、さらに自分の目でもう一度確認する。こうやって一冊の本が世に出る。その最終コーナーを回ろうとしている。俺のできることはもうそろそろ終わりなのだ。 俺は結局闇から抜けられるのだろうか。本の最後で俺は「光」を書いた。迷い続けながら書いた本の最後に、俺は少しだけ光をみつけた気がしたからだ。だがその光はとても淡く、おそら

          闇の先へ20

          1月1日に新NISAで買った個別株と投資信託の内訳と利益を出しつつ、クリエイターに投資を促す投稿

          今回は珍しく記事に課金してます。儲けたいんじゃなくて、たった一月分でも投資の利益を書くってのはあれこれ面倒くさいアレが伴いそうなので、すまんが先を見たい人はちょっと課金してってくださいってことにしました。 あ、読んだ内容とか投稿している画像をXとかinstaとかで言わんといてね。大した儲けでもないけど、やっかまれるのも面倒だし。 で、この下、課金されている部分で書かれているのは 1.まずは一覧のまとめ画像(バナーでぼかしてる部分を明確にした画像) 2. 新NISA開始の

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          1月1日に新NISAで買った個別株と投資信託の内訳と利益を出…

          闇の先へ19

          この「闇の先へ」と題された連続の文章は、今俺が書いている本が書き上がったタイミングで全て非公開になる予定でいる。そして実はもう、ほとんど脱稿している。一つ前の18を書いてから随分間に空いたのは、本の原稿が書き上がったからだ。この文章は、本の原稿の副産物、思考と感情の「澱」と「淀」を記したものだから、必然的に、本体の方が無ければこちら側が生成されないのは理にかなっている。もうそろそろこの「副産物」は消え去ることになる。 本を書いて良かったと思う。この数年自分が考え続けてきたこ

          闇の先へ19

          闇の先へ18

          過去に書いた自分の文章を読んで愕然としている。数年前の俺は、本当に文章がうまかった。今の俺は、明らかに劣化している。その劣化が根本的で不可逆な死への転落の過程の一部なのか、それとも数年間言葉を失っていたことの後遺症がまだ残っているからか、それは俺にはわからない。わからないが、事実は残酷だ。今の俺の文章は劣化している。まずはそれを受け入れなければならない。

          闇の先へ18

          闇の先へ17

          マスクをつける時は、眼鏡で出るようにしてる。吐く息で白く曇る。太陽の方に顔を向けると、古いレンズを太陽に向けた時のように、光が拡散して何も見えない。それでいい。見えすぎて心が圧倒されるよりは、見えない場所で立ち尽くしたい。静かに降り積もる雪のように俺の視界を奪ってくれ。何も見なくて良いように。見たくないものが見えないように。

          闇の先へ17

          闇の先へ16

          それは突然やってくる。頭の中に一気に、まるで溜まったマグマが噴出するようにアイデアが飛び出してくる。今がその瞬間で、忘れないうちに一気にメモに書き終えた。大体がシャワーを出た後なので、髪の毛も乾いてない。が、アイデアは待ってくれない。くしゃみしながら、いくつかのアイデアを形にしてまとめた。 時間を見ると仕事に間に合うかどうかギリギリ。それなのに俺はnoteまで書いてる!それは突然くる、ラブストーリーより突然に。

          闇の先へ16

          闇の先へ15

          Tom Traubert's Bluesが突然車でかかった。人生に疲れた敗残者の歌、と言っていいのかわからない。トムの目線は負け犬でありながら孤高で美しく、負けるということに対する卑屈さがない。ただただ孤独で、夜の闇の中、足を引きずって次の酒を浴びるまでの時間を生きる、そんな人生の負け犬を、酒で焼けた声で美しく歌う。その歌詞が時々ひどく沁みる。涙が出そうになるが、グッと堪える。 今も昔もガンズというバンドが大好きで、高校生の時にNovember Rainという曲のビデオを見

          闇の先へ15

          闇の先へ14

          調子がいい時の俺の文章は、自分で言うのもなんだが、ある種の色気とオーラが漂っているという自覚がある。それはそのようなものとして文体を蓄積してきた俺のこれまでの生き方の結果なのだが、それが自分にもわかるくらいに感じられる時は調子がいい。困ったことにその調子とやらは、いつ何時やってくるかわからない。体調にも連動しない。今日などは、ひどい風邪がようやく峠を越えて、ほんの少しだけ体力が回復した瞬間に思いついたことを書き留めようとしたタイミングで「それ」が訪れた。わずかに回復した体力を

          闇の先へ14

          闇の先へ13

          昨日手元からこぼれ落ちた論旨が、何度か地面でバウンスしている様子を酩酊の中で見つけて、なんとかその首根っこを捕まえて、強引に言葉の海に沈み込ませることができた。そいつは溺れる途中で「まだ早いまだ早い」というのだが、そんなこと知ったことか、俺がいいというのだ。いや、確かに、少し早い気がする。そこに置いてしまうと、言葉がアクロバティック宙返りをしている気がしないでもないが、それはそれでいい。むしろそのジェットコースターのように暴れる言葉たちの不満が、また文章に火をつける。俺はそれ

          闇の先へ13

          闇の先へ12

          浴びるほど酒を飲むことは、明らかに体に悪いことを知っている。しかも先日の健康診断で、どうも俺は長生きできなさそうな体であると分かった以上、多少は労わらねばならないことも知っている。だがそれがどうした?アルコールは大脳に強い悪影響を与えて、人間の理性を司る大脳を徐々に削り取ってしまうらしい。だがそれがどうした?どうせ人は死ぬ、多少の長さの違いはあれども、死ぬ。それなら、この酩酊の中でのみ見える光景に、その数年か数十年分を賭けるくらいの傲慢さは許してくれ。 バッハが轟音で鳴り響

          闇の先へ12

          闇の先へ11

          原田マハの楽園のカンヴァスの一節を借りながら、「嘘」について書こうとした。途中まで論旨がドライブして、跳躍を果たせそうになったその直前、足元がガラッと崩れて、俺の言葉は奈落の底へと落ちてしまい、闇の中で迷子になった。こういうこともある。 前半千文字を書いている途中に見えていた「着地点」は、おそらくはまだどこかに生きているはずだ。ただ、跳躍に必要だったもう一つ間の「中継点」を、俺は多分横着してすっ飛ばそうとして、目的地を見失ってしまった。ただもう、文章の握力は今日は保てない。

          闇の先へ11

          闇の先へ10

          友だちが死んだ。最前線で一緒に戦ってた写真仲間の死は殊更にこたえて、昨日はただただ泣きながら浴びるように酒を飲むしかなかった。悔しかったろう、無念だったろう。いつか、もうちょい先で合流した時、その話をちゃんと聞くよ。冥福を。 6年で俺の心の中にあった異形の牙が抜けてしまった。それを再び再生して研ぎ澄まさなければいけない。歪んで醜い形をしていても、それが俺の強さの源泉だったからだ。6年の間、ただただ踏みつけられ、傷つき、自分が信じられなくなってしまった。牙を折ってしまった。再

          闇の先へ10