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「写真と文学」 - 世界を視るメディア

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2017年初夏からインプレス社刊行のデジタルカメラマガジンにて連載していた12回分の記事をまとめたマガジンに、その後似たようなテーマで書いた文章を追加してます。
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#カメラ

すべてを肯定するために(あるいは『写真で何かを伝えたいすべての人たちへ』が目指す場所)

すべてを肯定するために(あるいは『写真で何かを伝えたいすべての人たちへ』が目指す場所)

カミュの本「シーシュポスの神話」は、多分10代から20代の僕にとって最も大きな影響を与えた本だったと思う。尖りまくってすべてを否定し、薙ぎ倒そうと思っていた10代の僕は、カミュがこの神話の最後に書いた「すべてよし(tout est bien)」という一言、そしてそれを体現した「いまや、シーシュポスは幸福なのだと思わねばならぬ。」という一文に出会って、世界への見方がガラッと変わった。

神の罰によっ

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プレゼンオバケ👻のその実力やいかに

プレゼンオバケ👻のその実力やいかに

友人や仲間たちが僕のプレゼンを聞いてくれることがあると、割と「話すの上手いねえ」とか言われがちなんです。で、何度も言ってるんですが、僕は基本コミュ障で人見知り極まるド陰キャで、こういうプレゼンの能力というのは後天的なもの、特に教員をずっとやってることで培われたものなんで、得意とか才能とかは思ったことないわけです。とはいえ、今回「プレゼンオバケ」という、大変名誉ある二つ名をいただいたので

CP+の

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SNSの罪と罰、あるいはアートの根源は共感ではなく違和感であることを思い出す

SNSの罪と罰、あるいはアートの根源は共感ではなく違和感であることを思い出す

タイトルは大きく書いちゃったけど、そんな大それたこと書くつもりないですよ。とはいえ、最近よく思ってることを書きますね。今日は短めに。

皆さんもご存知の通り、SNSでは日々写真がバズってます。それがもう日常ですよね。でもよく色んなインタビューで話すんですが、5年前は違いました。まだプロのほとんどがSNSで写真をやることを真面目に捉えてなかった時代がありました。その是非はおいといて、そういう時代から

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文学の研究者が10億円調達したスタートアップの外部顧問に就任した件

文学の研究者が10億円調達したスタートアップの外部顧問に就任した件

若干あおり気味のタイトル、すんません。でも嘘は一言も言ってなくて、本日PRが出されました。

そして10億円というのもほんと。10億て。桁数。

というわけで、カメラ界隈の皆さんには既にもうそのサービスは浸透し始めているカメラサブスクサービスGOOPASS、そのコミュニケーションアドバイザーとして、同じくエクスペリエンスアドバイザーを担うGo Ando氏(Twitter: @goando)と一緒に

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写真と文学 第五回 「断片が紡ぎ出す物語」

写真と文学 第五回 「断片が紡ぎ出す物語」

 10年ほど前に公開されたイスラエル映画「戦場でワルツを」の中で、かつて実際にあった心理学実験について語られるシーンがある。こんな実験だ。

被験者に子どもの頃の写真を10枚持ってきてもらう。そして後日、その写真のエピソードを語ってもらう。被験者はそれぞれのエピソードを懐かしそうに語る。ところが、10枚のうち最後の1枚が合成写真に差し替えられている。被験者が行ったことも見たこともないはずの場所、例

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写真と文学 第四回「多重露光、あるいは時の積層としての写真」

写真と文学 第四回「多重露光、あるいは時の積層としての写真」

世界は多重露光で出来ているのではないか。いや、それは言い過ぎだとしても、世界を見ている我々の視線、あるいはその記憶は、多重露光的に構成されているのではないか。そんなことを思ったのは、マーク・トウェインの自伝的旅行記である『ミシシッピの生活』の中のある一節を、大学生のときに読んで以来のことだ。本の中でトウェインは、かつて自らが蒸気船の「水先案内人」として船頭したミシシッピ川を、20数年後に小説家とし

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写真と文学 第一回「そこに風の歌は聴こえるだろうか?」

写真と文学 第一回「そこに風の歌は聴こえるだろうか?」

【承前】
 次回からはこの前置きはなしでいきなり本文に入りますが、noteで初のマガジンを作ります。12回完結です。内容は、2017年から2018年まで、一年間、「デジタルカメラマガジン」で連載した「写真と文学」という記事の全文公開です。デジタルカメラマガジン編集部及び出版元インプレスさんの理解を得て、この12回分の連載記事を公開することが可能になりました。
 この文章、僕にとっては多分、これから

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