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何か目的を達成したいなら、その目的が「結果として達成できるプロセス」を作るのが良い

今日は珍しく教員側の立ち位置でnoteを書きますね。というのも、この時期になると一通り期末試験が終わって、担当していた学生たちから来年度の相談とかを受けがちな時期なんですが、担当の科目的に特によく受ける質問は「どうやったら英語できるようになりますか」なんですよね。あるいは「どうやったらToeicで800点以上とれますか」とか。そういう質問を受けるたびに、がんばって色々お返事するんですが、この手の質問をしてくれた学生たちの大半が、その「目的」を達成しないまま挫折してしまいがちです。その原因は、多分目的だけが前景化されすぎているからだと思うんですよね。

今日書いておきたいのはシンプルな話で、何か目的を達成したいと考えるなら、目的への強い動機だったり意思を持つよりは(勿論それも必要なんですが)、その目的が「結果として達成できるプロセスや状況」を的確に作るほうが、遥かに達成確率が高いということです。

【概論】

英語が最初の例だったので英語で話を続けますが、例えば英語自体は苦手だけど、将来の仕事は海外も視野に含めた商事なんかに勤めたいというような学生さんがいたとします。そういう学生さんの大半は、「Toeicで点数取るのにどの参考書がいいですか」みたいな質問をしがちなんです。外資なんかだとToeicで足切りされたり逆に優遇されたりしますし、そう考えるのも無理はない。でもこの時点でもう大体アウトなんです。目的への最短距離を駆け抜けようと考えた時点で、途中でその「最短距離」の遠さに心折れちゃう

勿論たまには人間離れした鋼のメンタルを持った学生さんというのがいて、本当にある程度の期間、鬼の様な継続的集中力を発揮して、Toeic500点から1年で900点とかいう怪物もたまに見かけます。でも大半は、本を買って1ヶ月くらいで挫折しちゃうんです。これ当たり前で、英語ってそんな簡単に伸びるもんではないからなんですね。勿論ミクロの視点で見れば、1ヶ月勉強したら、1ヶ月なりのわずかな「伸び」は確実にあるんですが、例えばToeic900点!とかいう目的が前景化されすぎると、その目的の巨大さに対する一ヶ月の自分の進歩は本当に僅かに見えて、その相対スケールで考えるとまったく伸びてないかのように感じられてしまうわけです。いくら目的が明確でも、日々神経質に「今日も学べただろうか・・・」とか思ってたら、絶対しんどくて、その摩耗が、継続の意思をある時折ってしまいます

だから僕が大体の学生さんに言うのは、時間があるなら「とりあえず留学したら?」です。時間がない学生、特に三回生後半とか四回生とかだとまた話は別なんですが、一回生二回生にまずプライマリーオプションとして答えるのは「留学」です。これよく「留学しても目的がなければ意味がない」っていうんですが、日本で必死に勉強している勉強量なんて、環境が完全に英語化してしまった時に「勝手に入ってくる英語量」と比べたら微々たるもんです。勿論、完全に最適化した勉強を1日1時間を1年続けられる猛者がいれば、わざわざ無駄も多い留学をする必要なんてないんですが、そもそもそんな猛者は何したって目的達成できるので、汎用モデルとしては機能しません。それは別枠ですね。

さらに大事なのは、その「無駄」も必要ってことなんですよね。行為が最適化されすぎると、それ自体がメンタルの摩耗を招きがちです。「今日は学べなかった!」とか思いすぎると、なんにも楽しくない。そうじゃなくて、例えばアメリカ行って、なんか例えば向こうの学生とちょっと仲良くなって、NY5番街のカフェ行って、とかやってるうちに「結果として膨大に学んでいる」という状況、環境、プロセスルールを作っちゃうほうが、最終的に「あれ、いつのまにかすごい英語できるようになってる」になる確率が高いです。心の冗長性ですね。人間の心は最適化には向いてないです、多分。

というわけで、何かを学びたいとなった時、最も重要なのは、その目的が「結果として獲得できる環境」を上手く作ることができる人がめちゃくちゃ強いわけです。さて、ここからいくつかケーススタディを。

【ケーススタディ1:インドア自転車】

例えば僕は最近日々の運動のやり方を変えました。この数年来、大学の夏休みと冬休みと春休みの期間は、夜に5キロ30分ほど走ってたんですが、最近夏はことさらに暑いし、冬は凍える程寒くて、その暑さ寒さに対する抵抗力が40歳を越えたあたりからものすごく低くなってきました。

加齢とともに段々走れなくなってきて、特に冬の寒さはきつくて今年は冬休みの前半、一度も走れなかったんですね。こりゃいかんなと思った時、Amazonのタイムセールでインドアバイクが特価になってたのをみて「これだ」と思って飛びついてみました。Amazon怖い、脳までハックされてる

で、ここからが「環境づくり」なんですが、多分インドアバイク、そんなに楽しくないはずです。ただひたすら動かない自転車を部屋の隅っこで漕ぐって、どう考えても寂しい。意志の弱い僕はすぐに飽きちゃうだろうってのが100%分かっていたので、何かインセンティブを作らなきゃいけない。そこで思いついたのが、Netflixですよ。タブレットでネトフリで好きなドラマ見ながら自転車を一日30分漕げば、それなりに継続するんじゃないかと思って開始したら、これがビンゴでした。ネトフリだけに、まさにここでも「こんまりメソッド」ですよ。おっさんの切ない自転車こぎの時間が、心ときめく瞬間になったわけですから。

出張で家を空けている時以外は、基本的に必ず毎日30分家で自転車を漕げるようになって、結果としてランニングしていたときよりも、一つ一つの運動の強度は落ちても、一月単位の運動量を比較すると、自転車のほうがずっと運動しているという結果になったんですね。自分の意志力の弱さを計算にいれた環境づくりの例1です

【ケーススタディ2:写真】

例えば写真も似たような経過をたどってます。元々「写真やりたい」って思って始めた時は、一向にうまくならなかったのですぐに飽きちゃったのですが、そんな下手な状態で総額50万円のカメラを買った時、僕は恐怖に慄きました。「なんでこんなカメラ買ってもーたんや・・・」って。約7年前、D800と24-70/2.8をまとめ買いした時ですね。で、「元とらんとあかん」という使命感に駆り立てられて撮りまくってるうちに、その前のカメラで撮影してた枚数なんて2ヶ月程で上回るくらいに撮りまくるようになりました。自分の性格を利用した例2です。

【ケーススタディ3:実はそもそも英語も】

あとは例えば、仕事に上手く組み込むというのもあります。僕は一応英語の教員でもあるわけですが、元々英語苦手なんですね。でもアメリカ文学好きだったので哲学科から英文科に転部して、そこから院に行って、一応がんばって勉強してそこそこ英語できるようになったんですが、大学院出る頃になってもまだ「英語は苦手やなー」という意識は全然抜けないままでした。でもやれることはそれしかないので非常勤で仕事はじめたわけですが、ミーティングが英語なわけですよ。当たり前ですわな、ネイティブの先生たちもたくさんいる学科だし、僕ら日本人の英語教員は「英語できます」みたいな顔で採用されるわけですから。実際できるかどうかはさておき。やべえなあと最初は思いました、だって会議を英語ですよ?俺、できるん?って思ってて、案の定最初の二ヶ月くらいは「やべえ、全然ついていけねえ」って焦ってたんですが、半年ほどしたら普通にミーティングできるようになってるんですよね。結果、大学院の授業で英語プレゼンとかしてた数年間より、半年程度仕事で英語使うほうがよっぽど「英語力」は上がりましたし、もっというと、英語の正確な文法の力も、学生に「教える」ってなった時に、より真面目に勉強するようになりました。だって教えなきゃいけない人間が、中途半端にしか分かってなかったら、伝えられるわけないじゃないですか。で、結果として英語全体の底上げがされたというわけです。これも環境とか立場が「結果として機能した例」ですね。

【結論:結局「繰り返しと量」をどうやって達成するかに尽きる】

こんな感じで、何か目的を達成したいと考える時、その第一目標だけを前景化しすぎると、なんでも辛くなってしまいます。翻って、例えば「すべてを学びにしよう」とか考えたりすると、目も当てられなくなります。それって言い換えたら、「どんなことからも最効率で学び取らなきゃ」という強迫観念になって、全部しんどくなります。そういう風に考えると、例えば写真だって、あるいは映画や小説だって、あるいは英語だってなんだってしんどくなりますわ。そうじゃなくて、それらの行為が結果として繰り返し発生するような環境を作ると、人間は結果として学びます。ものすごく平たく言っちゃうと、すべての学びは結局「繰り返しと量」に尽きるんで、それを発生させるシステムを作った人が、なんでも色々伸びていくという、そういう話でした。


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