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写真に写るものは

大前提として、写真に写るのは、カメラのレンズが向けた先にある光のデータです。これ以上でもこれ以下でもない。もしそれ以外のものが「写る」としたら、それは心霊写真のたぐいじゃないかなと。

ただ、写真に「光のデータ」以上のものが「見えた」としたら、それは多分、見てくださっている人の心の方が写り込んでいる、そのように思ってます。小説というものが、作者の軛を離れ読者のものとして還元され、読者反応批評が一時期大変賑わったように、もともと芸術とは作り手と受け手の2つのプレーヤーの相互交渉として成立します。それを「受け取る」人間がいなければ、あらゆる芸術は成立しない。その意味で、写真にせよ何にせよ、ある作品は作り手と受け手の間の相互交渉によって作り上げられたある種の共謀であるんじゃないかと僕は思っています。

その上で、一度、その関係の片方を担うプレーヤーである「私」について、少し考えていることを今、書いておきます。「私」から見た「あなた」は、いわば仮想的な存在です。もちろん特定の誰かを想定することは出来ますが、「あなた」は基本的には、無個性的で記号的な存在です。一方、あらゆる場面で想定されている「私」というもう一つのプレーヤーについて、我々は極めて固有の「私」を思い浮かべます。僕の場合は僕のことを思い浮かべてしまう。そこから語り起こしてみましょう。

例えば僕は文学が好きです。アメリカ文学と出会ったのは中学2年生か3年生の時で、夏休みの英語の宿題で読まされたヘミングウェイのインディアン・キャンプがきっかけでした。単純にどんな話かまとめると、ある医者とその息子がネイティブ・アメリカンの出産のために集落に行って、お産を助けるという話です。で、そのお産はダブルベッドで行われていて、下の段では妊婦さんがすごい声をあげて出産していて、上の段には出産を待つ夫が寝転んでいる。無事に出産が終わって上のベッドにいる夫に「無事うまれたよ」と声をかけると、夫は自分の首をナイフで掻き切って死んでしまっている。物語の最後、医者の息子のニックが「僕は絶対に死なない」と言うところで物語が終わるという、ほとんど何が言いたいかわからないような小説です。僕はそれに衝撃を受けたんですね、中学生にとってはわからなすぎる話で、その「わからなさ」こそが僕を強烈にひきつけました。全然わからないけど、「確かにこういうことはあるのかもしれない」と思ったんです。そこから意識的にアメリカ文学を読み始めたということです。その前に、イギリス文学には出会ってました。小学校6年生の時に、近くに住んでいた高校生のお兄さんが僕に古い版の『指輪物語』を貸してくれたんです。その指輪物語に僕は酷くはまってしまって、6年生の夏休みの全部を使って指輪物語を読んだのが、多分、いわゆるところの「文学作品」との出会いでした。

その頃、僕はロック音楽にもハマります。最初はBonJoviからスタートというのは、この世代にはよくあることで、その後Guns N RosesやQueen,Led ZeppelinやJudas Priest、WarrantやJimi Hendrix、JanisやBeatlesやMetallicaにドハマリしていた時代でした。まだまだカテゴリ分けが緩やかな時代だったので、あらゆる音楽を楽しんでいて、僕の基本的な性格はこのへんで決定されたようです。写真にはまったく興味がありませんでした。

高校の頃、哲学に出会います。世界史の教師が勧めてくれたキルケゴールの「死に至る病」を読んで、ヘミングウェイの「インディアン・キャンプ」を読んで以来の衝撃を受けました。言ってることが、何一つわからないんです。だって、出だしの文章はこれです。

人間は精神である。しかし、精神とは何であるか?精神とは自己である。しかし、自己とは何であるか?自己とは、ひとつの関係、その関係それ自身に関係する関係である。あるいは、その関係において、その関係がそれ自身に関係するということ、そのことである。自己とは関係そのものではなくして、関係がそれ自身に関係するということなのである。

「何言ってんだこいつ」という言葉を、本当に口に出して言ったのは、人生後にも先にもこの一回こっきりです。読み始めた瞬間、思わず変な笑いが出たのもこの一回こっきり。それまでわりと「読む」ことにかけては自信のあった高校1年のころの僕の天狗の鼻は、あっさりぼっきりと折られました。そして僕はその「わからなさ」に魅せられたわけです。何一つわからないものをわかる/書ける人間がいる/いた、という事実。それがすごく尊いと感じました。そしてできれば、若い間にこれを飲み込めるようになりたい。分からないにせよ、「飲み込みたい」と考えたのが高校のころです。人生のレールが変な方向へと曲がってしまった出会いだったかもしれません。その後哲学科に最初に入ってしまったきっかけは、このあたりだったのだろうと思います。

こうして僕の性質を決める基本要素は、大体において中学高校の頃に決定されました。文学・ロック・哲学です。ここに小学生から習っていたピアノを加えて、バッハやグレン・グールドへの偏愛を付け加えると、基本的な僕の趣味の完成です。

これだけ見ると異様に高尚な感じがしますが、一方ゲームやアニメや漫画も大量に摂取しました。勉強はできるだけ最小限の時間で効果をあげるようにして、コンテンツを自分の内側に取り入れることに必死でした。なんとなく、その摂取した「層」の分厚さが、その後生きる時の何らかの基盤になるとうっすら感じていたからだと思います。多少その時勉強がおろそかになっても、コンテンツを色々分け隔てなく摂取しようと思っていました。

そのあたりのことを全部まとめて書いていたのがブロガー時代です。雑種で雑多。専門はいちおう文学だけど、その基盤を物事を考えるスケールにして、なんでも書いていました。そのようなバックグラウンドのすべてが僕における「私」を形作っている。でも、面白いことに、そのほんの一部分でさえ、写真そのものには映っていない。僕の写真は、それらを意識的に排除した「余白」のようなものになっています。

でも、それを見た卓越した「読者」は、むしろ丁寧に排除された個性の残滓が、ネガの裏にくっついた埃のように、写真の一部に読み取ってくれるかもしれない。このようにして、僕の中の「私」のある部分は、「あなた」によって想像され、創造される。

多分そういう感じで組み上げられる「共同幻想」こそが、芸術じゃないか、写真じゃないかと。人の写真を見た時、僕はそこに、「僕が見た何か」を読み込む。もちろんそれは完全な誤解に過ぎないけど、でもその誤解は作品に別の光を与える。あらゆるものが正解のないまま、幻想の中でいろんな「意味」を組み上げていく。

写真には「光のデータ」しか写らないけど、幸福な写真は、その幻想が組み合わさって大きな「テクスト=織物」を作り出す。僕らが楽しいのは、そういう写真を見たときではないかと思ったりします。

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