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すべての「何かを作ろうとしている人たち」に

文学研究者という職業なのか趣味なのか分からないような作業に従事し始めたのは博士課程に在籍してた頃のことでした。その時僕は20代の後半になったばかりで、研究とは何か新しいものを見つけるための作業だと思っていました。

30代に入った頃、ふと大きな虚脱感に襲われました。村上春樹がかつて、『ダンス・ダンス・ダンス』の中で、雑文書きの仕事を「文化的雪かき」というふうに表現していて、研究者として「さあこれから」という30代の頭のころ、その表現を思い出したのです。自分の人生は盛大な「言葉と概念の雪かきみたいなことしてるなあ」と思ってしまった。その思いはすぐに消えるかと思ったら、喉に引っかかった魚の小骨のように心の隅っこの方に刺さって、時々チクチク痛むようになりました。まるで「お前のやりたいことはこれではないだろう?」とでも言わんばかりに。

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もちろん、これも先に言っておかねばならないことですが、そのような「雪かき」は絶対に必要なことなんです。いつか溶けるからといって、自然に溶けるのを待っていたら、大雪の次の日は学校や仕事にもいけません。村上春樹風に言うなら、誰かが必ず、雪かきをせねばならない、そういうことなんです。そして世界には、雪かきの達人がいますし、雪かきをするという行為自体に強い意味を見出す人もいます。

それは極めて尊い社会への貢献の仕方だと思います。僕もかつて、自分はそういう人間だと思っていました。雪をかいて、わずかながら「地肌」が見えたとき、少しだけ自分の足元が確認できたような、そんな気分になったときも確かにあったことを記憶しています。でもある日、そうではないことに気づきました。自分がやりたいのは「雪かき」ではなかったと。誰も歩いていない道を拓くことがやりたかったんだと。獣道に迷って、その迷った場所に自生している植物や、新たに見える夜空の星の座を自分の目で確認したかったのだと。その過程で野犬に食われるリスクはあるかもしれないけれど、そのリスクさえ愛おしい。

ジャック・ロンドンの『火を熾す』で、主人公は最後、誰もいないシベリアの雪原で凍死します。初めて読んだとき、その静かな静かな死にヒリヒリとした迫力を感じながら、心の片隅で僕は「うらやましい」と感じました。その死に方でなければ、この小説は完成しない。ジャック・ロンドンは、助言を無視して自分を過信したある男の死を描き出しながら、誰も見ていない吹雪のシベリアの夜空を多分幻視したはずです。その感触を僕は羨ましいと思ったんです。

でも残念ながら、研究者としての僕は「雪かき」さえままならない迷走に時間を費やし、かといって斬新な視座で研究を切り開くような潜在能力もなく、次第に僕は自分のやっていることに対して、わずかずつ失望を積み重ねるようになりました。折しも、最初はトントン拍子にうまく行っていた学会への論文投稿も、そうした「失望」が積み重なるにつれて、「採用不可」を連続で食らうようになり、自分自身への失望は更に深まりました。そういうときにたまたま出会ったのが写真だったというわけです。

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写真を初めてすぐにハマったわけではないことは、先日のnoteのクリエイターズファイルでもお話したとおりで、最初の二年は買ったkiss X2を押入れの隅っこに放り込んでおいた程です。ほとんど使うこともなく2年が過ぎたころ、D800という化物みたいなカメラを買いました。家の修繕中にたまたま施工業者がミスをして、その保証に僕は50万円を突然手にすることになったんです。降って湧いたようなお金をどうすればいいか少し考えたあと、もともとなかったお金だから、全額好きに使っちゃおうというのが6年前の僕の決定でした。

そうやって買ったD800だったので、「元を取らなきゃ!」と必死に使っているうちに、ある「気付き」を得ます。今必死に撮影している「これ」は、今まで自分ができなかったことをやっているんじゃないか。写真本を一つも読まず、誰に教えを請うわけでもなく、適当に興味の赴くままにシャッターを切っているうちに、いつのまにか「獣道」を知らず知らずに歩いていることに気づきました。たくさんの天才や秀才たちが、アカデミズムという孤高の塔の上を目指してしのぎを削る場所では発揮できなかった、「誰も知らないことをやってみたい」という行為が、カメラと写真で初めて可能になったのです。人生で初めて、獣道を歩くことができました。そういえば19歳のとき、英語もまともに話せないのに、イギリスを一ヶ月半放浪したことがあります。多分僕は、自分が知らない場所を歩きたかった、ただそれだけだったんだろうと思うんです。

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時々クリエイター、という風に言われもします。写真家とかフォトグラファーという肩書は、「文学研究者」ほどではないにせよ、いささか居心地の悪さを感じますが、クリエイターという単語には少し惹かれます。それがどんなに他の人にとってはつまらない写真であったとしても、今までこの世界になかった何かを、カメラを経由してこの世界に残す行為。何かを「創っている」というのは、僕には本当に尊いことのように思えたんです。だから僕は、人が「作品」として撮影した写真を貶さないと心に決めています。技術の優劣なんて、あまり問題ではないんです。それが「つくられているかどうか」が問題で、そしてつくろうという勇気を持って出てきた作品に対しては、敬意を持ちたいと思っているからです。

多くの領域(例えば経済や政治や学問のような)ではある程度の選別とリソースの配分をしなくてはならず、そのためには何らかの排除原理を採用して、適正に良いものを優先的に選び出さなければなりません。でも、無を作ろうと信じるクリエイターの領域においては、すべてが存在してもいい。その作られたものが、人を毀損するものでないかぎり、全面的に存在が許容される。それが「何かを作ろうとする領域」の基本的な決まりごとだと信じたいわけです。

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クリエイターというのは、この世界に無いものを作り出そうとする人なんだろうと思うのです。この世界に無いものを目指そうとするからこそ、すでに存在して、すでに出来上がっている何物かから見ると、それは稚拙で愚かで無駄な「回り道」をわざわざしているように思えるかもしれません。そしてある意味ではその批判は正しい。クリエーターは21世紀において、何一つ「目新しいもの」をつくることはできないわけです。というのは、大航海時代が終わり、世界が小さくなって以降、基本的に「この世界にないもの」なんて現代には無いんです。世界にはすべてが存在してしまっている。クリエイターが作り出すものも、既存の何かの引用の組み合わせでしか無い、それはロラン・バルトが言う通りなんです。でも、その「既存の組み合わせでしかない何物か」という想定されたテクスト内に収まらないものがこの世界にはまだ存在していると気づいている人々、いや「信じている人々」が、いわゆる「クリエイター」なんだろうと。先日、作家の保坂和志さんがこんなことをおっしゃっていました。

獣道を歩いてたどり着いた場所は、もしかしたら先にすでに見つけられていた場所かもしれない。でも問題はその歩く過程で、その歩き方が独特であればあるほど、おそらく同じ場所に行き着いた時に少し違う場所が拓ける。身体の身振り、表情のゆらぎ、濁る目の光、言葉の綾。メタの視点からは意味のないノイズとして切り捨てられる場所に、何かが宿る。歩いた本人にだけわかる何かが。それを僕は追いたいわけです。そしてそのようなものを追いかけている人のことを僕は尊敬するんですね。多くの小説や、多くの写真に、そういう痕跡が残っているのを、ずっと僕は追い求めているわけです。

もちろん、最初からそれは負けがほとんど決まった戦いです。高度に効率化された21世紀の世界においては、例えば明確な「ファクト」が大事にされたり、「コンプライアンス」が徹底されたり、「エモい」という単語に言い表せぬ感傷のすべてを回収して代表させるような、規則と効率をメタの視点から操るハック系の生き方が一番正しい「勝ち筋」であることは、自明の理なんです。でもその「勝ち筋」からさえ逸脱していきたい。なぜなら、何かを作ろうとしている人間は、予定された「勝ちの身振り」を続けることが、最終的には自分自身を摩耗させる罠であることを知っているからです。

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「信長の野望」というゲームがあります。ご存知でしょうか。ユーザーはまだ織田信長が尾張の田舎の大名だった時代から操作を初めて、天下統一を目指すゲームです。昔大好きだったゲームの一つですが、大体いつも、東海と近畿を制圧したあたりで飽きてしまうんです。最初の方の、一回でも戦闘を負けたらにっちもさっちもいかないようなシビアな頃だけが楽しくて、配下武将に名将が増えて、領地が安定的に金や農作物を生産しはじめて、リソースが黒字化し始めたとき、一気に退屈になる。勝つことが明確になった状態は楽しくないんです。勝つのが目的ではなく、そのプロセスが楽しかった。僕の家のファミコンやスーパーファミコンのセーブデータは、いつでもそのあたりで最後まで負えられていないゲームが未だに押入れの隅っこの方に残っているはずです。

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そうか、と気づいたんです。僕が文学研究者時代にやっていたことは、いわば自分がかつてやり残した「途中で放り出したセーブデータの整理」だったんだと。いつも終えることができなかった「確認作業」を、僕は文学という対象を経由して、自分に課していたのだと。苦痛に感じるのも仕方ないなと、あとから気づきました。自分の生来的な発想と全然違うことを自分に強制していたのですから。でも、その過程はやはり無駄ではなかったというのは、またいつか話せたらと思います。ときに人は、自分の「やりたいこと」と「やるべきこと」を区分けしなくてはいけないし、もっと言うなら「自分が本来やりたくないこと」をやる必要性があるのは、研究という過程で得られたように思います。それなしには今の僕はいないはずなんです。

それはそうとして、写真はだから僕にとっては解放だったんですね、魂の。自分自身で縛り付けた自分の魂の解放。ただ、最近写真という領域においても、自分の身動きが窮屈になってきてました。写真でも自分を縛り付けてきたような気がしていたんです。多くの人に知ってもらったことで、僕は自分が作り上げた「自画像」からの逸脱を無意識に恐れ、自己模倣する寸前のところまで行っていました。それに気づいたのは一昨年の1月頃だったんですが、そのあたりのことはこの前出版した本の中のドローンチャプターに書いたことでもありますので、よければそちらで。

文字数が3000字を超えてきたみたいなので、このあたりでこの文章も終わりにしたいと思います。

noteはこんな風に続けていこうと思うんです。明確な形にならない思考を、あえてまとめないでいることで見えるノイズを拾い出すような。クリアにメタ化されることで伝達力と効率性は上がるのは、文章においても「勝ち筋」であることは明白です。でもそれは多分、「骨」が抜かれた何物かのような気がしています。言葉を自分の骨に響かせること。喉を通すこと。時にあまりに形がいびつなせいで、それは喉の肉を傷つけ、血が滴るかもしれない。でもそれが、次の「つくること」の導線になっていくんだと僕は信じたいんです。

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