写真と文学のバナー

写真と文学 最終回 「世界の断絶と写真という小さな窓」

大学での最初の授業のことをいまだによく覚えている。広い構内の南東にあった教室は年月を経た建造物特有のカビと木の懐かしい匂いで満たされていて、小さな窓から斜めに入る光が舞い上がる埃を輝かしく照らしていた。それは新しいデジタルカメラで撮影された、とても古い写真を見ているような光景だった。目の前のすべてはクリアに存在しているのに、その光景はどうしようもなく遠く懐かしいという不思議なアンビバレント。その教室の中に、いくぶん個性的な哲学科の学生たちが、落ち着かなさげに座っていた。強い自意識を持て余し、空回りする思考に導かれるようにそこに集まった人々。私もその中にいたことが、今はもう信じられないような、そんな場所。そこに音もなく入ってきた講師は、50代後半くらいの印象だった。教室の懐かしい匂いがそのまま形を取ったかのような、穏やかな沈鬱さをたたえた人物が最初に発した言葉を、20年も経つのによく覚えている。

「さて、授業を始めましょう。この林檎の色を、私に教えてください」

そう言って、4月にしてはよく熟した赤い林檎を教卓の上に置いた。色彩の褪あせた教室の中で、その鮮烈な赤はまるで血のようで、今の私なら夢中で写真に撮るだろう。だが、当時の私にそのような趣味はなく、それ以上に、ただ圧倒されていた。穏やかに思われたその講師が、まるで我々全員を試してでもいるような悪辣な表情でぶつけてきたその質問こそが、哲学の根本的な問いの1つ、人間の認識の限界を問う質問だからだ。

 18世紀、フランスの哲学者のルネ・デカルトは、哲学史上最も有名な一文を発した。「我思う、ゆえに我あり」ラテン語では"cogito ergo sum"で表されるその文は、「方法的懐疑」と呼ばれるあらゆるものを否定した先に残った、たった1つの「哲学的基盤」を明確にした一文として歴史に残っている。周りにある物事を我々は認識できないとデカルトは言う。中国の道教で「胡蝶の夢」という話にあるように、我々の人生で出会うすべては、自分自身の意識も含めて、もしかしたらただ一羽の蝶が見ている夢なのかもしれない。でもその「夢」を見ている主体である「蝶=私」だけは、どのようにしても否定できない。そのようにしてデカルトは、あらゆる思考の中核に、その存在を消すことのできない「私」を見出したのだ。しかしその「私」は、決して「私」の外には出ていけない。「私」の発明と同時に、我々は「自分」に閉じ込められる運命を背負うことになった

 そう、私が19歳の時に直面した問いとは、この問いなのだ。私が認識している「赤」と、あなたが認識している「赤」は、どのようにしても互いに伝えられない。その不可能性を認識すること、「当たり前」と思っているすべての真実や事実を疑うこと、それこそが哲学という学問の責務であり、そして愉楽であることを、その講師はニヤニヤと煙に巻くような笑いとともに我々に伝えたのだった。そして最後に、まるで忘れていたことを思い出したかのように、講師はふと言う。「私ね、色盲なんです。赤っていう色がどんな色なのか、私には分からないんですね」そう言い残して、講師は風のように教室を後にした。後に残された我々はただ茫然と見送るしかない見事な幕引きだった。よく練られた罠のように、その講師はまだ何も知らない若者を「学問」という深淵に引きずり込んだのだ。ニーチェならあの有名なセリフでも言ったことだろう。「おまえが長く深淵を覗のぞくならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ」

 1年の授業の後、講師は私にこんなことを訪ねた。「ピンゲラップ島を知っていますか?」物事のイロハも分かっていない大学1年生だ。もちろん知るわけがない。その島は、イギリスの学者が当時ある著書の中で初めて明らかにした、生物学的に極めて珍しい人々が住んでいることが判明した島だった。島の住人のおよそ10人に1人が色覚異常である島。一般的な発現率が3万人に1人であることと比べると、その島の発現率は極端に高い。彼がなぜ私にそのような島についての質問をしたのか、本意は分からない。ただ、彼にとって「色」とは、世界と自分との最初の断絶、あるいは交流を考察する契機だったのだろう。第一回目の講義で林檎の色を聞いたことが懐かしく思い出された。

 2015年、このピンゲラップ島の住民たちを主題にした撮影がベルギーの写真家サンヌ・デ・ヴィルデによって行われた。デ・ヴィルデはその試みの中で、島の人々が見ている「色のない世界」を、色のある世界で生きている我々に見せようと試みている。その試みに私は深く衝撃を受けた。彼女の写真は、私がやりたかったことを、具体的かつ社会的に意味のある形で実現していたからだ。私が写真で行おうとしていることのすべては、「私はあなたと、何1つ通じ合うことができないかもしれない、だからこそ素晴らしいのではないか」ということだった。我々が自明と思っているこの世界に満ちる色ですら、我々は自分が見ている状態を互いに確認することができない、そういう魂の牢獄の中で生きている。でもだからこそ、壁に閉ざされたそれぞれの魂が、届くか分からない小さな窓を通じて、自分の見ている世界を他者に見せようとする。その独自の色の付いた「窓」こそが、そう、写真だ。私が見ている色は、もしかしたらあなたが見ている方向からは逆光で黄色が濃いかもしれない。でも、その差異こそが、次の何かを生み出す。真実が何1つ疑われることもなく正しいものであると固定される限り、写真は現実のコピーを目指すしかなくなる。だが、実は我々はすべて違う現実の中に生きているとするならば、写真はこの世界が広がりと多様性に満ちていることの証明になる。真実は1つではない。1枚の写真が撮られるたびに、世界はまた1つ増えていくだろう。この世界は我々1人1人に開かれた場所であるということを、私はなんとしても知りたかったのだ

 12回のモノクロページでの連載は、私にはとても楽しい機会だった。色の付いたものとして撮ってきた写真が、モノクロになると見え方が違う。初回のゲラが届いたとき、その差異が面白かった。結局12回の連載は、最初に感じたその「差異」が私の考える「写真」という表現のどの部分と共鳴しているのかを探る試みであったように思う。伝わらないこと、違うこと、差異と断絶こそが表現の根源にある動機であり、可能性であり、希望だということ、そのことを私はずっとテーマを変えて話していたに過ぎなかった。

最終回を迎えるにあたり、そうした試みの源泉が、ずいぶんと古い私自身の記憶に結びついていたことに気付いた。哲学講師があの時悪辣な表情で問うた林檎の色。「色とは、なんなのだろう?」という問い。その問いの答えを、写真家となった今の私が探している。かつてG・ガルシア・マルケスは、『百年の孤独』をこのような形で書き出した。

「長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父親のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思いだしたにちがいない。」
―G・ガルシア=マルケス『百年の孤独』鼓直(訳)、新潮社、2006年、P.12

 この文学史に刻まれる書き出しが示すのは、たった一文の中に過去と現在、さらには未来の予兆までも宿すことができるということだ。あたかも光を宿した真っ黒なフィルムのネガのように、あるいはダイナミックレンジの最も底に記録された暗い光のように、写真や映像も含めた、すべての意味を生成する「テクスト」は、その最初の試みの中に自らの過去と未来のすべてを含んでいるのかもしれない、そんなことを思いながら、この連載を終えたい。

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・終わりに際して

というわけで、12回の「写真と文学」の再掲もこれで終わりになります。開始のときにも少し話したんですが、こんなニッチな連載をもたせてくれたインプレスさんと、デジタルカメラマガジンの編集部の皆さんには感謝しかないわけです。この第12回の話って、僕が結局毎回毎回毎回毎回立ち返る問題で、これを書きたいがためにやってたようなところあるんですよね。同じ様なテーマで書いたのがこのあたりの文章ですわ。

あるいはこれ。

なんどもなんども僕は「各人が見えているものが違う」というテーマに戻ってきます。そのことに最初に気づいたのは、今回のバナーにしたメタセコイア並木の写真でした。僕にはバナーの様な黄金に見えたあの日の写真は、後にちょっとした騒動を引き起こすことになったんですが、その時僕は「自分の見ているものは、人と本当に違うんだ」ということを、実感を持って体験した最初の例だったように思うんです。

最後に、もう一度。この連載を二つ返事で引き受けてくださった、デジタルカメラマガジン編集部の牧浦さん、ほんとにありがとうございました。いつかこの続きと言わずとも、何か妙な連載ができればいいなと思ってます。

終わり

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