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人生の転機は、今から振り返ると「この日」だった、という話

日曜日。珍しく残した仕事が少なく、次の大きな仕事は火曜日からスタートということで、空いた時間に実家の書庫の整理をすることにしました。

僕の実家の書庫は、8つの大きな本棚に無作為にぎっしり詰め込まれていて、その規模は優に数千冊。これを整理するのは僕の長年の懸案の一つだったんです。突然降って湧いたような空白の一日、いよいよやるか!と、腕まくりをしたとき、本棚と本棚の間に、どこか懐かしさを感じるアルバムが一冊挟み込まれているのが見えました。

その部屋は地面にも本が散乱しているので、普段はそんなアルバムなんて目にも止めないんですが、今日はふと目に止まったんです。何気なく開いた瞬間、一気に僕の時間が引き戻されました。23年前。ちょうど19歳から20歳になるとき、初めて一人で海外に行ったときの写真が、ポロッと出てきました。今日の今日まで23年間、すっかり存在を忘れていたアルバム。思わず床に座り込み、わずか数十枚のそのアルバムを見ながら、ある一人の大学生との出会いを思い出します。

僕の人生は、彼との出会いによって大きく変わったのだと、今から思い返すと明確に分かります。一番上にあげた写真で、横縞のダサいシャツを着ているのが僕で、その横にいるのがその大学生。旅先でのほんの一時の出会い。今彼がどこで何をしているのか、どんな仕事しているのか、どんな人生を経てどんな大人になっているのかわかりません。でも、彼なら、あのとき燦然と輝くような印象を残した彼なら、多分素晴らしい人生を送っているんじゃないか、そんな気がします。今日は彼との出会いの話をしたいと思います。彼との出会いが、どういうふうに僕の人生を変えたのか。そう、すべてを変えたんですよね。

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話は少し戻ります。19歳になりたての僕には、野望があったんです。それは「一人でロックの故郷、イギリスに行く」という、まあ青臭い野望です。沢木耕太郎の『深夜特急』に憧れてたので、なんかそういうのんやりたかったんですよ。青臭くて、40くらいになったとき、「昔海外でちょっとだけ無茶やってな・・・」とか言えるような旅に。そこで選んだのが、まずはイギリスです。ロックの聖地であり、近現代のすべての発祥の地、イギリス。

そして、アビーロードのあの横断歩道に行って、あの写真を撮って、そして日本に帰ってきたらその写真を使ってデビュー曲でも作ってやろうとか思ってました。当時僕は、バンドマンだったんです。でもね、

アビーロード、見つかりませんでした。

いやね、当時はスマホなんてなかったわけです。てか、多分ようやくネットが商用で出始めたころで、グーグルさんもまだ普及してない頃ですよ。現地で調べようにも、とにかく情報がない。「現地の人間に聞けばいいじゃん?」って思われます?「だって、お前英語の教師じゃん」って思いますよね。実はね、当時僕は哲学科に在籍していたんです。英語なんて、一番の苦手科目。高校のとき、かろうじて成績は10段階中の2でお情けで卒業させてもらったくらい。

なので当時の僕が話せる英語といえば、せいぜい「ハロー」「サンキュー」「アイムソーリー」「パードゥン?」「ワザップ?」くらい。構文作るなんて夢のまた夢。コミュニケーション?そんなのボディランゲージでどうにかなんでしょ、という若者らしい無謀さで、オープンチケットだけ買って、宿さえとらずにロンドンに飛んだのでした。無茶苦茶だなあ。でも沢木耕太郎に憧れてたんですって。

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ロンドンに着くまでにも一騒動。なにせまあ、言葉が話せないので、通るところすべてでトラブルに遭遇する。トラベラーならぬ、トラブラーですね。誰がうまいこと言えと・・・

今ならグーグルのPixelでも使って、リアルタイム翻訳とかでスカッとスマートに旅もできるんでしょうけれども、ストップオーバー(乗り継ぎの飛行機を待つ時間)で立ち寄ったマレーシアのクアラルンプールでえらい目に逢いました。待ち時間が20時間くらいあったので、流石にもったいないと思って、到着した夜中の2時から市中に行こうと思ったんですね。

無謀の極み!

19歳の英語も話せない日本人なんて、鴨オブ鴨。鴨がネギと出汁を背負って「食っておくれ、プリーズ」と全身で言ってるようなもんです。

そのくせやたら「俺は大丈夫だ」っていう妙な自信があったもんですから、外国のリスクとか何も調べずに行くわけですよ。てか、繰り返しますがグーグルまだなかったんで。ヘイシリもなかったんで。

そして案の定やらかす。空港の表玄関から出ている公認タクシーにズラッと100人ほど並んでいるのを見て、「こんなん待ってられねえ」と思って、ちょっと空港裏側の道路にたむろしていたタクシーに行ったんですよね。いやもうね、鴨ネギ。鴨ネギですらない、もはや完成したラーメンレベルの「美味しい獲物」ですよ。ぼられるために海外行ってんのかと。今の僕なら卒倒するような行動ですわ。実際僕が選んだのはいわゆる「白タク」。違法タクシーですね。15マレーシアドルで、お前の予約しているホテル近くまで送ってやるって言ってたのに(多分そんなようなことを言ってたという気がするだけ)、連れて行かれたのはよくわからない下町の袋小路。街頭もない真っ暗な場所。いきなりそこで

「降りろ」(脳内でドス聞かせて再生してください)

みたいなこと言われる。周りを見たら、暗がりの隅っこの方には、多分その当たりを根城にしていそうな、ヤバそうなギャングっぽい人たち。暗闇だからほとんど見えないのに、なぜかニヤニヤ俺を見てる気がする!やば、こわ!

いきなり旅の最初でゲームオーバーレベルのトラブル。「たけしの挑戦状」か。どこを向いても、どの選択肢でも、どのフラグも全部アウトのシチュエーション。タクシーの運ちゃん、真っ暗闇なのにサングラスかけてて、

「50USドル、プリーィズ」とか言ってる。

いくら英語わからん俺でも、50USドル言われて思わず「はぁ?」って言い返しますわ。おまえ15マレーシアダラーって言うてたやんけと。いくら英語わからん俺でも、フィフティーンとフィフティくらい違いわかるわ!(後から知ったんですが、英語話者でもわりと聞き間違います)ここで「はっ」と気づくわけです。

「どうやら俺は、違法タクシーに乗ったらしい」と。

いまさらか!23年後の令和の時代から、19歳の平成を生きていた自分を殴りつけたい。もうちょっと慎重に生きろ。リスク管理は大事やぞ、まじ。

というわけで、せっかく準備してきたサバイバルイングリッシュ「パードゥン」の出番もなし。人間切羽詰まると母語が出ますね。日本語。しかも相手はマレー人。英語っていう発想が全然起きない。なんならタクシーのうんちゃん顔も俺に似てるレベルでアジア。そんなアジアの情熱のど真ん中で、人生最初にして最強の危機に陥ったわけです。「15ドルいうてたやんけー!(やんけー、やんけー)」と絶叫がこだまするクアラルンプールの夜。

で、結局どうしたかというと、手に握りしめてた15マレーシアドルを、そいつの顔面に投げつけて、怯んでいる間に一目散に逃げました。捕まったら絶対死ぬって思ってたので、思いっきり、全速力で。

後ろから「待て待てーい」みたいなマレー語か英語かわからんような声がいくつか聞こえてくるんですが、途中にあったゴミ箱をジャッキーの映画ばりに倒して通路妨害とかしながら、なんとかかんとか、光があふれかえる人間の大地、中心街まで逃げてこられたわけです。いやー、光り輝く街の中心に辿り着いたとき、思わず叫びましたね。

「ラピュタはあったんだー!」

ところが不思議なことに、中心街に着いた瞬間、自分が泊まるホテルがすぐ目の前にあるのに気づきました。いやーラッキーだ、俺ついてるラッキーだ、ってそんなわけない

後から思ったことなんですが、もしかしたらそのタクシーのうんちゃん、僕の行くホテルの近くまで来てくれてたみたいなんですよね。後からそれに気づいて、「あれ、もしかして、あのタクシー、違法タクシーじゃなかった?俺逃げたの、もしかして申し訳ないことした?」とか思ったんですが、全てアフター・THE・カーニバル。後の祭り。結局その日は、なんとも居心地の悪い気分でクアラルンプール中心街の一日を過ごしました。

いやその後もね、生水飲んでスーパー下痢になったり、「外国あるある」を全部やりつくしたんですが、とにかく冒頭のタクシーのミスが強烈過ぎて、あとのこと全部忘れる勢い。

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そんなこんなで2日後、ようやくロンドンに付きます。いよっしゃ、順風満帆!って思うでしょ。これがそうじゃない。全然そうじゃない。所詮、19歳の僕なんて、鴨を背負ったネギみたいなもんです。英語もできないのにイギリス来るとか、今から考えるとまじで意味がわかんない行動なんですが、とにかくなんにもできない。言葉がわかんない。アビーロードの場所もわかんない。そんでどうなったか。

ホームシック。

って、アホかー!草生えるとはまさにこのこと。大草原状態ですよ、お前なんのために必死こいてためたバイト代全部使ってイギリス来たんやと。「人生初のホームシックはプライスレス」って、誰がマスターカードやねん。

でも仕方ないんです、何するにしても、誰も助けてくれないし、そもそも目的はアビーロードなんだけどそれを見つけるすべもないし、何をすればいいのかわかんなくて(ヘイシリもオーケーグーグルも無い時代ですから・・・)、結局ロンドンにいる間、街の外れにある誰もほとんど人がこない教会の隅っこの方で座って、一日時間つぶしてました。何してんの俺、まじ何してんの。19歳の日本人、イギリスでキリスト教に目覚める。そんなわけあるかー

いやね、その教会、一つだけすごく素敵なものがあって、ステンドグラスが綺麗だったんです。午前中、お昼にかけて、天気が良いとガラスを通じた光が入ってきて。綺麗だったなあ。初めて見る「ほんまもんの西洋」にすごく感動して、だから、旅の寂しさを紛らすのに僕は5日間ここに通ったんですよね。西洋か。

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そんな重度のホームシックにかかってた状況で、なんでスコットランドの方に向かったのかは未だに謎なんですよね。アビーロード見つからなかったので、旅の目的が一気になくなって、二言目には「日本帰りてえ」って言ってた最悪の旅なのに、何をトチ狂ったか、進路を北に取った。日本から離れとるやん。

でも、そのよく分からない選択が、僕の人生を大きく変えることになる出会いをもたらします。それが今日の本題。

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だから、一人旅だったこの旅行で、ある期間だけ僕が写ってる写真が残ってるんですよね。マレーシアでは写真自体撮ってないし、ロンドンの写真は、水平も取れてない下手くそな風景ばっかり。でも、スコットランドに行ってからは、数枚僕の写真が残ってます。20歳の。それは、スコットランドに入って早々、一人の青年に出会ったからです。

彼の名前はもう忘れてしまいました。日本に帰ってから何度か文通をしたので、探せばそれが残ってるかもしれないんですが、今はとりあえず彼のことを西川くん(仮)と呼びます。多分、「西」が付いてた気がするんです。で、西川くんは関西学院大学の外国語学科の四回生でした。卒業旅行でイギリスに来てたんですね。

その彼となぜ出会ったかというと、スコットランドに来て早々、めっちゃ僕は困ったシチュエーションに陥ったんです。宿がとれないんです。宿とろうとして道端のB&Bに突撃を繰り返してたんですが、英語がまったく通じない。びっくりするくらい通じない。ここほんとにイギリス?ほんとに「グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国」?まじで連合してるんすか、せめて言語くらいなんとか連合してよ。それこそ、ハローのレベルから通じない勢い。

そう、スコットランドのスコティッシュ・イングリッシュですね。強烈な訛りのある英語です。普通の英語でさえ、せいぜい「ハロー・サンキュー・ソーリィ・パードゥン・ワザップ?」くらいしか知らなかったんですが、ロンドンだと数字くらいは通じるわけです。なのでなんとか宿は毎日確保できた。でも、スコットランドだとそれさえ不可。何も通じない。まじで何も通じない。スコットランドの駅前で、あまりに通じないんで男泣きに泣いたですよ。「ここどこやねん、イギリスやないやんけー、せやろがーい」って。

で、10件も回った頃でしょうか、もうホテル取りにクタクタに疲れ切って、これが駄目なら駅で野宿しようとか思って、界隈最後の一軒にピンポーンと呼び鈴押したんですね。案の定、出てくるのはスコットランド人ですよ。ブリティッシュプリーズですよ。懐かしきロンドン、ああ、あの教会に戻りたい。敬虔なキリスト者の気持ちが分かりました。で、案の定、全然話が通じない。もはやパードゥンもソーリィも通じない。もうファックとか言いそうになりますが、その頃そんな単語も知らない。ファックもシットもガッデムも何も知らない。

泣きそうになって途方に暮れて天を仰いだ瞬間、横からものすごい流暢な英語で、急に目の前のスコットランド人にペラペラと何かを話し始めた人物が現れました。それが西川くんでした。

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スコ「ワザップ?ワザップ?・・・asajk fakjlr, rakmm,ss 」
西川くん「Do you have any vacant room? if nothing, could I share my room with him?」
スコ「ワザップ?ワザップ?・・・asdfag,fas;lk;k;ggg..asdgasdk;lka:ra」
西川くん「Ok, got it」
こっちにくるっと振り向いて
西川くん「部屋あるらしいで」

かみさまー!

スコットランド訛りも何のその、流暢極まる英語で僕の窮地を颯爽と救ってくれたのが西川くんでした。

彼は関学で四年間英語の弁論サークルにも入ってたみたいで、当時の僕の目には、彼の英語はネイティブよりも輝いて見えました。

てか、何言ってるかまったくわからんスコットランド人に、ぶりぶりキレイな英語をぶっこんでいくんですもの、惚れますわなそりゃ。せいぜい2,3歳しか変わらないのに、なんてかっこいいんだろう。まさにヒーローとはこのこと、僕の方が年下ということもあってすっかりなついてしまったわけです。下僕っすね、好きに使ってみたいな。まあ言うて、世話してもらってたん、僕ですけどな。

結局数日、スコットランドを一緒にまわった後、彼はスコットランドからさらに西の方向、ウェールズの方に向かうというので、そこでお別れをしました。分かれるとき、僕は人生であれほど心細い別れは生きてる間はもう経験できないだろうっていうほどのつらさで、それこそ、

「すべてを捨てて私もウェールズに一緒にいくわ!」

と「タイタニック」の例のシーンとか思い出す勢いだったんですが、よく考えたらあの頃タイタニックはまだ公開前でしたね。まあそれはさて置き、残念ながら僕はそろそろ手持ちのマニーが尽き始めていました。日本目指して南下し始めなきゃいけない時期だったんですよね。それに、ロンドンに帰って後は飛行機乗るだけなら、僕だけでもなんとかなるだろうと思って、まあ実際そうだったんですが、彼とはそこで別れました。

一緒に回っているとき、スコットランド最北端の街、インヴァネスというところにある「ネス湖」に行ったんです。そのときの写真を今日見たとき、思わず涙が溢れました。あまりの懐かしさに。

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写ルンですっていいですよね。あの独特の表現故に、今見ても、まるでこの前撮った「ちょっとエモい写真」みたいに見える。でもこれ、まぎれもなく23年前です

このまだ不安げな表情が残っている19歳の僕は、この後20代に何があるのか知りません。20代で僕は、絶望のどん底に落ちることになります。30代に何があるのか知りません。30代で僕は、一度本当に死を覚悟しました。この神経質そうで無垢な目をしている青年は、この後、その輝きのすべてを失うことになります。

その気配が、まだ一ミリもない。本当に初心で、まだ何も知らず、まだ何一つ成していないけど、未来の可能性のすべてをまだ持っている。それがすべて失われ、僕はその時このフサフサの髪の毛も失い、身体のいくつかの部分を損傷し、命まで落とす寸前で、なんとか助かりました。そんなことが起こりそうな気配は、この写真からは何も感じられない。

今もう一度この写真の頃に帰りたいか?と問われれば、全力で拒否します。もう一度、あの20代と30代を生き抜く自信は僕には全然ない。でも、そんな20代と30代の記憶の向こうに、こんな写真が残っていたんですよね。確かに僕はここに行った。ネッシーがいるかもしれないって二人で笑いながら向かいました。その笑い声を今でも覚えている。僕を助けてくれた青年と一緒にここに行き、そして異国の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。そんなことがあった。確かに、あった。

涙が出たのは、僕が失ったすべてのものを、この写真の中の青年がまだ持っているからです。そして、その過程で別れなければならなかった大事な人たちのことを思い出したからです。それが本当に懐かしい。

そういえば、俺はこんな顔をしていたんだったなあ。

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=*=

こうして人生初の外国一人旅は、七転八倒の苦悩を経て終わりを告げたわけですが、このときの西川くんのかっこよさが、旅の後も僕の心に強く強く残ったんです。その結果どうなったかというと、哲学科から英文学科に転部することになりました。元々僕は文学が好きだったんですが、当時好きだったのはアメリカ文学よりもロシア文学だったので(ご多分に漏れずドストエフスキーにハマってました)、ロシア文学に行くという道もあったのですが、西川くんの姿が目に焼き付いてたんですよね。

異国で困っている日本人を、自分の持っているコミュニケーションスキルで、颯爽と助ける姿。過去にも未来にも、こんなに感動した人との出会いは他にはなかった。そして「僕も英語を使えるようになりたい!」と思ったんですね。そして英文科に行くことになった。高校で英語の成績2だったのに、えらい変わりようですわ。

そして、この出会いが人生の一大転機になりました。当時僕はそんなこと全然計算してなかったんですが、大学の講師の口ってのは、殆どが「外国語」なんです。外国語科目はすごく多い。で、その中でも英語は特に多い上に必修なので、基本的に食いっぱぐれがない。20代から30代の貧乏院生の頃、「英語でよかったー」と何度も思いました。

それより大事なのはカメラとの出会い。当時僕のいた英文科の研究室でカメラを買ってきたやつがいて、そいつが僕に自慢をしなければ、僕はカメラに触ることもなかったはずなんです。だってなんにも興味がなかったから。

でも、そこに僕の世界をつなげてくれた。英語が使えて、何か表現するための文章のテクニックを学んで、さらにカメラを生業にするような世界へと、彼との出会いが導いてくれた。

多分、ここで今これを書いている僕がいるのは、西川くんのおかげなんですよね。それがなければ、今僕にとってのこの「世界線」はなかったはずです。

ちょうど今、noteでは「 #たすけてくれてありがとう」 というお題が出ています。今日の昼、この写真を見つけた瞬間、「このことを書こう」と瞬時に思いました。

西川くん、あのときたすけてくれて、本当にありがとう。君がいてくれたおかげで、今の俺があります。今君がどういう人生を生きているのかわからないけど、多分、君ならたくさんの友人に囲まれた素晴らしい人生を送っているだろうと思います。多分この人生で再び会うことは無いと思うんだけど、いつかどこか、すべて終わりを迎えたとき、もう一度お礼を言いたい。ここに連れてきてくれてありがとう。あのときの英語、本当にかっこよかった。

最後に、あの時代のドヤ顔の僕の写真、貼っておきますね。これぞ「虎の威を借る狐」の典型。英語の不安がなくなった僕の、満面のドヤァです。ご査収ください。

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フォトグラファー。アメリカ文学研究者。滋賀、京都を中心とした”Around The Lake”というテーマでの撮影がライフワーク。インスタはこちら: https://www.instagram.com/takahiro_bessho/