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ときには僕たちは一緒に笑う必要がある(一つの大きな展示を終えて)

あれが起こったのは7月10日のことでした。全体的に小柄で軽量なソニーのフルサイズ用のレンズの中でも軽いレンズの一つである24mm/f1.4を持った時、腰を中心に破壊的な衝撃が全身を駆け巡りました。12年ぶり三回目、馴染みのある「魔女の一撃」。一瞬息が止まり、その直後、崩れるように床にへたり込みました。ぎっくり腰の襲来です。18歳のときに一度目、30歳のときに二度目、きっちり12年周期で42歳で今回3回目。ついにやっちまいました。お久しぶりね、会いたくなかったよ、もう二度と。

ただ、前回前々回と決定的に違うのは、このぎっくり腰の2日後、僕は大きな展示が予定されていました。「東京カメラ部写真展」というやつです。今や「ヒカリエに行く」という言葉で写真世界では象徴化されてさえいるあの行事に、僕はラッキーなことに毎年呼んで頂ける「10選」という立場でおります。述べ数十万(数百万?とりあえず途方もない投稿数です)の投稿の中から選ばれた写真が飾られ、「展示」というよりももはや「文化祭」とか「甲子園」とかのノリに近い、一種のお祭りなんですね。そしてそのお祭りを、いま「文化祭」と呼んだのも理由があって、皆さんがかつて高校や大学の時に、全力で打ち込んで、その後燃え尽きるような疲労を「文化祭」で感じられた記憶があるかと思いますが、それに近い、全身からあらゆるエネルギーを根こそぎに搾り取るような、そのような種類のお祭りなんです。

過去の展示では、毎回ヒカリエから帰ってくると、その後一ヶ月ほどは無茶なことができなくなるくらいの状態になっていました。そんなお祭り前に、ぎっくり腰、やらかしました。朝11時からスタートして夜8時まで、ほとんど休憩も挟まず、来場してくれた皆さんとお話しながら、所々に挟まれてくるこの機会とばかりの打ち合わせや夜の会食、そしてトークイベントへの登壇。一日が終わるごとに最大体力の25%くらいがスリップダメージを受ける感じで、終わる頃にはHPは真っ赤なゲージで警告を発する程になる、そんな毎日に、強烈な腰痛を抱えて臨むことに今年は相成りました。そして思ったんです。

「あ、これはもしかしたら、いい機会かもしれない」と。

何がいい機会なのかと。それは、こう思ったからです。痛くてつらくてしんどかったとしても、今年は全日笑って乗り切ってやろうと。できるだけ笑い、笑い、笑って過ごそうと。楽しそうに、できるだけなんでもないようにと。当たり前の行為でも、「痛み」があることで意味が発生すると考えたんです。

もちろん、実際には痛みは強烈でした。湿布貼ってロキソニンを投与しても基本的には腰から膝にかけて、24時間の鈍痛と、時々変な体勢になってしまった時の腰が裂けそうな痛み。でもだからこそ、ただ「笑う」という決意に意味がある。意図を持って笑わなければ、たちまち座り込んでしまいそうな状態でした。

なんでそんなよくわからない決断をしたのか。それは、自らの痛みをテコにして、ささやかな狼煙をあげようと考えたからです。何に対する狼煙か。それは、人の心を蝕む絶望に抵抗を示すための狼煙でした。日々我々を取り巻く心無い黒い炎に対して、抵抗したかった。それには、笑いが必要だと思ったわけです。

その狼煙を形にするために、初日に僕はあることを思いつきました。数年ほど前、友人たちとともに僕はある騒動に巻き込まれ、その騒動はわりと長い尾を引きながら、一種の汚点のように我々の写真活動を取り巻く傷になりました。一旦終わった後もその話題にはあまり触れずに、半ば腫れ物のようなことになったある騒動です。それを僕は全部笑いに変えてやろうと。最初のトークステージにそれを入れ込むことにしたんですね。

そんなことが可能だと判断したのは、一緒に登壇した三人の方が、僕が心から尊敬する人たちだったからです。この人たちなら、僕が勝手に走りだしても軽やかに回収してくれるに違いないと考えました。強く賢く、現実感覚と理想主義がちようといい塩梅でバランスしている人たち。笑う余裕のある人たち。彼らならば、事前に大した相談無しでも、なんとかしてくれるだろうって。

また、トークイベントを聞いてくれている人たちにも、信頼し、尊敬する写真家たちがいました。彼らの大半が、この数年起こった様々なこと、何があって、何が起こって、その結果誰が傷つき、誰がこの場から去っていったのかを知っていました。流された心の血と、損なわれた魂の傷を、皆がこの数年間見てきました。そのような彼らもまた、僕がこれから言おうとしていることを聞いても、是認して、一緒に笑ってくれるだろうと。そういう信頼があったんですね。だから僕は博打を打つことにしました。あの騒動を笑いとして回収するという博打です。スポンサーの付いているお仕事のトークではなかったというのも、その思いつきを後押ししました。

その笑いや話がどのような内容であったのかはここでは書きません。というか、その内容自体は実は問題ではないんです。話した内容は実際にあったことですが、そのような話は大なり小なり、傷つき倒れた人々が全て経験する「嵐」が共通して持っている一形態なんです。だから、あの場にいて聞いてくれた人たちに、その詳細を文字化してほしいとも、また内容を伝えてほしいとも思っていません。あれは一瞬だけ可能な、魔法みたいなものだったんです。この「黒い炎」が吹き上がる「魔女狩り世界」において、僕はその場に集まった「魔法使い」たちと一緒に、一瞬だけ世界が黄金に光るような魔法を見たかったんです。姑息で卑怯な悪意のこもった嘲笑や冷笑ではなく、「あの黒い炎を、笑って吹き飛ばそうぜ」ということを伝えるための、全力の笑いを笑いに行きました。

結果は多分成功したと思います。僕は「悪者」や「犯人」を名指すこと無く、この世界に満ちている「黒い炎」の姿を笑うことができたように思います。僕がやりたかったのはまさにそれでした。新たな「犯人探し」や「魔女狩り」ではない形で、事態だけを乗り越えていくこと。

もちろん、こんなこと全部綿密に考えていたわけではないんです。ものすごく単純に、「腰超痛いし背中超痛いし、笑ってでもいなきゃ心折れちゃう」ってくらいの発想がそもそもの最初だったんですが、予想以上に痛みが強烈だったので、それは僕にとっては過去の強烈な苦労のいくつか、精神的・肉体的な「しんどいこと」を思い出させたんですね。それが「意図して笑顔でいる」という今回のささやかな思いつきになったというわけです。

トークを皮切りに、期間中、できる限り友だちたちと笑うことを目指しました。一緒に展示してくれる写真家たち、展示はしていないけど、かつてどこかで一緒に展示した友人たち、僕らの写真を好きでいてくれる来場者の皆さん、写真なんて興味はないけど、この世界でなぜか他生の縁を得た友人たち知人たち。中には新たに得た小さな命を連れてきてくれた友人たちも数名いました。

写真というメディアを媒介にして交わった人々の生きる姿を、可能な限り笑顔で受け取ること。時々激しく痛む腰は、いわば僕自身への強いメッセージでした。この程度で座り込むならば、そもそも、我々に降りかかるあの「炎」を遠ざけることはできないだろう?という、自分からの。

でも、傷んでいるのは確かに傷んでいるのです。それは否定できない。根性論は僕が最も嫌いなものの一つなので、痛いのは痛い。体も、そして魂も、ある程度以上すでにもう傷つき、損なわれている。時々、それはほんとうに鋭い痛みになって、根こそぎ精神を奪い去りそうになります。一度だけ、前を見ていないときに足を引っ掛けてしまって、数日前の爆弾と同じような痛みが全身を駆け抜けた時は、危うく失神しそうになりました。

そんな時、友だちの誰かが僕に声をかけます。

「腰大丈夫?」
「マジ痛いで!これは嘘いえへんわ!」

そうやって心配してくれる友だちに、正直に笑って「痛い」と伝えたら、ちょっとだけその痛みの「呪い」が遠ざかるんですよね。そしてお互いちょっと笑い合う。お互いの展示ブースに戻っていく。そんなやり取りが何度も何度もありました。痛みはリアルで辛いものだけど、「笑い」がその痛みを一瞬カッコに入れる。そう、僕は、僕らは、自分の周りに一緒に笑える家族や友だちがいるはずなんです。もし今友だちが一人もいないとしても、いつかどこかにできるものです。かつて世界に呪詛をはきながら、琵琶湖のほとりで一人ギターを引いていた孤独な魂にも、少なくとも腰の痛みを心配しつつ、一緒に笑ってくれるような「縁」が出来上がったんですから。

だから僕らは、時々一緒に大きな声で笑う必要があると思ったんです。いや、大きな声でなくてもいいんです、ただ「一緒に」笑う。それは自然に大きくなる。笑うというのは、なかなか一人では難しい。一人でいると黙ってしまうものだから。僕はたまたま写真家という立場のために、こんなふうに笑うことができる相手や場をいただくことができました。でも写真家ではなかったとしても、僕らは何かの「場」や「つながり」を持つことができる。SNSだってそのような場の一つでしょう。その場所で、「悪者」や「犯人」を作らずに、燃え上がる「炎」だけを笑いの風で飛ばすことができれば、僕らは多分、多少焼けた野原でも、傷ついた素足でだって歩いていけるはずなんです。そのことを僕は、今回なんとか試みてみました。

それが本当にできたかどうかはまだわかりません。また、いつだってそんなことができるような精神的余裕があるとも限りません。ソウルジェムが濃く濁るときだってもちろんあります。

ただ、やってみてわかったことがあります。こうやって笑うことで、何かが軽くなります。あれほど黒々と燃え上がっているように見えていたあの炎も、今となっては遼遠の焚き火のようなものであったことが。そしてあの時ついたと思っていた傷はすっかり治っていて、魂の奥まで突き刺す致命の一撃ではなかったことが。それを、今まさに黒い炎に背中を追われている友人たちに伝えられたらと思うんです。

僕は今、ほんの少しだけ達成感があります。会場を去る時、別れ際に笑いながらこう言えたことが嬉しいのです。

「また来年ここで!」

場に戻ること。生き残り、笑いながら、焼け残りの獣道を歩き続けること。

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