インプットがアウトプットを呼ぶのではなくて、その逆という話

先程、昼休みに友人と話をしてて、話の内容というのは「何か語るときに物事を知ってるってのは大事よね」とかいうような話で、その時「たまに初心者のくせにやけに鋭いことを言える人がいる」というような話からの、「いや実はそれは見た目は初心者かもしれんけど、実際にはその近接領域の知識があったり、あるいは大元の知識を勉強している場合が多いんよね」的な感じのことを話しておりました。なんたるハイカルチャー!

ところで、その友人との年齢差は20歳ほど。自分の20年前を思い出してみると、ちょうど大学3年生。その頃はまだネットがそれほど普及していない時代で、ホームページ()とかが全盛だった記憶があります。懐かしのインターネットフロンティアの時代。すべてがカオスで、すべてが極彩色の怪しい魅力を放っていた空間。Googleの登場とともに加速度的に中央集権化が進みつつ、その便利さと可能性にまだまだ想いを馳せることができた時代。今やネットのすべてが我々の生活密接に繋がり、もはやハンドルネームで呼びあうような文化さえ死滅しつつある現在から見るとノスタルジーを感じるほどですが、その時代僕はホームページで文学評論みたいなことをしていました。その後ブログが流行って、ツイッターが流行ってと、僕の世代の人たちの多くは、そのWeb2.0の華やかなりし多くの栄枯盛衰を見てきたと思うんですが、その時代を一言で、ちょっと斜めからの総括をすると、「個人のアウトプット環境がそろった時代」と捉えることができます。インプットではなく、アウトプット。そしてそのことが、実は情報の流通を社会的にはもちろん、個人的にも一気に促したというのが、今日の話。そして僕が友人に伝えた話です。

話は元に帰るんですが、何かを語るときに「知識のインプット」が必要だというのはこれは理屈としては当然というか、理解しやすいのですよね。でも実はこれには結構罠があって、ある程度の知識があれば、あとはアウトプットをしてしまうほうが、その後のインプットは、より増える傾向があります。もちろん、ただの経験則なんですが、周りを見てもそういう人が多い気がします。

日本人は特に真面目な傾向の人々が多いからか、あるいは、日本特有の揚げ足取り文化におびえてのことかは分かりませんが、どちらにせよ「ちゃんと勉強して(インプットして)からアウトプットをしよう」という人が多い気がします。とても誠実な態度であると思います。でも実は、そうやって「先にインプットをする」というのは、実際にはなかなか続かないものです。日々の忙しさに追われる中では、「ちゃんと知らなきゃ」という使命感は、むしろどんどんと強迫衝動化していきます。完璧に筋道立てて、完璧に知った上で、理論武装していざ話そうというとき、むしろその「完全さ」に全身が絡め取られる。何を言うにせよ、何かが自分の口や手を阻む。知識というのは、だいたいそういう性質を持っています。自縄自縛というか、知れば知るほど、「自分が知らないことを知る」というループに陥るからです。

もちろん、ある程度歳を取り、ある程度知識を得て、ある程度それに比する社会的名誉なり地位なりを手に入れた人は、そういうループに陥ることで、むしろ様々な「言葉のトラブル」がもたらすリスクを軽減はできるので悪いことばかりではないんですが、若いうちに「ちゃんとインプットしてからアウトプットしよう!」と考えると、大体において「今日はやめとこ」ループが発生します。そして何も出せない状態のまま、どんどん心理的ハードルばかりが高くなる。

この20年で、ネットの世界は「いかようにもアウトプットできる環境」が整いました。その間僕は、自分の限りある知識と技術と経験が、いわゆる大御所たちとは比べ物にならないほどに少なく小さく穴の多いものであることを痛感しておりましたが、それでもずっと何かをアウトプットし続けてきたように思います。そしてそのアウトプット毎に、「足りないなあ」という忸怩たる思いをフィードバックに、「じゃあこれをもうちょっと勉強しておこう」と、突貫工事で穴を埋めつつ、今に至ります。

もちろん、「知」の通例通り、知れば知るほど結局「穴」はもっとあることに気づくだけの話なのですが、それがまた次の「インプット」を呼び込む、強烈なインセンティブになっていきます。アウトプットしたときの「自分の足りなさ」こそが、次のインプットを呼び込んで行きます。だからこそ、「先にインプット」ではなく、「足りなくてもとにかくアウトプット」が先にあったほうが良い。

そこには副産物もあります。全然完全ではないアウトプットでも、その振る舞いを続けていくことで、何かを発信するときに適した「振る舞いの作法」みたいなものは体得できました。そしてその作法があるからこそ、今、なんとなくいろんな場所で「写真」や「言葉」を使った仕事をこなせるようになっております。もちろん完璧には程遠いにせよ。

ということで、若い人たちにこれだけは伝えておきたいのは、勉強してたくさんインプットするのはもちろんめちゃくちゃ大事なんですが(これは言わずもがなです)、それと同じか、あるいはそれ以上に大事なのは、まずはアウトプットしてみることなんですよね。「自分を高みに引き上げる!」というような、自己研鑽の探究心、孤高を目指す克己心は称賛に値するものではありますが、それが単なる外の世界に出ていけないときの言い訳にならないように気をつけないと、永遠に心理的ハードルは下がらないです。むしろ、自分を強く律すれば律する程に、そのハードルは高くなる。で、高まったハードルからちょっと顔を出しても、どうせ目立てば叩かれるのがこの世界です。その時のダメージは、とりあえずお試しで出してみた無知なアウトプットで食らうダメージとは比になりません。あるいはめちゃくちゃ頑張ったのに誰も自分のアウトプットに反応がなかったら、それまた悲しいです。

若いうちは失うものも少ないので、むしろアウトプットをして「足りなさ」を痛感してインプットつつ、アウトプットという振る舞い自体がもたらす経験を貪欲に貪るほうが、後々、10年後、20年後に本当に勝負をかけなきゃいけないときの素地になります。なので、

「インプットしてからアウトプット」

は、逆なんですね。高校までに学んだことと生きているうちに得た諸々のあなたの経験を元に、まずはアウトプットする癖をつけるといいです。続けていけば、最後にはなにかにたどり着くようにできてます。

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