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#486 堀口さんが憧れたオートバイ。

24歳になって間もない頃に買った『クラブマン』が手元にある。なぜか2冊ある。特集のタイトルは、わが憧れのオートバイ。編集スタッフやその周辺の人々が、それぞれ思いを寄せるオートバイを挙げ、語っている。

Bow。さん&MV Magni 832も、永山さん&AERMACCHI Ala d’oro 250も素敵だったけれど、誌面のレイアウトを手掛けていた堀口さんとBMWサイドカーの組み合わせは最高に絵面がよく、バイクもさることながら、いい感じのおっさんだなと思っていた。

それから7年後、クラブマンの編集者として堀口デザインオフィスに出入りするようになった。堀口さんはおっさんからじじぃに昇格していて、眼鏡の奥の目がいつも(ちゃんとしろよ、おめぇ。やのじがかわいそうだろ)と言っていた。やのじは、その頃クラブマンのメインデザイナーになっていた中根康宏。僕らは、やっちんと呼んでいた。

やっちんから、堀口さんが亡くなったことを知らせるメールが届いた。71歳。そうか、じじぃだと思っていた頃はまだ50くらいだったのか。今の自分より年下だ。おぉ。

勝手で申し訳ないけど、28年前に堀口さんが寄稿した「わが憧れのオートバイ」を下に転載しておきます。勝手だけど、少なからず関わりがあった者のよしみで束の間許してほしい。こういう佇まいのいいおっさんが、美しくて力強い、グラフィカルな誌面をつくってくれていたのです。

サイドカーの非対称な世界が、なぜ僕に混乱と驚喜をもたらすのか。
1972 BMW R69S with Special Sidecar
Kiyonori Horiguchi

 
サイドカーは左右で曲がり方が違う。その道をご存じの方からすれば、当たり前の事なのだけど、僕はこれで仰天してしまった。早い話がこの特性を知らなかったためにあっさり、その魅力にはめられてしまったのだった。

 もう25年以上昔の話になってしまうが、ある人がサイドカーを手に入れ、遠乗りに連れて行ってくれた。二輪車にもうひとつの車輪が増えただけで、同一線上の乗り物と考えていた僕はフネ側で心地よい風をうけていた。その瞬間、世界が変わった。僕を深夜の間違い電話のような一発が覚醒させた、いきなりの車線変更! これだ。

 とりあえず、簡単にサイドカーを説明すると、普通バイクはバンクさせてコーナーを曲がっていく。ところがサイドカーは一部を除いて構造上ハンドルを切ってしか方向を変えられない。そして、ソロのバイク(ただの二輪車をサイドカーと区別してこう呼ぶ)と違うのは、左右いずれかに人ひとり乗れるようなでっかい構造物が取り付けられている点だ(見りゃ判る)。当然、左右でコーナリングが変わってしまう。発進でさえそれなりのセオリーがあるほどだ。まぁ、詳しくはここではさけ、次の機会に譲ることにしよう。

 景色がいきなり並行移動するって判ります? そんな感じ、だったよなー。側車に乗っていてさえ感じるこのGは何なんでしょうか。例えばティントーイのサイドカー。実物もそうなのだが、実にユーモラスな格好をしている。人が乗っているところなんか想像したらもうダメで、すっかりほんわかイメージができあがってしまう。それがこんな凶器に変身できる能力を持っているとは誰が想像できようか。とにかく、僕は非対称の世界の虜になってしまった。そして、それ以来いつかはサイドカーと思っているのだ。

 今回僕の目の前に現れたのは72年式のプレートを付けたBMWのR69S。ちなみに69Sが造られていたのは69年までで、どういうわけだろうか。例えば、特別なオーダーでこさえられた一台なのかもしれない。もともとはレンシュポルトで有名な神宮司氏の所有車で完璧に手をいれられた物を、現オーナーの茂木さんが無理矢理奪ってきた(失礼)ビカビカ物だ。ちょっと見で風防はなかったんだっけくらいしか僕には判らなかったが、その他はすべてが揃っている素晴らしい一台だ。カイザー・キットを組み込んだエンジンに、サイドカーのための専用デファレンシャルとその為のスピードメーター、対米用と思われるビッグタンク、数え上げればきりが無いほど……。ああ頭がクラクラする。

 どうですか乗ってみませんかの一言ですっかり舞い上がり、手袋も忘れて試乗させて頂いた。今まで乗ったことのある物と比べて異常に素直なこの感じは、まさにセッティングの完璧さを物語る。普通、一台として同じ乗り味のサイドカーは存在しないと言われるほどパーソナライズされてしまうものなのだが、オーナーとはかなり体重差があるにもかかわらず、僕にはまったく違和感なく乗れてしまったのには驚いた。

 色々文字を連ねたが、もう残りも少ないので、まとめることにしよう。

 我が心の中にBMW・サイドカー未だ健在、機が熟したら絶対手にいれてやろうという気持ちは何ら褪せていなかった、までは良かった。が、先立つモノのことやら入手不能のパーツの話を伺ってすっかり考え直させられてしまった。思った以上に、コレを手に入れ、維持していくには無理がある、つまりとてつもなく高価なのだ。

 実車を目の前に現実と夢想が交互に僕をさいなむ。ワインディングを駆け抜けるサイドカーのように右に左に心を動かした挙げ句、やはりこのまま憧れの一台にしておこうかと今は思っている。悔しいけれど。

堀口清則
本誌グラフィックデザイナー。現在は、動かない何台かのホンダ車とオフロード車とトライアル車と唯一動く業務用250ccスクーターのオーナー。不動車は今以上壊れることがないので安心だとうそぶく42歳。林道ツーリング企画の神様と呼ばれ企画倒れは仕事以上と定評がある。うそ
 

クラブマン 124号 1996年2月/ネコ・パブリッシング

ここで使ったタイトル写真のキャプションには、こう記されていた。「オーナー気分で遠乗りシーンを再現。思いっきり走った後のインターバルに甘酸っぱいリンゴをかじるの図。たまんねー。」だって。北野晶夫気取りかよ。






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