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シャムキャッツが自然体を教えてくれた

シャムキャッツと初めて出会ったのは、2010年に下北沢のライブハウス「CLUB Que」で行われたオールナイトイベント「club SUPERNOVA!」だった。

SUPERNOVA!は、くるり、ナンバーガール、スーパーカー、中村一義をメインに1997年から盛り上がったオルタナティブロックを特集するDJイベントだ。当時ぼくは大学4年生で、就活で1社も内定をもらっていないにもかかわらず、邦ロックにずっぽりはまってしまっていた。
もともと洋楽ばっかり聴いていたのだが、邦オルタナがこんなにおもしろいとは知らず、もっと97年世代のことが知りたい、すげぇアツいイベントがあるから行こうぜと、内定をもらい済みの友達を誘って飛び込んだのだった。

シャムキャッツはゲストライブの一番手だった。何の前情報もなかったし、ライブハウスの熱気と酒でハイになっていたので、記憶もおぼろげだ。確か1st「はしけ」の楽曲をメインにやっていた。
「『アメリカ』って曲名すごくいいな」とときめいたのは強く覚えている。へんてこなタイトルと演奏のギャップもよかったけど、何より「次の曲はアメリカっていいます」とMCしたときの、メンバーがいたずらそうに顔を見合わせてにやけていたのに惹かれた。くだけているけど、「アメリカってのがいいんだよ」と生み出したものに堂々としている様がかっこよかった。

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<渋谷パルコのシャムキャッツ展にあったバンドセット>

ライブ以上に、鮮烈に覚えているのはその後だ。

明け方、クロージングの直前でフロアの熱気はピークに達していて、DJが満を持してくるりの「ワンダーフォーゲル」をかけた。
100人くらいがぎゅーぎゅーになって、跳ねる、腕を上下に振る。年上そうな男、女、同い年っぽい男、女、知らんやつらがみーんな顔をくしゃっとしている。そこにDJ卓からつながったマイクを1人の男が握りしめながら、フロアでもみくちゃになって、ワンダーフォーゲルを熱唱し始めた。
ついさっきステージでライブしていたシャムキャッツのボーカルだ。次の日すぐ調べて、夏目知幸という名前を覚えた。
夏目さんはワンコーラス歌うと、「カラオケだぁ!」と叫んで、周りと肩を組んだりしながら「ハローもグッバイもサンキューも言わなくなって」と繰り返す。マイクも次から次へと渡り、歌っているのも踊っているのもどれが誰だかわからず、渾然一体となっていく。
演者も客も垣根がまったくなく、とにかくみんながみんな笑顔で、体を好き放題動かしていて、自由に音楽を享受していた。

その光景にぼくはすっかり感激してしまった。
高校の頃から年に2、3回くらいだろうか、ほそぼそとライブハウスに行くようになっていたが、バンドマンは向こう側の人だと勝手に線を引いている自分がいた。皆が皆ではないが、ステージから降りた彼らはなんかよそよそしく見えた。興奮を与えてくれた彼らに何ももっていない自分が声をかけていいものかと、ついためらってしまう。
音楽を与えてくれる人と、受ける自分には、主従関係のようなものがある。そう勝手に感じていたし、認めるのもしゃくなので無関心を装ったこともあった。

ついさっきも線を引いていた。世間体なんて気に留めずに、つくった音楽、自分たちをステージで堂々と見せるシャムキャッツは、明らかに向こう側の人間だった。
なのに夏目さんはみんなと無邪気にワンダーフォーゲルにはしゃいでいる。さっきまでステージ上で音楽を生み出す側、聴く側だったとか関係ない。今この瞬間鳴っている音を、楽しんだもん勝ちなのだ。音楽って誰に対しても平等で、そこに上も下もない。恥とか虚栄とか捨て去って、自分なりに踊ってしまえばいいのだ。
一緒にもみくちゃになって体を動かして、心底笑いながら、ぼくのくだらない固定概念はぶっ壊れた。本当に本当に楽しい朝だった。

あの瞬間はまだ予感程度だった「音楽って、カルチャーって、もっともっと楽しいのでは??」を確かめるべく、ぼくは就活で70社全滅したあと、ライターを目指しながらライブハウスで働くことにした。
場所はいくつか受けた結果、たまたま夏目さんたちと歌ったCLUB Queだった。1年だけだったけど、ドリンク場や受付から何百本とみたライブをいかに言語化するか、手記にしてみるトレーニングはなかなかの糧となった(とんでもなくひどい内容だったけど)。

何より今現在、「音楽って自由で楽しい」とあの頃よりもはっきりと言える自分がいる。音楽だけでなく、自分が大好きなマンガ、魅力を感じた人間について、常識とか人目を気にせず「おれにとってはこれが最高でかっこいいんだよ」と言えることが随分と増えた。
初めて会ったときの4人がライブをしていたときのように、堂々と。だから今でもこうしてライター編集職でなんとか食べ続けられているんだろうと思う。

あのとき、あのころのぼくと、フロアで一緒に歌って踊ってくれてありがとう、シャムキャッツ。

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もう一つ、楽曲についても。

ぼくはいつも音楽に自由に向き合えているわけでない。「今見ないと世間的にセンスが悪いのでは」「記事のネタになるかもしれない」と、邪心でライブに足を運んだり音源を買っていたりすることもしょっちゅうだ。カルチャーが好きなのではなく、カルチャーを好いている自分が好きだという、ファッションで聴き入っていることも少なくない。

それでもシャムキャッツのときは、すごーく素直に、肩肘張らずに音楽をたのしんでいることがほとんどだ。音源は聴きたいときだけ聴いて、ライブも無性に見に行きたいときだけ見ていた。そのせいで最後に見たライブが、2017年にCINRAが主催した「NEWTOWN」となってしまったったのは心残りだけど。

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秋から初春は、夕方に冷え込んできて人寂しくなったとき、特に笹塚から甲州街道沿いを歩いていると、ふとイヤホンから「AFTER HOURS」をかけている。最近だと、好きな人に会えないときや、元カノを思い出したりすると「逃亡前夜」に浸っている。
そのときその場で足りない感情を埋め合わすように、シャムキャッツを自然と耳から流していることばかりだ。

特に「渚」は人生に欠かせない風物となっている。

6月のある日にカラッと晴れ、陽射しがずいぶんと白くなったのを感じると、半袖の柄シャツを着るように「渚」をかける。

ああー、夏が始まってるなこれ。海に行きたい。視界に収まりきらない青いやつをぼーっと眺めながら、さざなみを耳にして思考を停止していたい。
なのにやらなきゃいけないことがある。その欲求不満を、最寄り駅までの環状七号線でも、仕事場までの山手線でも、「渚」は満たしてくれる。

最初、エレキギターの淡いトレモロだけが響く。また一つ淡いリフが重ねって、マラカスが加わる。夏目さんの優しく伸びた声が入る。防砂林の道を歩きながら、だんだん潮の匂いがして、波音が聞こえていくるみたいだ。
ベースとドラムが入って弾みだす。すぐそこの海岸線が待ちきれず、足早になっているときのやつだ。サビでギターが2本ともガッッと歪みだして、菅原さんたちのキレイなコーラスが重なると、視界がひらける。海だ。

4~6歳のとき住んでいた徳之島の海、大学時代に実家へ帰るたびに眺めていた奄美大島の海、ライター時代に悩んで一人ドライブで向かった辺塚海岸。いろんな記憶が「渚」を通して白い陽射しと結びついて、環七や山手線が海になる。4分過ぎると、すうっと波が引いていくように、イントロにもあったトレモロだけが残る。曲が終わると、さっきより気が晴れている自分がいる。
そんな都会での海開きを、この8年間、夏を感じるたびに繰り返してきた。
記憶の中にある海の、確かな感触。その一瞬がほんの少しでもあるか、ないかが肝心で、「渚」は絶対に与えてくれるのだ。

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最近読んだ『ちぐはぐな身体』(鷲田清一)という本に、「文化」とは自然の加工であり、それをあたかも自然のように錯覚させること、つまり「人為を第二の自然に変換することだ」と書かれてあって深く共感した。

シャムキャッツの楽曲たちは、ぼくにとって愛すべき第二の自然物なのだ。第一と違いがないくらい純粋に自然な人工物だ。
海がほしいときにただ波の録音を再生すれば満足するのではなく、すぐそこに海が待っているときの興奮と、目の当たりにしたときの解放感と、ぼーっと眺めながらまだまだ続く夏への期待までも、音で補完してくれる。

7月にシャムキャッツの解散をSNSで知ったときは、しばらく仕事が手につかなかった。9年くらい前にもらった「GUM」の特典Tシャツを、その朝も寝間着で袖を通していた。

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さみしい。すぐさまこのバンドへの愛とか感謝をぶちまけたい。
けど、この自由気ままさがすさまじくシャムキャッツらしい。
そう思ったらだんだん飲み込めてきて、1週間後にはジムでは何の気なしにこのTシャツで汗をかいていた。暑い日はふと「渚」を聴いて、晩夏には全然再生しなくなっていて、冷え込んできたから先日そのTシャツも衣装ケースに閉まっていた。

自分にとってシャムキャッツは衣服のように、人工物なのに生活に溶け込んだ、日常で肩肘張らずにたのしむ音楽を教えてくれたバンドだった。

先週、最後のリリース盤となるベストアルバム「大塚夏目藤村菅原」がアナログで出た。さっそく聴いた。
レコードプレーヤーを持っていたのも、シャムキャッツのせいだ。
「渚」は3rd「たからじま」に収録されるまではDLコード付きの7インチレコードでしか発売されておらず、デジタルかCDしか再生手段のないぼくは「こっちは金ないんだが!?」と半ばキレながら買ったのだった。ほかにもceroとかいろんなバンドが音源をレコードでしか出さないから、DLコード目当てで盤だけが増えていく状況にたまらなくなって、とうとうプレーヤーにも手を出した。めちゃくちゃアナログにハマって、ぶっちゃけベスト盤がアナログだけと聴いたときは歓喜した。

パルコでやってたシャムキャッツ展のせいもあるだろうけど、部屋で寝そべってじっくりベスト盤を集中して聴いていたら、いろんな感情が立ち上がってしまった。
きっと家庭ができて踊りたいときも海に行きたいときも、一人になりたいときも、ままならないときは気持ちにそってくれるような面に針を落とすんだろうな。
興奮もさみしさも、けっきょくは感謝に戻ってきてしまう。ありがとう、シャムキャッツ。

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