2022.03.16

ここ数日とにかく身体が限界を迎えていて、肩こりも頭痛もひどい中でなかなか子供が寝てくれず睡眠もまともにとれていなかったこともあって、ほんとうはそんなにも疲れているんだから風呂にでも入ってさっさと寝たほうがいいとは思いつつも、何も持たずに外へ出たくなって、それで理由をつけてちょっと飲み物でも買おうとスエットの上にコートを羽織って深夜に自宅を出ました。実は今住んでいるのが私が上京してきてはじめて一人暮らしをした街の隣駅だったりすることを思い出して、ふとあの頃の街を歩いてみようかしらなどと思い立ち、右に曲がったばかりの交差点でくるっと180度方向を変えて歩きながら、だけれども私はもうこの肩の荷を下ろすことは一生できないのであって、いくらこうして手ぶらで街へ繰り出したところで親としての私の人格はいつまでも付き纏ってくるわけだし、それはもちろん私である以上に親として一人の子をなにがなんでも守ってやらねばならぬという気概は十分にありつつも、やはり13年前にあの街を歩いていた時にはもちろん想像だにしなかった人生が誇らしくもどこか寂しいなと思うわけであります。コンビニ前でたむろしている若者たちを見て、もしもタイムマシンがあったらこんな気分なのかもしれないなという意味のないこと考えてみながら、だけどあながち間違っていないのかもしれない、だって私はこの街に実際に十数年前に住んでいて、あの頃はこうしてコンビニにたむろしている側だったわけであるし、そう思えば今見ているこの隣町の景色はもしかしたらあの頃のものなのかもしれないという幻想すら湧いてくるわけです。しかし、まだやっぱり夜は寒いし、途中で見つけた道路沿いの細長い公園の入り口にあるポールにちょっとだけ寄りかかって一人こんな文章を意味もなく書いているわけだけれど、書きたい言葉が頭に溢れてくるのに全然手が追いつかない、もう全然思考が先回りして、そんなことをしている間に書きたかったことはどんどん頭から抜け落ちていくし、もういいやって思って再び歩き出すけど、言葉が浮かんでくるのよ、そのまま、それをこうやって書き写しているだけ、そこに思考は一切挟まっていない、純粋な言葉。それで、ちょっと歩いてみてたしかこの辺だったんだけどな、昔住んでたアパートに入る道がもうさすがに思い出せないし、気がついたら隣の駅にたどり着いてしまって、ああやっぱりもうあの頃には戻れないんだって痛感するし、別に戻りたいわけでもないんだけれど、あの頃はそういえばなんだか拗らせてたよね、上京してすぐにだめになった遠距離恋愛のことをふと思い出すなどして、あれ、私って東京にまで出てきて何やりたかったんだっけ、幸せってなんだっけ。そうして駅で折り返してみるけれど、やっぱりもう昔住んでた家の場所もアパート名もわからなくて、歩き続けているから身体はもうぽかぽかしてるのに、手先だけが寒い、そりゃだってこうやってスマホを操作してるから。そのままちょっと進んで、誰もいない道でちょっとだけマスクを外してみて、なぜか罪悪感を感じてしまって、ああ大人になってしまったんだなぁ自分はもう、子供を育てる側の人間なんだ、それはもう揺るぎない事実なわけです。やたらと眩しいブルーライトの光る専門学校のエントランスを横目に私はくしゃみも出るし、バカみたいに広い駐車場の横を通り抜けて、大通りの信号が変わり始めたところをなんとか小走りで赤信号になりながらも駆け抜けた瞬間、ふと我に返ってまた目眩がしてくるのでした。インスタグラムを開いてコメントを返したりして、そうだった私飲み物を買いに来たんだった、すぐ近くの交差点にあるやたらと天高のコンビニでカルピスソーダを探してみる。ああ、もうすぐそこに暖かい春がいるのにね、肩こりは肩こりのままなのね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?