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なんてことない朝だった、元日に三十代を迎えた私より。

みなさま、明けましておめでとうございます。

年が明けて、いよいよ三十歳を迎えてしまいました。率直な感想を口に出したら短歌のリズムに乗ったので、タイトルにしました。角田です。

世の中の風潮もありますが、本年は年末年始の帰省も旅行も、あとはここ5〜6年毎年欠かさずに続けていた鎌倉での初日の出と初詣もやめまして、いろいろなことをやめた結果、昨日も普通におきて散歩して仕事してご飯を食べ、そんないつもと変わらない日常を過ごすことになっていますが(テレビもないので年末感マジでゼロだし、年越しの瞬間なんて引っ越したくてsuumoを見ていました)、それはそれでいいなという心持ちであります。

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三十代というモラトリアムに途中にするにあたって、もっとこじらせるかと思ったけど、なんてことはない、寝て起きたら三十歳でした。二十代なんて、もはや大晦日の夕方くらいにはどっかに置いてきたのかもしれない。まあ、僕みたいなやつが三十年も生きてしまってどうもすみませんという感じです。

今年はなんだか、あんまり抱負とかもなくていいのかなという気がしており、なんというか、普通に生きていこうね、という気概です。三十代だからとかもなく、とにかく人間として生きていきたい。社会や他人に流されることなく、いや、適度に流され巻き込まれつつ、自分を生きていこうと思う。SNSとかそういう場所でも、あんまり威張らず、むしろ不器用にいたいですね。僕は僕で、あなたはあなたですからね。

そんなわけで、昨年末には、珍しく自分の一年間の仕事をnoteでまとめてみたりもしましたので、そちらもよろしければ是非。なんだか、今年はもうあんまり真面目な文章とか書けない気がします(いや、多分書くんだけれども)。

この、タイトルはクリープハイプの有名な曲のタイトルでしたが、「三十歳になるまで、この曲ばかり聴くぞ〜」と思っていたのに、そんなことも全然なかった。

さて、昨年は言うまでもなく大変な一年でしたが、そんなことを振り返るのも、あんまり今の気分じゃなくて、まあいろんなことがあったけれど、きっと今年ももっといろんなことがあるだろうなという予感。予(あらかじめ)め感ずると書いて予感ですので、予感は現実なんです、きっと。

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このところの私自身と言えば、大晦日にホテルの優秀インターンだったまほちんのnoteを読んでその文才に嫉妬したり、友達に教えてもらった中村文則さんの「遮光」を一気読みしてガツンと来たり、そういえば年内に連絡すると言われていたスニーカーの修理の連絡が来ていないなあなんて思い出したり。大晦日には「言語にとって美とは何か」という吉本隆明の文庫に手を出しつつも、30ページくらいで頓挫し、新年を迎えてしまいました。

ほかに最近のトピックスといえば、三十歳という節目を祝うためのプレゼントと称して、以前から憧れていた中瀬萌さんの絵を購入させていただいたり、pasmoをついにiPhoneに入れ、paypayをクレカに紐付けてキャッシュレス対応を万全にしたり(これは僕にとって大きな決断だ)。そんな、本当に何てことのない日々を送っておるわけであります(一方で、仕事はまだここには書けないけれど、かなり大きな案件などをいろいろとやらせていただいているので、必死に頭を使って働いていますけれど)。

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ということで、今日は一つだけ、告知をさせていただくと、今また文章を書いています。平成最後に「ゆとり本」を作って、昨年はロックダウンとともに「ESCAPE!」という人生ゲームを作ったのですが、今回はまだどんなアウトプットにするかは決めておりませんが、「知らない痛み」について、考えています。

どんなことを書くかはまたの機会にして、なぜそんなことを考えているのか、序文だけここに書かせてください。もしも続きが気になるという特異な方がいらっしゃれば、ぜひひそかに応援していただけると嬉しいです。

ある日、妻がいつかは死んでしまうんだということを想像した。

いま彼女が何か大きな病を抱えているなどというわけではないけれど、人は必ずいつか死ぬのであって、正確に言えば人は誰しも最期の瞬間に向かって少しずつ死んでいっているのかもしれないし、とにかくその事実にひたすら悲しさがこみ上げてきて、耐えきれなくなった。

しかし、その日は必ず来る。もちろん僕の方が先に死ぬ可能性だって大いにあるけれど、何れにしてもどちらかが必ず相手の死に目に直面し、これまで経験したことのない感情に出会うのだろう。

思えば、僕にはまだ知らない痛みが多すぎる。親族との別れだってそれほど多く経験しているわけではないし、何かどうしようもなくやるせない出来事に直面したこともない。それらは今後の人生でどんどんと出てくるわけだ。それが、とてつもなく恐ろしいことのように思えてきた。

それが始まりだった。いよいよ、僕も三十歳。いつか来るその日のために、まだ、知らない痛みを想像する旅に出ようと思う。

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ちなみに、この記事で使っている写真は全て、大切な友人である田野英知くんが年末に撮ってくれたものです。三十歳を迎える記念にとポートレイトを撮ってもらったのだけど、もともと撮られるのが好きじゃない僕なので、自宅にて、彩乃さんとの自然な空気感だけを撮ってくれと無茶なお願いをしたものです。

本当はもっと写真があるんだけど、それは自分たちだけの宝物として、ここではその一部をせっかくなので使わせていただきました。本当にありがとう。

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さて、今日はこの辺までに。

本年も、みなさまどうぞ宜しくお願いいたします。

どうか、穏やかな元日を。

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