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組織を芯からアジャイルにする、ということ

書籍、「組織を芯からアジャイルにする」の第5章は書籍のタイトルと同じチャプター名が付けられています。第1章の寄稿にも書きましたが、私はこの書籍名のフレーズはシンプルかつ強力なメッセージだと感じています。

この記事は以下のマガジンへの寄稿です。

芯からアジャイルとはどういうことか?

組織を芯からアジャイルにするとは一体どういうことなのでしょうか。これを理解するには、「組織の芯」という言葉の解釈が重要になります。私は、コア・バリューとも呼ばれる組織の価値基準こそが組織の芯であると解釈しています。なので、その価値基準がアジャイルとマッチしているかどうかが、組織が芯からアジャイルであるかどうかと同義になります。

この価値基準も、よくあるパターンとして、とても良い価値基準が定義されてはいるもののそれが芯になっていないことがあります。「価値基準の形骸化」と言える状態で、あるけど気にも止められず、組織の現状の芯と分離してしまっている状態です。この状態は価値基準が無い状態とほぼ同じで、自分のコントロールが効く範囲で価値基準を設定し直すことが有効です。最小ならチーム、立場が許すなら部門など、人によってその範囲は変わってくるでしょう。

価値基準としてのアジャイルが実現できている状態とは、アジャイルなカルチャーであることです。カルチャーがアジャイルであれば、そこで育つ人はアジャイルであり、行動も自然とアジャイルの価値基準をベースに取られていくようになります。これを目指すのが組織を芯からアジャイルにする目的のひとつだと捉えています。

芯から行動までアジャイルであること

芯がアジャイルでありながら、やり方のHowの部分がアジャイルでないことは多くはないでしょう。ただ、より上位の組織の芯がアジャイルでないためにアジャイルでないHowを求められるケースも考えられます。この場合は芯のアジャイルさが失われていくか、あるいはそのチームが上位の組織から離れるか、あまり期待する結果には繋がりません。

そういったケースよりも圧倒的に多いのは、プロセスはアジャイルをやっているものの、芯がアジャイルではないというパターンです。このようなアジャイルの皮を被った状態で居続けても、アジャイルに価値を生み出せるチームにはなり得ません。居続けないというのは、私自身もまずアジャイルの皮を被ったところからスタートした身であり、実践を通して皮から肉へ、肉からハートへとアジャイルになっていった経験があるからです。スタート地点は別にどこにあってと問題ありません。ただ、その変化は簡単ではなく、私のようにメンターとの幸運な出会いやコーチとの協働が必要となる、「変革」なのです。

アジャイルをサービスとして見なしていたり、開発手法として見なしていたりする状態から抜け出す必要があります。そのためにはHowを続けていくだけでは足りません。内的なきっかけだけでは難しく、外的なきっかけがそこには必要です。

組織を芯からアジャイルにするには

そのきっかけを起こす責任は組織の誰しもにあると言ってしまえばそうですし、誰しもができることがあるといえば間違いではありません。ただ、相対的に重要な役割を持つのは組織のリーダーです。組織がピラミッド構造を取っているならその上にいる人間が起こすきっかけの方が影響は大きくなります。

わかりやすい例で言えばX(旧Twitter)があります。イーロン・マスクによりTwitterはその慣れ親しんだ名前を捨てXになるなど変革を続けています。それ以上に面白いなと私が感じた変化は、機能の提供が爆速になりサービスが目まぐるしくアップデートされていく様です。これはTwitterで実際に働かれていた方の記事が面白いのでぜひ読んでみてください。

たしかに、完璧なものを出そうとして、十分に練り上げたつもりても大コケすることはありますから、どうせ失敗するなら、早くユーザーに出して早く失敗した方が良いと。

上記引用のような考え方ができるかは当然プロダクトの性質次第ではあるものの、それ以上にカルチャーが重要です。失敗したほうが良い、というのは当然失敗をすることが目的ではなく失敗から学ぶことに目的があります。仮説検証とはゴールに向かってフィードバックを受け取る一連のプロセスであり、当然「仮説」であるため失敗も許容します。これにはそれを許すプロセスだけではなく、カルチャーが必要なのです。

ここで忘れないでいてほしいのは、「私はイーロンでもないしリーダーではないからきっかけは起こせない」と思わないことです。リーダーは自分のなれる範囲からなればいいですし、リーダーは役職を気にせずなってもいいですし、組織にリーダーは2人いても3人いてもいいのです。目立つ改革を行うことが必ずしもリーダーに求められるわけではなく、それこそがサーバント・リーダーシップの考え方の一部でもあります。

アジャイルな組織を目指して

組織としてのユニークなビジョンはそれぞれあったとして、それの達成に向けてアジャイルな組織を目指していくというのは普遍的な価値があります。アジャイルであるというのは、手段と目的という話ではなく、一つの人としての良いあり方だと感じています。これは以前、仏教との共通点を記事にした時から私が強く感じていることです。アジャイルは銀の弾丸ではないとよく言われますが、アジャイルであれば相手を見定め、効きそうな弾丸(仮説)を作り、実際に撃ち込んで(検証)して、そこで学んだことが次の弾丸に反映されていくのです。当然、その中でリソースは有限です。材料やそれを用意する資金、弾丸を作る人撃つ人、残された時間、色々制約はあります。その制約も組織内で正しく共有されていれば、その中で人は最善を尽くすことができるでしょう。

最後に、なぜ「仮説検証し学習できる組織にする」のでは足りず「組織を芯からアジャイルにする」必要があるのか、私の思いを残します。というのは、学習は善き方向へも悪しき方向へもどちらへも働き得るからです。昨今に限らず、組織による不祥事や悪事というものは人間の歴史とともにあるものです。それを考えた時に単に「学習できる組織」では、悪しき方向への学習と最適化を繰り返すことが考えられます。それは避けるべきですし、遅かれ早かれ、悪しき学習の結果は破滅を招きます。だからこその「学習できるプロセス」とそれをドライブする「アジャイルの価値基準」という芯が重要なのです。これを読んだ方の「組織を芯からアジャイルにしたい」という気持ちを少しでも動かせたら嬉しく思います。

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