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数学、理科、社会、英語90点以上とったのに国語だけ45点だった私は、読書をすることで85点とることに成功しました✍️

こちらの記事を書こうと思った理由は、私が生徒だった頃に遡ります。

中学時代、私は学力テストで学年最下位でした。

私はヤンキーではなく、その辺にいるような普通の生徒です。

最下位をとること自体は不思議ではありません。

理由は簡単で、小学生の頃からずっと私は勉強嫌いだったからです。

両親が日本人で日本生まれ日本育ちなのに、なぜか日本語の言語運用能力が同級生より低かったです。

つまり、会話が全く成り立ちません。

例えば、「今度〇〇行こう!」と同級生に誘われても、「何で?」となります。

同級生に話しかけようとしても何て話しかけたらいいのか、全く分からず、その場に立ち尽くします。

小学校低学年の頃から私はゲームが大好きだったので、家に引きこもり、友達と遊ぶということを全くしてきませんでした。

そのせいかもしれません。

そうなると授業の内容も全く理解できません。

メモを取ろうにも取れないので、教員に「何でノートに何も書いてないの?」と言われたら「何言ってるのか分からないから何も書けない」と答え、「何が分からないの?」と言われたら「それも分からない」と答えます。

毎回こんな感じだったので、教員も頭を悩ませていました。

無理もありません。

当然、学力テストの結果も散々でした。

順位は分からなかったですが、同級生たちが「大丈夫か?」と心配してくるくらい酷い点数です。

ちなみに、過去最低点は全問不正解の3点です。

採点した教員が、私だけに「名前を漢字で書けてえらい! 3点あげる」とおまけしてくれました。

そのことが同じテストで満点をとった隣の同級生にバレてしまい、かるく一悶着あり、最終的にその同級生のものにも3点が加わり、前代未聞の103点答案用紙が爆誕しました。

親は何とか私の成績を伸ばそうと、私を塾に通わせました。

しかし、これが逆効果になりました。

ある程度はテストの点数が上がりましたが、国語に関してはからっきしだめで、問題を解いても解いても不正解の連続。

ついには講師が私のところに来て「なんでこんなに間違えるの?」と言ってきました。

当然、私は「分からない」と答えました。

分かってたら間違えないですから、こう答えるしかありませんでした。

講師たちも困り果てていたに違いありません。

私が当時通っていた塾は与えられた問題を黙々と解いて、3回連続で間違えたら講師が直接教えるシステムでしたが、私の場合何度も間違える上に、講師の解説を理解できなくて本当にどうしようもなかったのです。

「一刻でも早く家に帰ってゲームやりたい」という私の願いが叶わないので、私の勉強嫌いが始まりました。

そして、塾をサボり始めたときでもあります。

私は10歳にして人生初のサボタージュを実行しました。

当時をふりかえってみると、なんだかとんでもないことをしでかしたようなやってやったような、ドキドキとズキズキとワクワクが同時に湧いてくるような感覚でした。

以上のような経緯があり、私は勉強嫌いのまま中学に進学しました。

そこで勉強嫌いの成果が出て、悔しいことにヤンキーよりも順位が下でした。

制服を着崩して、授業中にガムを噛みまくり、メモも取らず、授業中に堂々と寝て、勉強を一切しないような生徒に負けてしまいました。

さすがの私も真面目に勉強しましたが、それでも約150人のうち100位だったので、「俺には勉強が向いてないんだ」などと悲観していました。

当時の同級生には偏差値60越えがかなりいて、5教科500点満点中400点をとっても順位が半分にすら達しません。

レベルが高いある生徒は、高学歴の教育自習生の授業内容に納得がいかず、自習生に問い詰めていました。

それほど私が通っていた中学の同級生のレベルは高かったです。

さらに、知り合いの先輩には小学生の時点で高校数学を学び終わっている人がいたり、学校だけで勉強して学年テストでトップ10に入る人がいたりと、当時の私が絶望するのも無理ないと思います。

しかし、あるカリスマ塾講師Aに出会い、Aに教えられていくうちにテストの順位を伸ばしていきました。

気付いたときには、中学の受験期には偏差値65になっていました。

しかし、

私の国語の平均点が50〜60点でした。

Aは東大や京大、早稲田、慶應、上智に何十人も合格させてきたくらいの凄腕です。

特に得意な科目が国語と英語なので、「なぜ国語がこうも低いんだ……」と唸っていたのをよく覚えています。

さらに、古典だと7〜8割とれていたので、私の現代文の平均点は10〜18点だったかもしれません……

国語が得意なカリスマ講師ですら根をあげてしまう程ですから、それは私にとっても絶望的です。

高校に入学してからも私の現代文の点数は芳しくなく、かなり勉強したときでも60点が良いところでした。

70点を取ったときが数回ありますが、上のと比べるとさほど勉強していませんでした。

ヤンキーに負けることはなくなりましたが、現代文の勉強を全くしていない同級生Bが90点代を何度も叩き出すことには、私の中から悔しさと憤りが同時に湧き出ました。

カリスマ講師ですら私の現代文の点数を伸ばすことは至難の業でしたが、いっそのことBに秘訣を聞いてみようと思い、「何で現代文の勉強してないのに、そんなに良い点数とれるの?」と聞いてみました。

すると、


「読書してるだけだよ」


とBは答えました。

「え? それだけなわけないでしょ。何か良い参考書とかあるんでしょ? もったいぶらずに教えて」と執拗に聞いても「本当に読書だけだよ。宿題以外で練習問題を解いたことは一度もないから」とBは答えました。

さすがにこの回答には驚きましたが、結果を出している人がそう言うのです。

読書をやるしかありません。

実は、当時の私は読書があまり好きではないのですが、渋々読み始めました。

苦しくて苦しくて仕方ありませんでした。

大げさだと思うかもしれませんが、水の中は息ができないから苦しいのと同じくらいの苦しみでした。

「本当に読書だけで点数が伸びるのか?」「というか、本の内容を理解できない!」などと思っていましたが、騙されたと思って半年続けました。

すると学力テストで、

現代文で85点をとれました。

宿題で出された練習問題を解くことと読書以外、特に何も現代文の勉強をしませんでした。

この結果に私は

「やったあああああああああああああああ」

と声をあげて喜びました。あの苦しい読書が報われた、と思うと涙が出そうになりました。

今となっては、ペーパーテストで高得点とったくらいで喜ぶように親や教員に飼い慣らされていたのだなと複雑な気持ちです(笑)。

何で読書と宿題だけで現代文で85点とれたのかな、と理由を考えてみると、4つ心当たりがありました。

1つ目は長文を読むことに抵抗がなくなったことです。

私は長文を見るたびに「うげえ」と口から出そうでした(笑)。

読書を続けていけば必然的に出題された問題文以上に長いものも出てくるので、「うげえ」の10乗くらいだったと思います(笑)。

読書のおかげで、問題文を見ても「なんだ。短いな」と思えるくらいにはなりました。

2つ目は文章を速く読めるようになったことです。

問題文は最初から最後まで読んでおくに越したことはありません。

私は活字離れが激しかったので、非常に読むのが遅かったのです。

それが読書をしていくうちにいつのまにか、まあまあ速くなっていたので最初から最後まで短い時間で読めるようになりました。

3つ目は行間を読めるようになったということです。現代文の問題文を読むとき、私は書いてあることばかりに目がいっていましたが、読書をしていくうちに書いていないことにも目がいくようになりました。

ここからが最も重要な心当たりです。

4つ目は出題者がどんな解答を望んでいるのか分かったことです。

現代文もそれ以外の科目もそうですが、学力テストの問題と答えを作るのは出題者です。

つまり、「出題者はどんな答えを設定しているのか」という忖度する能力が高ければ高いほど、正答率が高いのです。

極端に聞こえるかもしれませんが、問題の答えが実は間違っていても、出題者がそれを設定した以上、それが正解になります。

具体例を出すと、これは英語になりますが、“United kingdom”は連合王国なのに“United nations”は連合国ではなく「国際」連合になります。国際の英語訳に当たる”International”や”Global”、”World”が”United nations”のどこにもありません。

ついうっかり間違えたのか、意図的に間違えたのかはともかく、これは代表的な誤訳です。

しかし、科目によって忖度が必要とされる度合いは大きく変わり、暗記頼みな科目では忖度の能力は必要ありません。

覚えたらこっちのものです。

それに対して、現代文は忖度する能力が最も試されます。

だから、現代文で満点をとるのは他の科目で満点をとることよりも難しいのです。

出題者が設定した答えはそうそう変わりません。

出題者に「この問いの答えは間違っています。正しくは〇〇です」と抗議しても、出題者が答えを変えるとは限りません。

ついうっかり誤った答えを設定したなら訂正するべきですが、「この答えは絶対に正しい」と信じている教員ほど変えません。

答えが変わらない以上、不正解は不正解です。

とは言っても、実は答えを変える方法はなくはありません。

私が通っていた中学校の中間テストの結果発表のとき、数学の答えで生徒と教員が一悶着する騒動がありました。

生徒「〇〇(理由)なので、この答えは合っています! 不正解ではありません! 訂正してください!」
教員「いや。〇〇(理由)なので、これは不正解です」

などというように両者ともに譲る気は全くありませんでした。

騒動が終わる前に授業が終わったので教員の勝利かと私は思ったのですが、その生徒には強い味方がいました。

なんと、高偏差値で有名な某大学の教授(しかも数学科)をその教員のところに連れてきて、ディベートを始めたのです。

これにはさすがの教員も音をあげて、その生徒の答えを正解にしました。

しかし、このような手段はそうそう取れることではないので、やはり出題者が設定した答えを忖度するくらいしか有効な手段がありません。

2017年2月に行われた大阪大学の入試で、問題の答えが複数あったのに特定の答えしか正解にしなかったというミスがあったことが外部の指摘で判明しましたが、約10ヶ月後の同年12月になってようやく大学側がその間違いを認めました。

大阪大学も高偏差値な大学として日本国内で有名ですが、そのような大学に勤めている教員であっても、間違いの指摘を認めることは中々ないのです。

文章の解釈は人の数だけあります。

上記は物理の問題でしたが、現代文になれば答えは実質何通りもあります。

なぜなら、読み手によって文章の解釈が変わるからです。

例えば、中学の国語の授業中に走れメロスを私が読んだとき、「セリヌンティウスは勇気があるな。メロスが家族の結婚式に出たいからって処刑延期の人質になるなんて」と思っていましたが、同級生は「セリヌンティウスがお人好しすぎてメロスに騙されてる(笑)」「メロス強すぎない?」などと様々な意見がありました。

最近では、個人の多様性を大切にしようというような風潮がありますが(大体は虐められます。もちろん、読者の皆さんには加害者にも被害者にも傍観者にもなってほしくありません)、これに従うと現代文の問題の答えを何通りも用意しなければなりません。

そもそも現代文の問題を作るとき、本の一部分を切り取りますが、著者からすれば本は最初から最後まで重要です。

始まりから終わりまで通して読まないと、著者が伝えたいことが伝わりません(なのでこちらも最後まで読んでください!)。

「本一冊を読んでから問題に答えなさい」ならまだ分かりますが、それを一部切り取って

「このときの筆者の気持ちを選びなさい/何文字以内で書きなさい」

「下線部Aが示していることは何文字以上何文字以内で説明しなさい」

「下線部Bのときの主人公の気持ちで正しくないものを選びなさい」

などと出題するのはおかしいです。

正確には、

「出題者が答えだと思うこのときの筆者の気持ちを選びなさい/何文字以内で当てなさい」

「出題者が答えに設定した下線部Aが示していることを何文字以上何文字以内で当てなさい」

「下線部Bのときの主人公の気持ちで正しくないもの(出題者が作った答え)を当てなさい」

です。

最近では、同性愛や両性愛といった性別を超えた恋愛スタイルの人たちが珍しくありません。

私の知り合いにもいます。

中には、エッチしたい/付き合いたいと思ったことが一度もない、という人もいます。

生活スタイルが変わり、特定の住まいを持たず、ホテルやウィークリー/マンスリーマンションなどを1年に何度も転々として生活する人もいます。

車中泊で生活している人もいます。

婚外恋愛という結婚していてもよそで恋愛してもいいという決まりを作る夫婦もいます。

中には、エッチOKという人たちもいます。

最近では、セフレが多すぎてセフレマネージャーなるもの(私にもよくわかりません(笑))を雇っている人がいるそうです。

シンプルに男性/女性の服が似合ったり着やすかったりするという理由で、自分の性別とは異なる服を着る人もいます。

人の価値観が多様化しているということは、それだけ文章の解釈が異なるということです。

ただでさえ文章の解釈が実質無限に存在するのに、著者の意図が正確に伝わらない方法で出題し、長文読解の能力をはかるなどというのは本来なら言語道断ですが、残念ながらこれが変わるのには早くても10年かかります。

国民総出で毎日100件以上の上記のような意見を文科省や国会議員に送れば、5年もかからないかもしれません。

読書する上で重要なことは、最初から最後まで1回読んだからと言って全部理解したとは言えないということです。

例えば、刑法を1回読んだだけで全部理解できたという日本人はあまりいないと思います。

そもそも読みづらいということもありますが、ほとんどの小学生が微分積分を理解できないように、難しいことや知らないことはそう簡単に理解できません。

何度も読んで自分の中に落とし込むか、もっと分かりやすく解説している本を読むか、人に聞くかのいずれかしかありません。

それに加え、金融業をしたことがない人に金商法を見せても理解できないように、知識がなければ長文を読めても理解することはできません。

日本人の識字率は99%以上と言われていますが、行間を読む能力やリテラシーはかなり低いのではないでしょうか。

その証拠に、最近のベストセラーにはスピリチュアル本やヘイト本が見受けられます。

本来なら企画の段階でボツになるはずですが、出版業界は不景気な上に、そういうトンデモ本が売れてしまうから出版社は出してしまいます。

中には、「うちは売れる本なら何でも出す」と言う出版社の編集者や社長がいますから、ますますトンデモ本が世に出されてしまいます。

最近ではマスコミの劣化が激しくて目も当てられません。

英語を話せない/読めない/書けないはともかく、日本人の英語に対する苦手意識はかなり高めなので、外の情報に触れる機会が非常に少ないです。

さらにクロスマーケティング社の2017年の調査では、読書習慣がないと答えた人が約60%いました。2015年の調査だと約40%だったので、約50%も割合が増えています。

つまり、日本人は文字を読めるけど長文を読む習慣はあまりなく、リテラシーもなく、海外の生の情報にも触れないので、コントロールされやすいのです。

日本の将来が気になります。

話を戻します。

文字を読めるからと言って知識があるとは限りません。

こちらを読んでいるあなたは、日本全体では持っている知識が多い方に間違いなく入りますが、残念ながら多くの日本人は知識不足です。

だから、情報を鵜呑みにしてまんまと騙される人が多いのです。

知識があれば長文を理解できたり、行間を読めたり、騙されなかったり、貴重な機会をものにしたりします。

知識がなければ、いくら練習問題を解いたところで点数は上がらないので、意味がありません。

知識を身につけることが先です。

特に、

現代文は低得点なのにそれ以外の科目は高得点という読者は、この事実を受け入れるところから始めましょう。

そして、知識を得る方法で今のところ一番効果的なのは、読書です。

本屋に行けば分かりますが、教員が使っている検定教科書と並んでいる本の厚さを比べてみてください。

基本的に教科書の方が薄いと思います。

それこそ分厚い本だと500ページ以上あります。

私の家には約600ページの本が約80冊ありますが、さすがに読み切るのに時間がかかります。

知識を体系的にまとめるとそれだけ厚くなることは珍しくありません。

検定教科書の薄さくらいではどうやっても得られる知識が少な過ぎます。

生徒の皆さんには最低でも「教科書を1周するくらい余裕」くらいにまでなってほしいです。

15歳くらいまでの脳は丸暗記が得意なので、毎日教科書を一周すれば1ヶ月後には内容をかなり覚えているのではないでしょうか。

丸暗記できる時期にありったけの知識を詰め込めば、それ以降の思考が得意になる時期に役立ちます。

知識は多いに越したことはありません。是非、挑戦してほしいと思います。

私は評論も読みましたが、同時に小説も読みました。

評論と比べたらラノベや小説は非常に読みやすかったです。

登場人物の気持ちや行動動機などを問われたときに正解するためにも、小説を読むべきです。

いきなり小説はハードルが高いというのであれば、若者向けに書かれたライトノベルが良いと思います。

それでもハードルが高いというのであれば、漫画から始めても良いです。

もちろん、ちょっとずつ難易度を上げないと意味がありません。

慣れてきたらライトノベルや小説を読んでください。

小説を読むことに慣れてきたら、今度は読みながら脳内で映像にします。

白黒よりもカラーの方がよりリアリティが増して、登場人物の心情に近づきやすいです。

表情や動き、情景、心理などの描写を映像にすることで、小説の世界をより理解しやすくなり、設問にも答えやすくなります。

初めは疲れたり時間がかかったりするかもしれませんが、慣れればどうってことはありません。

ただし、テストのときは制限時間があるので、シンプルに映像にするくらいにとどめた方が良いです。

詳細な映像ほど情報量が増えて、消費エネルギーが大きくなるので、テスト科目の量と制限時間を考慮すれば、なるべく節約した方が良いです。

これは出題者がどんな人かを分析することから始まります。

例えば、40歳で短髪、身長170cm、独身、自家用車1台あり、賃貸マンション角部屋住みなどです。

ただ、あまりにもデータが多いと分析するのが大変なので、その人の特徴に絞ります(プログラミングできるなら話は別です)。

例えば、テストの出題者は教員か業者ですが、どちらも教科書をよく読んでいます。

さらに、良問や悪問の見分けがよくつきます。

また、易しい問題から難しい問題をバランスよくブレンドします。

テストに出してはいけないこともあるので、文科省の教育指導要領や教育委員会が出している教育の手引き(タイトル仮)も読んでいます。

テストの出題者が同じなら、何度も解いていくうちに出題傾向が掴めてきます。

先輩が持っている問題用紙を含めたらより詳細になります。

出題形式や問題や記述、選択肢の種類もある程度決まっているので、なるべくたくさんの問題を解いて、その傾向を調べます。

出題者が「ここ大事だよ」「ここテストに出すからね」などとキーワードを入れたときにメモに取れば、高得点に一歩リードできます。

また、身近な人に問題を作ってもらい、それを解くことをひたすら繰り返すことも有効です。

これをお互いにやり合うことも良いです。そうすると、出題者なりの気持ちが分かったり、問題を作るときのコツが分かったりします。

それを逆に利用して問題を予測することもできるでしょう。

お金があるなら、カリスマ講師のところに通うのも良いです。

ただ、私はここまでしなくても、読書の他に出題傾向や教員のキーワードや板書をメモしたくらいで現代文で100点満点中85点をとれたので、必要ないかもしれません。

やる気も環境も大事です。

上野千鶴子氏の東大入学式の祝辞をまだ読んでいない読者がいるかもしれませんが、氏の言う通り環境も大事です。

例えば、工事現場の目の前で単語帳を読んでいても集中できません。

学校で勉強していても同級生にバカにされたら腹が立ちます。

家で勉強していても親に虐待されたら逃げたくなります。

「将来は大学に進学したい」と言って全力で止められたらうんざりします。

このような環境よりも

例えば、静かで娯楽の要素がない部屋で単語帳を読めば集中できます。

学校で勉強していて同級生に励まされたら嬉しいです。

家で勉強していて親に「勉強に必要なものがあったら、何でも言って」と言われたら頼りになります。

「将来は大学に進学したい」と言って「分かった。お金は用意するから心配するな」と言われたら安心できます。

こちらの環境の方が比べ物にならない程、勉強に向いています。

人は環境から刺激を受けて、認知(思考)し、感情が出て、行動し、環境に影響を与え、それが誰かを刺激します(環境→認知(思考)→感情→行動→環境→……)。

つまり、私たちにとって環境は食事みたいなものです。

新鮮な食材で作った美味しい料理をほどほどに食べれば、良い気分になれて健康的な体を維持できます。

逆に、腐った食材で作った不味い料理をたくさん食べれば、気分も体調も悪くなります。

勉強以外でも環境は非常に大切なので、読者の皆さんも自分にふさわしい環境選びを心掛けてください。

そのためにも、邪魔な人がいたら遠慮なくブロックしたり、会いたい人がいたら遠くても会いに行ったりするくらいの心持ちでいてください。

ここからは読書や現代文に取り組む上で、役に立つ本をご紹介します。

評論はとっつきにくい文章であることが多いので、わかりやすい文章も大事ですが、とっつきにくい文章を読んでそれになれることも大事です。

また、論理的な文章を読むと、インチキな文章を見抜けるようになるのでおすすめです。

特に、苫米地英人氏の文章はよくできているので、氏の他の著書も読んでください。

現代文には小説の出題もあるので、私個人の嗜好が少し出ますが、参考になりそうな小説を出します。とは言っても、私は普段小説を読まないので、さらっと流しても構いません。

ハリウッドで実写化が決まりましたが、2050年まで語り継がれると太鼓判を押しても良いくらい名作です。

アニメ版もありますが、やはり一番は原作を読むことです。

様々なライトノベルを読んできましたが、ここまで凄いものは滅多にありません。

中学の頃、同級生の問題児とヤンキーがこちらを読んで号泣しました。

授業中に(笑)。

勘が鋭い読者なら読んでいる途中であることに気付きます。

中学の頃、これを読みましたが、不気味です。

この本から作られた問題を解いたことがありますが、それだけではこの作品の醍醐味は伝わりません。

大笑いし過ぎて死なないように注意してください。

これらに加えて、日本書紀や古事記、古今和歌集や太宰治氏、宮沢賢治氏、森鴎外氏などといった作者が既に死んでいる文学作品を読むのも良いです。

ここからは本ではないけど役に立つものを紹介します。

昔の私みたいに活字が苦手で読書してると苦しくて仕方がない、という人にはこちらから読み始めても良いです。

ただし、あくまでも練習なので小説や評論なども読んでください。

もし作者が今でも生きていたら、日本を代表する漫画家になっていたかもしれません。

そう感じた漫画です。

まんがで読破シリーズは古典を漫画で表現しています。

松井優征氏の漫画は終わりに向かってよく組み立てられています。

随所で高偏差値とアホを感じます。

性別に関係なく楽しめる恋愛漫画です。

これらに加えて、手塚治虫氏の漫画も良いです。

宮崎駿氏が漫画だと勝てないと言うほどの人物です。

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最後までお読みいただきありがとうございます。 お恵みしていただければ幸いです。

スキだっぺ!
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【スキ240達成】平根 貴仁

日々のインプットをアウトプットしますが、ジャンルを問わず学んでいるので、投稿の内容がゆるーい系やカタイ系、重い系、ビジネス系、海外系、セクシー系など多様です✒️ 動画を出すこともあります。
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