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競馬は複雑なゲームである(最終回)

競馬が複雑であるのは、計算不可能性という理由もある。計算不可能性とは、たとえば打ち出されたパチンコの玉がどこの穴に入るか予測することは不可能であるという問題。パチンコ玉の描く軌跡の複雑さは、それが打ち出される時の速さと方向に原因がある。ほんの少しの速さ、方向の違いによって、釘に当たるか当たらないか、玉同士がぶつかるかぶつからないかが変化してしまい、打ち出された玉が穴に入るころまでには、無限の変化が繰り返されることになる。たとえ同じ穴に入った玉でも、そこに至るまでの過程(軌跡)は違うはずで、2度と同じ運動をして穴に入る玉が現れることはない。

これが複雑な現象において見られる、初期条件(パチンコ玉の打ち出される速さ、方向)のわずかな違いが、その現象プロセスの結果(パチンコ玉がどういう動きをして、どこの穴に落ちるか)に極めて大きな影響を与える、という特徴である。北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークでハリケーンが生じるというたとえから、「バタフライ現象」と呼ばれることもある。

初期条件のわずかな違いが結果に大きな影響を与えることや、そのための計算不可能性といった複雑な現象の特徴は、競馬という複雑なゲームにも当てはめて考えることができる。たとえば、ある逃げ馬がスタートにおいて出遅れたとする。このことによって、道中のラップは大きく変わってくるであろうし、出遅れた馬はもちろんのこと、代わりに逃げることになってしまった馬なども、当初の予定とは違ったレースを強いられることになる。それにしたがって、各馬のコース取りも変わってくるだろうし、仕掛けのポイントも当然変わってくる。

このように考えていくと、わずか1頭の馬のわずかな挙動が、全体のレースそして結果にも影響を大きく及ぼすことになるのだ。たとえ全ての部分(要素)を数値化できたとしても、一旦レースが始まってしまうと各部分(要素)が大きく変化してしまうため、レース全体としての結果は、無限の広がりを持ってしまう。そのため、計算自体が不可能となることは明白なのである。「レースは生き物である」と言われるゆえんはここにもあるのだ。

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