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時代が変われば、ステップレースの意義も変わる。

かつて共同通信杯は、日本ダービーの試走としての位置づけであった。特に関西馬にとっては、東京競馬場のコースを一度でも本番前に経験しておくことがプラスになるという発想のもと、実際にナリタブライアンやジャングルポケットが共同通信杯をステップレースにして頂点へと登り詰めた。しかし、それ以降、パタリと扉が閉じる音がしたように、共同通信杯の勝ち馬が日本ダービーにつながることはなくなった。それだけではなく、距離もローテーション的にも近い皐月賞ですら活躍できないという異常事態となり、もはやステップレースとしては機能しないのではと見なされるようにさえなった。空白の10年間がある。

ところが、時代が変われば、ステップレースの意義も変わる。2012年にゴールドシップが共同通信杯を勝ち、その後、皐月賞と菊花賞の2冠を制したのをきっかけとして、イスラボニータとディーマジェスティが皐月賞馬となり、この5年間において共同通信杯の勝ち馬から3頭の皐月賞馬が誕生することになった。しかも、2015年に至っては共同通信杯を勝ったリアルスティールは残念ながら皐月賞は2着であったが、2着したドゥラメンテが皐月賞馬になり、続けて日本ダービーの栄光までも手にしたのである。これだけでも、最近の共同通信杯が皐月賞や他のクラシックレースと連動してきていることが分かるだろう。

なぜこのような変化が起こったかというと、最初は偶然にも成功者が出たからである。共同通信杯からぶっつけで本番に臨んだゴールドシップが皐月賞を快勝したことで、たとえ2か月の間隔が開いたとしても、きっちりと仕上げ直すことさえできれば勝負になるということに、他の陣営も改めて気づいたのではないだろうか。共同通信杯が日本ダービーのための試走としてではなく、皐月賞へ向けてのステップレースのひとつとして、はっきりと認識されたということである。

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