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自分を信じつづけることで、正しく賭けられる。

競馬を始めた頃、馬券が外れてはふて寝をしていた。悔しくて仕方なく、自分の感情を抑えることができず、ただ眠りに落ちるのを待つしかなかった。ときには胃液が逆流しそうになるほどの苦しみを味わうこともあったし、しばらくの間、言葉が発せなくなるほど動揺することもあった。ちょうど全能感に溢れていた若かりし時期でもあり、こちらが激しく思えば思うほど、馬券が外れたときのカウンター(反動)もそれだけ激しかった。たまに馬券が当たって有頂天になることもあったが、ほとんどはそうではなく、世の中と自分との間にある溝の大きさにその都度絶望した。週末になると、私は奈落の底に突き落とされ、一週間かけて再びはい上がる。そんなことを繰り返し、すでに20年以上が経ってしまった。

良かったと思えることは、自分が傷つけられることに慣れたことだ。毎週末、自分の考えが間違っていることを知らされ、思い込みを指摘され、現実は自分の思っているとおりにはならない事実を突き付けられる。本気で想えば思うほど、傷つけられるのだ。傷つけられたくなければ、もう競馬なんかさっさとやめてしまえば良いのに、やめるという選択肢はなかった。私にとって競馬をやめるのは生きるのをやめることに近い。何度傷つけられても、何度でも立ち上がって、とにかく生きる。四半世紀もこのようなことをしていると、打たれ強くなるものだ。

あなたが本気で馬券を買うならば、打たれ強くならなければならない。私たちが馬券を買って外れてしまうときの感覚は、ボクサーがパンチを受けたときのそれに近いのではないかと思うことがある。作家の沢木耕太郎氏は、モハメド・アリの言葉を引きつつ、偉大なボクサーとぼんくらなボクサーとの違いをこう綴った。

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