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競馬は複雑なゲームである(その2)

皆さんは、子供時代にプラモデルを作ったことがあるだろうか?私は、小学生の時にガンダムのプラモデルが好きで、よく作っていた記憶がある。作るプロセスは、部品を接着するという単純な作業の積み重ねであったが、それでも小学生の私にとっては、設計図どおりに組み立てる作業はかなり複雑なものに思われた。

部品の量が増え、種類も増えると、ますます複雑になってゆく。設計図にしても、部分図のパターンが増えると、全体図としては小学生の私を圧倒するほどの大きさになった。たとえ単純な部品の接着の繰り返しであったとしても、部品の量と種類が増加すると複雑度は増大することを、私は学んだ。

しかし、ある日、これとはまた違った種類の複雑さがあることを私は知った。

ある日、ガンダムのプラモデルに飽き始めていた私は、ぜんまい仕掛けの車のおもちゃを修理しようとしたことがあった。それは、ぜんまいのバネを動力にした外車のおもちゃであった。ネジを外して車を分解しようとすると、中には大小さまざまな歯車があり、渦巻き状の金属のバネが納まっている。一見したところ、車の中身もガンダムのプラモデルの部品に似た複雑さのように思えた。しかし、どんなに歯車を組み立て直しても車は一向に動いてはくれなかったのである。おそらくバネが壊れていて、弾性を失っていたのだろう。

おもちゃの車の修理の難しさは、私に本当の複雑さを教えてくれた。バネという動力を備えたこのシステムは、ガンダムのプラモデルとは異なって、バネの弾性に特徴をもっている。部品の歯車をいくら積み重ねても、そこにバネの弾性が加わらなければ、おもちゃの車の動力は回復しない。弾性は部品の和以上のものであり、それがおもちゃの車を動く複雑なシステムに変えていたのである。

ガンダムのプラモデルは1プラス1が2になる静的なシステムであるであるのに対して、おもちゃの車はバネ、歯車の間にある弾性という相互作用のために、1プラス1が2にならない動的なシステムということになる。

静的なシステムにおいては、「全体」がどれだけ複雑に見えたとしても、結局、「全体」は一つ一つの「部分(要素)」の積み重ね(和)によって成り立っている。そのため、「全体」を理解するためには、それを「部分(要素)」に分解した上で分析するという手法が極めて効果的になる。

その一方、動的なシステムにおいては、「全体」は「部分(要素)」の和以上となってしまう。なぜなら、部分と部分の間に相互作用が起こり、「関係」が生まれてしまうからである。おもちゃの車のたとえでいうと、歯車とバネの間に存在する弾性という「関係」である。

このように、各部分(要素)の間に「関係」が存在するために、1プラス1が2にならない、「全体」が「部分(要素)」の総和以上になってしまう動的なシステムこそが、つまり複雑であるということなのである。

そう、勘の良い方はお察しのとおり、競馬はまさに動的なシステムであり、複雑なのである。つまり、20世紀から現代に受け継がれる競馬予想理論における、「どれだけ全体として複雑に入り組んでいるものでも、それを一つ一つの分かりやすく、認識可能な部分に分解してから分析することによって、理解することができる」、という要素還元主義の考え方では、このような複雑なゲームを攻略することは出来ないのだ。

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