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ジョッキーを乗せる人びとの想いを想像しつつ、馬券を買ってみる

ダービー2着馬であるスワーヴリチャードの鞍上が、四位洋文騎手からミルコ・デムーロ騎手に乗り替わることになった。有力馬における騎手のスイッチは今に始まったことではないが、デビュー以来乗り続けてきたコンビが解消されたことには賛否両論が渦巻いた。日本の競馬ファンが、馬だけではなく騎手をも一体として見ていることを改めて認識し、私は少し嬉しく思った。かつて競馬は単なるギャンブルであり、馬は博打の数字、騎手は駒にすぎない時代があった。今、騎手は、サラブレッドと共にゴールを目指すアスリートなのである。

競馬ファンの目が養われる一方、騎手の技量や乗り方に対する目も厳しくなってきたのも事実である。世界中のトップジョッキーが短期免許で乗るようになり、外国人ジョッキーや地方競馬の騎手たちにも門戸が開かれ、中央競馬所属の騎手たちはかつてない競争にさらされている。そのような流れの中で、目の肥えた競馬関係者や競馬ファンは、期待馬には少しでも勝つ確率の高いジョッキーを据えたいという想いを強めている。

馬やその関係者だけのことを考えるならば、たとえば若手騎手や勝たせられなかった騎手から、トップジョッキーたちへの乗り替わりは当然だと私は考える。馬は勝たないと自分の存在を証明できなくなってしまうし、競馬は億単位のお金が動くスポーツである以上、そこに情のようなものを挟み込む余地は少ない。しかし、そのような合理性を進めてしまうと失ってしまうことがある。それは騎手を育てるということ。同じ馬に乗り続けることで失敗や成功を重ね、馬を助けたり、逆に馬に救ってもらったりする人馬一体の経験が積みにくくなってしまうのだ。

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