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note はじめました

僕の記念すべきnote初投稿は、最近気になった陸上選手について調べてみることにしました。

その選手の名前は、

川崎友輝(滋賀ユナイテッド所属/プロランナー)

なんと肩書はプロランナー。最近の陸上選手でのプロ宣言といえば、僕が「コーチ兼マネージャー」を務めている男子マラソンの神野大地や女子マラソンの下門美春選手ですが、2人と比較すれば川崎友輝選手の競技実績や知名度が劣っていることは火を見るよりもあきらか。

そんな川崎友輝選手が社員アスリート(いわゆる実業団選手)ではなく、プロランナーとして活動するとはいかがなことかと。興味をそそられる選手なので調べてみることにしました。

なんと、オフィシャルサイトがあります。
オフィシャルサイトの公式プロフィールによると、

出身地  滋賀県米原市
生年月日 1992年11月27日(26歳)
身長   178cm
体重   60kg

オフィシャルサイトの写真からして26歳には見えません。身長体重からはモデル体型をイメージさせられますが、果たして本当なのでしょうか。

略歴   
米原中学校→草津東高校→青山学院大学→DeNAランニングクラブ→サンベルクス→プロ転向(2018年10月より)

自己ベスト
5000m    13分57秒84(2016年)
10000m  28分44秒11(2014年)
ハーフマラソン  1時間04分12秒(2012年)
フルマラソン    2時間38分40秒(2016年)

今を時めく青山学院大学陸上競技部出身ながら、プロフィール詐称疑惑に見た目、そして自己ベストめちゃ昔やん…と少々怪しい彼が、昨年の10月にひっそりとプロ宣言。どんな人間なのかも気になりますよね。そもそもなんで青学に入れたの?むしろ本当に青学にいたの?なんで実業団は移籍したの?そしてなぜプロに?次々と疑問が浮かびます。更に調べていきましょう。

生い立ち~高校時代

滋賀県出身の川崎友輝選手。元々は野球少年だったようですが、中学1年生の時に父親と走ったホノルルマラソンが楽し過ぎて陸上競技を始めることになったようです。

高校は滋賀県の強豪、県立草津東高校に進学。3年時の沖縄インターハイでは1500mで決勝に進出して16位という成績を残していました。5000mでも高校時代のベストタイムは14分23秒60。世代トップとは言えないものの、全国レベルの選手であったことは間違いないようです。当時箱根路に存在感を示しだしていた青山学院大学にスカウトされたのでしょう。

青山学院大学時代

次に青山学院大学在学中の成績を調べてみました。

(在学中の主な戦績)
2011年 出雲駅伝4区 11位
2013年 箱根駅伝4区 13位
2014年 関東インカレ5000m 7位
2014年 全日本大学駅伝6区 区間賞

学生三大駅伝と呼ばれる3つの駅伝にも1度ずつ出場し、関東インカレ5000mでも入賞を果たしていることから「チームの主力選手の1人」だったといっても過言ではないでしょう。特に4年時は関東インカレ入賞に加え、全日本大学駅伝でも区間賞を獲得されています。にも関わらず、箱根駅伝の出走は無し。しかも川崎友輝選手が4年時は青山学院大学が箱根駅伝初優勝を果たした年ではないですか!

いったい何があったのでしょう。
ググっても情報が無いので、Twitterエゴサーチしてみることに。

川崎友輝選手、どうやら怪我で出場できなかったものの、その年のキャプテンで同期だった藤川選手への給水シーンが多くの視聴者へ感動を与えたようですね。確かに良い写真です。

川崎友輝選手が高校で全国レベルの成績を残し、青山学院大学でも活躍したことは事実のようです。思えば、自己記録も学生時代のものが多かったですね。卒業後に何かあったのでしょうか。ここまできたら引き下がれません。意地でも調べていきます。

実業団以降

卒業後は横浜DeNAランニングクラブに入部。横浜DeNAランニングクラブといえば、あの瀬古利彦さんが総監督をしている名門チーム。

しかしながら、入部から約半年で退部。一体何があったのでしょうか。

それからしばらく表舞台から姿を消していた川崎選手ですが、2016年秋にサンベルクス入社が発表されています。そして入部間もない、東日本実業団駅伝1区で6位の好走。ポテンシャルを示していますね。その後いくつかの記録会へ出場し、まずまずの成績を残していました。

しかし、2017年1月の全国都道府県男子駅伝を最後にレース出場の情報はありません、そして、2018年9月にサンベルクス退社、同10月にプロ転向を発表しています。

まだまだ疑問が絶えないですが、これ以上調べても情報がありません。こうなったら「なぜ実業団チームを2度も辞めているのか」「なぜプロに転向したのか」を直接聞いてみることにしました。

現在の川崎友輝選手はこんな感じです。

(髙木聖也)
髪の色派手ですね。

(川崎選手)
マラソン選手だと珍しいですが他のスポーツだと結構いますよね。
中田英寿さんや本田圭佑さんの考え方に影響を受けてるのもありますが、少しでも多くの人に覚えてもらうことや注目してもらうことが重要だと思って。それにアスリートやマラソン選手が髪型オシャレをしてはいけないっていうのも違うのかなと。あ、あと好きな陸上選手の真似ってのもあります。

(髙木聖也)
なるほど。でもなんで2度も実業団辞めたんですか?

(川崎選手)
。。。正直に言うと2度ともクビです。1度目は実業団に入って自由な時間が増えた中、逆に生活面が乱れてしまって。今振り返ると自己管理も出来てなくて、自分に対して甘かったですね。2度目は故障で結果を残せなかったのが一番の要因です。約1年半全くレースに出場できませんでした。

(髙木聖也)
それでも競技を続けたい、プロ転向したいと思ったのはなぜですか?

(川崎選手)
相談に乗らせて頂いた方のなかには「もう(引退しても)いいんじゃないか」「落ち着くべきじゃないか」といった助言を下さる方もいました。
年齢(26歳)もそうですし、結果も残せていないので当然の意見だと思いますし、僕も正直迷いました。でも「マラソン選手として成功する」という
昔からの夢を捨てきれなくて。それに今まで結果が出ない要因を環境や指導者のせいにしていた自分もいて「このまま引退したら後悔するな」と。プロになれば自分で練習メニューや環境、レース、指導者を選択できるわけで、言い訳は出来ません。そういった環境に身を置いて、競技をやりたいと思ってプロ転向を決断しました。

(髙木聖也)
みかけによらず結構考えているんですね。しかもyahooの記事拝見しましたが、既にスポンサー企業ともご契約されたんですね。どのような経緯だったんですか?

(川崎友輝)
スポンサー企業へは自分で営業をしました。企業のホームページに掲載されているメールアドレスにメールを送ったり、電話を掛けたりして。勿論、殆どの企業とは会うことすらできませんでしたが、幸いにも今のスポンサー企業と巡り合うことができました。正直、実績も知名度もない自分を支援してくれる企業があるのか不安の方が大きかったので、スポンサー企業には感謝しかないです。支援して頂く価値のあるアスリートにならいといけないと思っていますし、スポンサー企業とは
陸上/スポーツ振興といった分野で一緒に色々と展開していこうという話もしています。それに、大した実績も記録も無い状況でプロに転向した自分が、競技に集中できる環境を自分で作って、活動を継続して、結果も残すことができれば、後輩達が競技を続けるうえでの新たな選択肢を示すこともできるのかなと。なので目標であるオリンピック出場を本気で目指すことは勿論、少しでも長く現役を続けたいです。

 少しやんちゃなイメージもある川崎友輝選手ですが、色々な経験を経て少し大人なランナーになったようにも思えます。

今後の活躍に期待しましょう。

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