心の土壌を耕すために(後編)
前回は、感動データベースによって心が生まれることと、感動データベースの蓄積がもたらす弊害について書きました。
心の土壌とは、感動データベースのことです。つまり、感動データベースの蓄積がもたらす弊害とは、心がガチガチになっている状態を指します。
感動体験の捉え方は人それぞれの体験や感性が大きく影響していると思いますが、それをデータベースに蓄積する時、
受け取る人の心がガチガチになっていて、ここで言うところの弊害が起きてしまったら、その人は、その感動体験を適切に蓄積出来なくなってしまいます。
日本の伝説的ヒーロー桃太郎と金太郎
例えば、日本昔ばなしにおける、一般的な「桃太郎」と「金太郎」の話について、二人とも強い男の子で、動物たちを仲間にします。
桃太郎は、動物たちをきびだんごで手懐け、鬼を成敗します。一方で金太郎クマと相撲を取った後、そのクマと仲良くなって終わります。話の結末は、割と違っています。
けれども、多くの人にとって、同じようなデータとして、蓄積されているのではと思います。少なくとも僕はそうです。
おそらく、ポイントを整理すると、桃太郎は「強い正義感を持つ男が仲間と協力して鬼を退治すること」であり、
金太郎は「力持ちで、動物たちとも仲良く共存しようとする金太郎は超良いやつ」ということかと思います。同じパターンではありませんよね。
感動体験を適切に蓄積する土壌が大事
要はガチガチの土壌ではいかなる感動体験も、うまく染み込んでいかないということです。
映画や漫画やアートの他、実生活での様々な感動体験は、土壌に対する、日光や雨や栄養です。
土壌がふかふかであれば、これらは土壌に染み込んでいき、豊かな土壌をつくります。
そして、その豊かな土壌に撒かれたタネが「表現」という「芽」になります。だから、豊かな土壌を作ることはとても大事なのです。
ガチガチの土壌を耕すために必要なものそれは文学
サリンジャーというアメリカ文学の小説家がいます。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』で有名な人です。僕はサリンジャーが大好きなのですが、中でも『フラニーとゾーイ』という小説が一番好きです。
ネタバレになってしまいますが『フラニーとゾーイ』の中で「ふとっちょおばさん」という言葉が出来てきます。これは、物語に実際に出てくるわけではなくて、
物語の中で「みんなの心の中にふとっちょおばさんが居て、ふとっちょおばさんは独居で寿命が少ししか残されていないから、みんな心の中のふとっちょおばさんを悲しませないように」という会話があるのですが、
これがめっちゃいいんですよね。詳しくは読んで頂きたいです。何が言いたいかと言うと、この話は、僕に、心のあり方について教えてくれて、それが僕の土壌を耕してくれました。
文学作品は心の土壌を耕してくれる
文学作品は、人の生きざまや事象を言葉で深く追求することによって、追体験や追思考をさせてくれます。
これ、言葉ってことがめっちゃ大切なのだと思うんですよね。
その理由は自分で解釈しなければならないからです。
映像とか、何もしなくても入ってくるので、また、言葉とは全く違ったインプットですし、外的要素が大きすぎるんですよね。
人の生きざまや事象を、言葉を通じて、自分自身で解釈する過程の中で、この土壌が耕されるのかなーと思います。今回は、抽象的なことばかりで、わかりにくかったかもしれないので、
また、機会があれば、書いてみようと思います。いつも読んでいただいてありがとうございます。
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