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僕はeastern youthの吉野さんが大好きだ。吉野さんに僕は何度も励まされた。色々とうまく行かない時「クソったれ、それでいいんだよ」と何度も叫んで聴かせてくれた。

吉野さんに出会ったのは中学生の時に観たFUJI ROCKのLIVE映像だった。吉野さんは『たとえばぼくが死んだら』を熱唱していた。感情むき出しの演奏に僕は心を奪われた。

実は吉野さんに会ったことがある。田川の先輩達がやっているterror city TAGAWAというイベントで吉野さんのソロプロジェクトであるoutside yoshinoを田川に呼んでくれたのだ。

時々terror city TAGAWAのイベントのお手伝いをさせてもらっていたこともあって、その日のLIVEの打ち上げに誘って頂いた。会場は田川市の伊田という場所にある土筆(つくし)という居酒屋だった。

土筆には、古いジュークボックスがあって、100円入れたら一曲流すことができる。そのジュークボックスから流れる音が、とても良くて、一瞬にして、その場所を1970年代に変えてくれる。

吉野さんは、はしゃぎながら、そのジュークボックスで色んな曲を流していた。そんな吉野さんに話しかけると、とても優しく、酔っ払って舞い上がった僕の話も真剣に聞いてくれて、さらに大好きになった。

そんな吉野さんのこんなTweetで、トーチライトさんが書いた記事のことを知った。僕は吉野さんがしょうもない嘘をつかないことを知っている。「熱のある取材」という言葉に僕はただならぬ熱を感じた。

素晴らしい記事で、僕は、この記事を、今僕がやっている音楽や物書きなどの仲間に知らせずにいられなかった。僕はすぐにLINEで、バンドのメンバーやzineを作っているメンバーにこの記事のリンクを送った。

人の生き様には価値がある

このインタビュー記事は、最初から最後まで全てに熱があって、読み応えがあった。僕は泣いた。自分の生き方に対して「これでよいのだろうか」と悩み、憂鬱になっていた時だったからかもしれない。

このインタビュー記事の中には、僕を励まし、叱咤激励する言葉が沢山あった。詳しくは、上に貼ってあるトーチライトさんの記事を読んでいただきたい。

僕を励ますのは、簡単に言うと、吉野さんの生き様を表した言葉である。

生きることは、苦しいし、寂しいし、侘しい。人はみんな孤独だ。群れの中にいるあいつも孤独だし、それを見ている僕も孤独である。だから、何だ。それが生きることである。この記事を読んで、僕はそう感じた。

迎合しないこと、それはとても難しい。吉野さんは迎合することができない。「迎合」は「相手が気に入るように調子や意見を合わせること」という意味で、吉野さんは誰にも迎合せず生きているように感じる。

孤独であり続け、自分であり続ける。だから、寂しいし、侘しい。

でも、生きるとはそういうことなのである。

音楽しか出来ない弱さと強さ

僕は妻と結婚し、二人の子どもに恵まれて、地方公務員として働いている。ストレスで体を壊しそうになるし、仕事の他にやりたいことが沢山ある。けれども、不満を抱えながら、自分を誤魔化して生きている。

「こういう人間は、最後にどうなっちゃうんだろう」っていうか。その成れの果てを見届けようって意識はありますけどね。(記事から引用)

吉野さんが語ったこの言葉に僕は救われた。僕は自分を誤魔化して生きている。それは良くないことだと思うけど、多分、多くの人がそうしている。多くの人がやりたいことを諦め、器用に誤魔化しながら、不幸を感じずに死んでいく。

この記事を読み、この言葉と出会って、僕は「全部諦めない」と決意した。僕も僕も成れの果てを見届けようと思った。やりたいことを全部やって、どうなったとしても、必死こいて家族を守って、幸せに生きてやろうと思った。

この田川という田舎町には、幸い、仲間がいる。

吉野さんの絵

吉野さんが田川にいらっしゃった時、僕は吉野さんに会い、田川の仲間でzineを作っていることを伝え「何か描いてくれませんか?」と尋ねると、吉野さんは「いいっすねー。いいですよ」と絵を描いてくれた。

人の生き様を誰かに伝えることは価値がある。僕は、zineの活動を続けてきた理由の一つを思い出した。吉野さんみたいに人を励ますことは出来ないかもしれないけど、吉野さんみたいな生き様を人に伝えることは出来る。

色々と決意出来たし、頑張ろうと思った。吉野さん、最高。トーチライトさん、最高。LIVE観に行きたい。

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