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たかこ先生のレッスン徒然日記vol.33~初めての海外旅行からの転換期

町田市でピアノを教えています田中ピアノクラスの田中貴子です。
猛暑を通り越した毎日となってます。
皆様、元気にお過ごしでしょうか?
気が付けばブログ更新が滞りっぱなしになっていました。

初めての海外、最後の滞在はロサンゼルス。
アメリカ滞在2週間近くになってくると、食事は飽きてきて、味噌汁や白いご飯に卵かけが恋しくなってきてました。
慣れ親しんでいるからだけではなく、日本の食事は美味しいと心底思います。

通訳してくださった先生のお宅

ロサンゼルスでの目的は当然ディズニーランド!まだ東京ディズニーランドがなかった時代。
ミッキーマウスが入り口のところで手を振ってやってきた時には、アメリカ滞在中、一番興奮しました。が、残念ながら、当時の写真はなく。
アルバムにはディズニーランドのチケット、ポストカードが貼られています。
写真を撮って下さってた方と別行動だったからなのですが、今は皆さんそれぞれにスマホ片手にどこででも写真や動画が撮れて、SNSですぐに投稿できて、友達とシェアもできるすごい時代ですけど、記録に残すということが簡単には出来なかった時代がほんの数十年前にはあったんですね(笑)
こうして初めての海外旅行は、多少のアクシデントはありましたが、とても楽しく過ごして無事に帰国することができました。

小学3年生くらいから夏休みを利用して、親抜きで数日間のサマースクールや講習会に参加していましたが、2週間親抜きは初めてのことでした。これをきっかけに、という訳ではありませんが、一人で行動するようになったのはこのあたりくらいからだと思います。

アメリカに同行してくださった師匠のお宅も、バス2本乗り継いでいく所でしたが、その後、小学校卒業するあたりから通い始めたピアノの先生のお宅はバスと電車2本乗り継いで都心まで2時間かけて通う所でした。
毎週日曜日に通っていましたが、親が同行することはなく毎週欠かさずに通いました。

なぜこんな遠くまでレッスンに通うことになったのか・・・
小学校卒業する前、私は大きな選択を迫られることになります。
音楽の道を進んではどうかという師匠からの提案でした。
「やってみても良いかな」初めはそんな感じでした。
音楽を勉強するということがどういうことなのか、
音楽学校に入るためには何をしたら良いのか、自分が音楽学校に入れるレベルがあるのか
まったく分からない状態からの出発でした。

そして最初の出発点から躓くことになります。
ピアノに関して言えば、
テクニックの基礎が曖昧。
当時定番だった教則本をほとんどやっていない。
手も指もほとんどできていない状況でした。

ソルフェージュに関して
楽譜が読めない・書けない
適当には読み書きできましたが、移動ドで書いてしまうこともしょっちゅうだったので、聴音しても正しく記譜するのに時間がかかってしまう。それと同じで歌うときもドレミにするまでに時間がかかってしまいました。それまでルルル~♪と歌っていても問題なかった。

こんな状態でしたので、受験対策としてのピアノの先生、音楽教室はことごとくお断りされてしまいました。
それでも師匠は根気強く先生と聴音ソルフェージュを見てくださる先生を探してくださいました。
今、本当に感謝していることはこの師匠の根気強い導きがなければ到底今の私はいなかったであろうということです。
師匠にとって私のどこに可能性を見出だしていたのかは今もって不明です。

その時師匠と約束したことは
「ピアノも聴音ソルフェージュも勉強したことは毎回まとめて報告すること」
「やめたくなってもやめないこと」
「高校に落ちたら落ちた時に将来を考え直せば良いから、最後まで諦めないこと」
この報告は高校受験が終わるまで続けました。そして誰よりもこの約束を大事にしたのは母でした。
泣かない日はなかったくらい辛いことの連続でしたが、母はなにがあっても「(師匠に)勉強したことを報告しなさい」とそれだけは守らせました。
ソルフェージュはノートにまとめて数ヶ月ごとに提出、ピアノは毎回電話で報告。
楽譜を見ながら、注意されたこと、次の宿題など手短かに説明できるようにすごく考えながら電話していたのを今でも覚えています。
何年も続けているうちに、練習ポイントを理解する力がなんとなく身に付いた気がします。
さぞかし上手くなっていくだろうと想像されると思いますが、

うーん

私は自分でも呆れるくらい不器用だということが分かったのです。。
新しい曲になると初見できない、譜読み遅い、両手でなかなか弾けない。

耳コピの弊害を一目で見抜いた先生が
譜読みの際のレコード禁止令を出したのです。音源のない状況で楽譜を見ただけで脳内で音楽を作る力、これが全くなかったのが、
私の偽らざる当時の「実力」でした。
何十曲も弾けていた曲の全てが真実からは遠い解釈だったと気が付くのに時間はかかりませんでした。

どうしてなかなか受験のために教えようとしてくださる先生が見つからなかったのか、今はよく理解できるのです。

お読みくださってありがとうございます。
なかなか自分のことを真っ正直に書くのは難しいと感じますが、なにかの参考になればと思って書くことにしています。
マイペースで更新していきます😊


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