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【75】百年の計を立てようと思うならば、人を育てることしかない

こんにちは!

今日から1週間、フィリピンのカガヤンデオロというエリアの公立学校は「ブリガーダ」と呼ばれる大掃除週間?大掃除イベント?です!私も支援先の学校に大掃除に行ってきました!6月から始まる新学年に向けて、学校を綺麗に掃除しようというやつですね!

さて、今日は、最近心に留めている名言?について!

1年の計をたてるならば、種をまけばいい
10年の計をたてるならば、木を植えればいい
100年の計をたてようと思うならば人を育てることしかない

これは、私の尊敬している先生が教えてくださった言葉です。これは、菅子の

一年の計は穀を樹うるに如くは莫く、十年の計は木を樹うるに如くは莫く、終身の計は人を樹うるに如くは莫し。
一樹一穫なる者は穀なり、一樹十穫なる者は木なり、一樹百穫なる者は人なり。

(和訳)
一年の計は穀物を植えるに及ぶものはなく、十年の計は木を植えるに及ぶものはなく、終身の計は人を植えるに及ぶものはない。
一を植えて一の収穫があるのは穀物であり、一を植えて十の収穫があるのは木であり、一を植えて百の収穫があるのは人である。

という名言にあったものを易しく言い換えたものだと思うのですが、フィリピンに来て、教育問題について考えれば考えようとするほど、この言葉に立ち返ることが多いです。

今目の前にある事実に対して課題と捉えるのか、そうでないのか、とか、もし課題だと定義して解決策を考えるのならば、どんなものをゴールとイメージするのか。どんな問題にも解決策はたくさんあります。でもどんなゴールをイメージして解決策を決めるかによって短期的にはいいことかもしれないけれど、長期的に見たらそれはもっと大きな課題の解決を阻害しかねないものかもしれない。など、すごく考えます。今は自分の中でひとまず考えを固める時に、この言葉を思い出して、本当に人を育てることとは、と考えてやっている最中です。

それにしても、毎日泣きたくなるくらいわけがわからなくて、苦しいです。ああー苦しいー!って叫ばない日はないくらいです。踏ん張れ自分!!

さて今日の詩は『自分で自分を褒めること』

毎日
苦しいな
悔しいな
悲しいな
と思うことはたくさんあるし
反省することもたくさんある

できなかったことばかりに目が向くときもある

でもそんな時こそ
自分で自分を褒めるんだ
できたことはちょっとでもあるはずだから

ちょっとずつちょっとずつ
自分に”まる”を出していきながら
その”まる”の大きさを大きくしていこう

以上!頑張った自分を褒める詩でした!

また明日!!


参考



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