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受け取り方。

人にはヒトそれぞれの基準がある。

それは言葉一つとってもそうで。懐かしのアドラーの”嫌われる勇気”じゃ無いけど私も同じ様にずっと考えて来た。

”同じ様に同じ言葉”を発したとしてもそれが”受け手”に依り+にもーにも変わるのだ。”誤解されない様に”とどんなに言葉を尽くしてもバイアスが掛かってる相手には大変に伝わり難くなる。”そんなつもりで言ってないのに”と言う事が生じる。

”あほ”と言う言葉を吐いたとしても関西では悪い意味はなく”愛すべき”あほ、、なのに対して東京だと”キツイ”と取られやすい。でも受け手が発し手の背景を観察して熟考すれば、強いては言葉だけでは無くその人の日頃の行動だったりを観察していれば相手の発した言葉の”本意”は見えてくると思う。

残念ながらいわゆる人生経験は余り無い人はそれを”自分の持つ基準”だけで測って受け取り一人でキズ付く。傷付く前に聞けばいいのに”聞く”行為さえできないと言う。

私は昔から良く色んな方から相談を受ける。相談と言うか人と深い話になりやすい。深い、深い話。今現在の行動を取る原因となっている過去の要因や”それが何故なのか”と言う原因を探る話。

ここに二人相談者がいる。Aさんは結構壮絶だけどやってる事も結構飛んでるけど底抜けに明るい。やたらに明るいpositive powerが有る。

B さんも表面上は明るい。でも一旦中を開くと私には先に進む事を”進みたい”と言いながらどこかで嫌がっている節が見受けられる。どちらかと言うと自己否定がかなり強い。それも証拠の無い妄想の自己否定。

側から見ると人生の壮絶さはAさんで有る。

彼女達に同じMsgを送ったとしよう。反応は如実に異なる。                                        Aさんは”あ、大丈夫、大丈夫!!応援だと思ってる!!全然気にして無いよー”           Bさんは”傷ついた。私だってずっと頑張ってる。皆んながTakakoみたいに考えてる訳じゃない。”

”あーーこれだ!”と思うのだ。この場合Bサンにはもう何も言わない、と思う。”答えを出したい、前に進みたい”と言いながら”自分のcomfort zone”から出られずに、そして実際に行動による解決策に行き着く事なく考え続けるタイプだ。

こう言うTypeに私ももう何も出来ない。どんなにアドバイスをしたって道標を指し示したって結局”自分でそれに気付くか、そして行動を起こすか”なのだ。

ぶっ飛んでるAさんは”言葉はキツイけどそこに込めた愛”をきちんと感じ取り前に進もうとしてくれている。3ヶ月、6ヶ月、1年でこの二人の人生には大きな差が出てくると思うのだ。

”どーせ私は”的発想はぶっちゃけ大人になってから出てくる人はキツイ。小学生、中学生ならよく有る話だが私の出会う人は子供では無いのだ。

でもこの”極度に傷付くのが怖い”大人や、”どーせ私なんて”ちゃんな大人が多いのも日本の特徴かもしれない。


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