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Diversity

多様性。

日本ではとても遅れている概念。

Takako Hottaの理念の一つにこのDiversityが有る。と言うか当たり前のことなんだけど。一人一人全員顔も考え方も肌の色だって同じ人種でも違う。全く何もかも同じ人間なんて一人も居ない。

異性を好きになるのか、同性を好きになるのか、働き方や子育ての仕方、関係性の作り方すら何もかも違う。

ただ。日本はみんな基本的には同じ人種で同じ言語を喋り”規律、一律”を良しとする。個性よりも協調性、特異性よりも同調性。で結果。金太郎飴みたいにどこを切り取っても似たり寄ったりな人が溢れかえった。

そもそも。移民だらけのアメリカや、100種類以上の民族が集結してる中国や、違う国同士が陸続きで沢山集合してるEUは右を見ても左を見ても”多様性”しか無い。

その”多様性”が当たり前の地域ではこれまた当たり前に”Communication"を取らないと元々みんな”自分とは言葉も文化も違う”人達なのでそもそも社会の中で生きていけない。

そんな多様性を私は初めて小学生で海外に出てから結構見て、感じてきた。

だから”自分の考え”は”自分のCore”にはなるけど”絶対”なんて一度も思った事はない。それこそ”他人様には他人様”の考えが有り押し付けるつもりも毛頭ない。

ただ。”突っ込む”。 話の中に”解せない事”や”筋が通ってない事”があれば”突っ込む”

それを答えられないので有れば、それはその人の考えですら無いのだ。だって”突きつめて無い”んだもん。笑

突きつめて考えて無い人に結局私が何を言っても無駄だろう。自分の中で答えが出てない人に私が私の答えを与えても”腑に落ちる”筈が無いのだ。

人って”腑に落ちる”からこそ納得するんだろうし、自分で見つけた答えだからこそその先に進めるのだ。

私は”どMか!!”って位とことん自分の痛みと向き合って来た。痛くて痛くて心臓えぐれるかも、苦しすぎて息が出来ない、と思った時も”その痛みに止まる”事はせず痛みを抱えたまま走って来た。そして走りながら考え続けて自分の腑に落ちる答えを見つけてきた。だってそうでもしなきゃ先前に進めなかったから。

そしてそんな感情に”絶対縛られない”為にも向き合う事は必須だった。

”過去の経験”から得た”痛み”に怯えて、その先の人生を”楽しく無い”ものになんて絶対したくなかったのだ。

”過去の感情の奴隷”になってたまるか!!と自分とも戦ってきた。

それが”Takako Hotta”の人生の選択なのだ。

有る人は”私はTakako じゃ無い”と言う。

そりゃそーだ。笑 私は唯一無二のTakako HottaでTakako Hottaと言う生き物で自己をある程度確立している。

”Takako Hottaになれ”なんて一度も誰にも言ってない。

ただ不思議に思うのは。”ずっとそこに留まって考え続けて答えが出ず苦しいなら何故違う方法を試さないんだろう?と言う事。

もし会社を経営してて商品作っても売れなくて、そしたら作り続け無いよね?他の方法模索するのに何で個人的な悩みは一人で堂々巡りし続けて答え出ないのに別の方法取らないんだろう?

人生どう動くかは完全に”自分の選択”なのだ。今苦しい所にいるなら”抜け出す”方法を考えればいい。

”でもでも、だって”と”出来ない理由””やらない理由”を探している限り状況は変わらない。


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