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自信はどこにも落ちて無い。

これは女性に多い気がするが。

”私実は自分に自信がなくて、、、。”

と言うのをよく聞く。それも”ずっと自信なくて。。”と。

日本の”謙譲は美徳”精神がいきすぎちゃって”行き過ぎた謙譲が自己否定”に繋がっている、そんな女性を暫し見る。(この真逆がアメリカ。行き過ぎた自己肯定感で”え??”って人が凄い格好で歩いてたり自分に自信満々だったりする。笑)

で、”どこに具体的に自信が無いの?”と聞いてみると余り明確に答えが返って来ない。勿論答えが明確な場合も有る。

私の場合は脚。笑 脚が自分で美しいと思えないから脚は基本的に隠す。でももし本当にどうしてもどうしても脚がコンプレックスで”コレのせいで私の人生が、、、”と思っていたとしたら、多分何が何でも脚を綺麗にする為に凡ゆる手段を試したと思う。

が多分私の場合”ま、脚モデルになる訳じゃ無いし脚で食ってく訳じゃ無いからいっか”とどこかで思っている節は有る。だから”脚はコンプレックスだけど、、、”まあまあまあ、、、と言う具合だ。

高校時代自分に自信なんて全く無かった。楽しい高校生活だったと思うがコンプレックスの塊だった。下手に地方の名門校に行っちゃったから偏差値高いのが神!って思っていた節も有り”自分は駄目なんだ”と思っていた。

と言うかそう思う方が多分楽だったのだ。純粋真っ直ぐちゃんだった私は前の席の超優秀な子が”全然勉強やってない〜”と言うのを真に受けてなのに偏差値80近い国立医学部を現役で合格するのを見て”出来る人は頭の構造が違うんだ”と思った。

いや、違うって。と後から判るのだが彼女はめちゃめちゃちゃんと”お勉強”していただけなのだ。

妹が彼女と同じ大学の医学部に現役で行ったのだが妹は”きちんと”逃げずに一つ一つ努力して”お勉強”をしていた。私みたいに”ちょっとやって”出来なかったら投げたり”なんとなく”解ったつもりで通り過ぎたりせず、諦めたりせず”何が何でも判るまでキチンと”自分と向き合って勉強していた。

つまりココだと思うのだ。

”頭がいい人””綺麗な人””何かに秀でている人””自信がある人!”

に対して”あの人はああだから、、、””持って生まれた物が違うから”と人は往々にして”自分とは違う”所を見つけ自分を安心させ納得してそのままやり過ごす。そしてそれが積もって人生を過ごすうちに何となく上手く回らない、人生楽しく無い時、何かを失敗した時に”何か不安”で”ずっと自信が無い”自分に気づく。

でもそれって実は自分で歩いて来た道程が作って来た自分なのだ。

自信に溢れた人って多分とことん限界まで逃げずに自分と向き合って努力して来た、若しくは”何となくの不安”を”自信が持てない原因”をきちんと向き合って、探って解消して来た人なのだ。(たまには何処からその自信は湧いて来たんだ??!と思える位間違った自信満々な人は居る。笑 コレは例外)

自分に自信の無かった私が今は自分を少なくとも好きだと言える。何があっても自分から逃げ出さない自信は有る。

それは有る目標を掲げた時に”ここまでやってダメならもうそれは仕方ない”と思えるまでやり切った経験や、無謀に思えた事を成し遂げた”経験”が、ドン底に落ちても這い上がって来たその”体験”が 私に自信を与えてくれたのだ。

自信は降って来るものでも湧いて来るものでも無い。

自分で取りに行くものなのだ。







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