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日常

著名人の急逝が続き、心にぽっかり穴の空いたような気持ちがある。どの方も亡くなるにはお若い年齢ではあるが、と同時に自身の加齢を感じた。子供の頃は実感しえなかった「いずれ訪れる死」というものが年々身近になっていく。そういうことをしんみり考えつつも、また別の日常に戻りBL漫画を読んだりアイドル動画を見て楽しんでもいた。

今は何もする気が起きない、という感情が起こり実際に何も手につかない日々を過ごしたのはやはりある著名な方の自死だった。私は知り合いでもなければ特別その方のファンというわけではなかった。だが、とても悲しかった。身内にも自死した者がおり、その時でさえ悲しいという感情はわかず、ただ実感がなかった。正直今もない。なのに、その方の死は引きずった。それにまつわる色々なことを考えすぎたせいもあるかもしれない。同業者であることも大きかったかもしれない。同世代であることも。何かを発信するということが改めて恐ろしくなったのも影響している。
私自身に希死念慮があるかというと起こることはある。そういう時は本当にふとしたきっかけだ。そんな折に身内のそれを思い出す。

話は脱線したが、事故も病も自ら選んだ死も日々どこかで常に在り、自分はそのことに度々心を悼めてはしばらくするとまた忘れる。やがてふと思い出して悲しみの残滓のようなものを得る。そうして毎日生きている。

最近pixivFANBOXというのを始めました。オタク日記というプランでほぼ毎日なにかしらワーキャー叫ぶように綴っています。そこについ場違いな記事を上げてしまった。……という気が今ならする。鳥山明先生とTARAKOさんのご逝去を受けてのものだったのである意味オタク日記でも良いのだろうけど、この記事だけ文体も内容も違ってかなり異質です。芦原妃名子先生や身内の死のことにも触れている。noteの存在はすっかり忘れていて今日思い出したのでこちらに移しておくことにしましたが、noteは日々のつれづれなんかを書く場にしたいかな。noteにもオタク日記を書いていたけど。相変わらず曖昧で雑然としています。

noteもFANBOXも(今のところ)全記事どなたでもご覧になれます。なんとなくの棲み分けでこれからもぼちぼち続けていければ良いなという感じです。

それでは今日はこの辺で。
明日もよろしくお願いします。

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