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時間の所有鍛錬

大事なことは、時間にあやつられるのではなく、時間をあやつることなのではないだろうか。いま、とくに、忙しいときほどゆとりをもつ、ということを感じる。

時間は光と重力の性質を持ち、進み、ゆがませ、まわりを引き寄せる。強くて大きい時間は小さな弱い時間をゆがませ、取り込んでしまう。だから忙しい時ほど、自分の時間を大きく育てて中心に置き、物事や周囲を漂わせるようにする。

周りに飲み込まれないよう、周りを飲み込まないよう時間と時間との距離に気を配る。もし周囲の時間引力に負けてしまうとそこには考える快楽が生まれにくい。考えることが面倒な場合はそれでいい、ただスリルを楽しみたいときなんかは、すごいスピードの時間が流れてきて、それに乗って流されるのも気持ちが良い。そしてレースに『勝ちつづけて』いくのも素敵なことだと思う。

(それを「考える」というひともいるけど僕が言っている「考える」はそういう矢印の形をしたものではなく、もっと丸に近い波紋のようなもののことで、ようは時間には矢印のような進み方や波紋のような進み方があるんじゃないか。もっといろんな形があってもいい。)

でももし考えることがなによりも楽しいと感じるなら、時間の流れはいったん止めて貯めて観察したほうがうまくいく気がする。なぜなら波紋だから。波紋は貯めないと立たせようがない。流れていると波紋は起きない。あ、あと、時間はこの世界には存在しない。動きや変化は存在するけどそれは時間とは違う。時間は実は誰かが何かをコントロールするために生んだ指標にすぎない。

だからいくらでも自分でコントロールできる。ときには様々な物事の時間さえ止めてしまうような、時間の所有方法をもっと鍛錬しよう。時間は止めたり、伸ばしたり、早回しに動かしたり、混ぜ合わせたりすることができる。そうすればどんどん考える時間は増える。幸せなことだ。それはたぶん社会からすると、どんどん面倒な奴になるっていうことで、それも幸せなことだ。

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