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解決しなくてもいい『問題』

児童精神科外来には、いろんな悩みを抱えた親子がやってきます。そして医療者というのはとかくその問題を解決しようとするのですが…

問題そのものと、困っていることの違い

困っている事態と、その本質がきちんと繋がっていないことが往々にしてあります。
例えば「学校の宿題をちゃんとやらない」という訴えだった場合。でもその子は頭が良くて、授業をちゃんと理解したいたり、友達と上手くやっていたりする。
この場合、宿題をやらないという『問題』は、果たして『困っていること』なのでしょうか?

ほかにも「友達と一緒に遊ばない」というケースの場合。でも本人は休み時間は一人で楽しく好きな本を読んで、充実した時間を過ごしている。
あるいは「授業中にそわそわして落ち着きがない」などもそうです。
こういったケースでは「(大人の思う)あるべき姿」ではないですが、子どもたちは果たして『困っている』のでしょうか?

そもそも『問題』なのか

先ほど挙げた『問題』は、大人から見ると確かに改善したくなる気がします。
一方で、子ども本人の気持ちだったり、あるいは多様なスタイルの子どもがいるということを考えた時に、果たして解決すべき事項なのかどうかは議論の余地がありそうです。
自分が困る訳でもなく、周りに迷惑をかける訳でもない。一般的なスタイルとは違うけど、まあナシではない。

解決しなくてもいいことはたくさんある

なので、こういうことは解決しなくてもいいのかなと思います。実際に学校現場では『問題』そのものよりも『困っているかどうか』ベースで対応の優先順位が決まっていきます(それはそれで潜在化する問題があるので難しいところですが…)。
子どもの行動が標準から外れている点を修正しようとするのではなく、「困っていること」=「子どもたちが感じていること」を優先して扱っていくのも支援の一つの切り口です。

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