見出し画像

望郷の念

連休は一部実家に帰っていました。
祖父の満100歳の誕生パーティーのため、親戚一同17名ほど集まり、我が家でお祝いをしました。それはそれですごいのですけど、それはさておき…

東京に出てきた時から、地元に愛着が湧くようになりました。姫路にいたのは高校生までで、そのあと10年以上を愛媛で過ごしました。悶々とした10数年間ながらもプライベートは楽しく、一生の友達もできました。仕事ではいろいろと苦悩を抱えていましたが、総合的には不満のない暮らしをしていたと思います。
小児科の研修を終えて関西に帰ろうと思っていたのですが、色々なご縁があり東京へ。そしてそのまま居座って今に至ります。

上京してみると、とにかくいろんなことが刺激的で何も考える暇がありませんでした。東京は楽しい。しかし、数年前に祖父母が一時体調を崩したこともあり、ちょくちょく地元に帰るようになりました。

これも上京あるあるなのかもしれませんが、自分が何者でもない場所に出ると、人は自分が何者かを考えるようになるのかもしれません。
姫路には年に数回帰る程度ですが、見える景色は毎回少しずつ変わってきています。
頑張って再開発した駅前、変わらない建物、祖父母の老人ホームから見える山並み、中高の先輩後輩たちが地元で頑張っている姿、そこらで聞こえる関西弁、姫路駅の入り口から振り返って見る姫路城、ホームに入ってくる「山陽新幹線」、、、
ここで自分ができることはないのかな、と帰るたびに考えています。

とはいえ、今の刺激的な環境を捨てて帰るかのかと言われると、答えは出ません。始めたばかりの仕事もあるし、患者さんたちもいます。

ふるさとは 遠きにありて 思ふもの
と室生犀星は言いました。
地元でずっと過ごすことを具体的に考えている訳ではありませんが、自分の根っこがそこにあると、いつも感じています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?