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『研究』の目的

今日は大学院のゼミ発表でした。
(実は細々と大学院生をやっています)
慣れない研究発表をしつつ、教室員の皆さんに有意義なフィードバックを頂ける、ありがたい時間でした。

研究の意味はどこにあるのか

僕の所属している大学院は、教授の方針もあり「その研究が社会にどう貢献できるのか」をしっかり考える人が多いです。
一つの研究結果、一つの結論をどうやって社会に還元するか、社会的な課題に対してどう意味づけていくかをとことん考える、という意識が全体に浸透しているように思います。
ジャンルが社会疫学なのでなおさらなのかもしれませんが、研究のための研究をしている人は見当たりません。
一つの結果が出た時に、それが自己満足ではなく、どこのどんな人にどんな風に役に立つのかを考えることを求められますし、そこが研究の醍醐味だと思わされる環境です。

研究と現場の狭間で

自分で研究をやってみて、科学的な研究というのは論拠が不安定なものだと感じることも多々ありました。少しデータの属性が変わっただけで大幅に解析結果が変わったこともあります。その時は解析をしていて恐怖を感じました。「これでいいのか」「この結果で大丈夫なのか」と。
ただしそれもエビデンスの一つで、他の誰かの研究結果が積み重なってきたときに、おそらくより真実に近いことが見えてくるのだということも、最近になってようやく分かった気がします。

また、自分が研究者として未熟なこともあり、目の前の研究結果がどういうふうに現場の患者さんに還元されていくのかイメージしにくかったことも葛藤でした。自分が、全体を見るよりも目の前の一人が気になるたちであることもそれに影響しているかもしれません。
最近は少しだけですが、大きく引いた目で全体を眺められるようになったと思います。それに伴い、どうやって研究結果が現場につながっていくのか、少しだけイメージが湧くようになった気がします。

現場の仕事は目の前の一人を救う。
研究は、見えないたくさんの人をきっと救う。
どちらも大事な仕事なのだなと感じる今日この頃です。

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