教員の忸怩たる思い

今年度から、学校で働いています。
スクールカウンセラーをしています。
※今回はなんとなく小学校をイメージしてもらうと良いです。

公立学校教諭のいま

学校は、勉強や友人関係などいろいろなものを学びに来るところです。
無償で教育を受ける機会を保障するというのはとても大事なこと。

一方で、中間層以上の人にとっては、教育はある程度アレンジがきくものです。
塾でも、習い事でも、子どもに学びを提供する場はたくさんあります。

昔は、学校の先生と言えば優秀でエラい人でした。
子どもだけではなく、親からも、地域からも尊敬され、信用され、一目置かれる存在でした。先生が言えばそれが正しいし、子どもが先生に怒られる時は子どもが悪いことをしたと見なされたものです。

しかし現在、教員の地位は急速に低下しています。
公立学校以上の勉強内容を提供する塾も多く、生活や考え方も多様化しています。
「先生」に対する信頼と尊敬が揺らぎ、親だけでなく子どもも「先生」を侮ることが増えています。

それでいて、教員に求められることは多いです。
30-40人の子どもを相手に、いろいろなコンテンツをきっちりと教えなくてはならない。
基礎知識と能力にバラつきがある自己制御の弱い集団に対して、一定の時間でこれだけの内容を理解させろ、というミッションがある。その後ろにはスポンサーがいて、気に入らないと文句を言ってくる可能性がある。
ミッションコンプリートはかなりの難題です。

先生たちのため息

僕が学校現場で見ている限り、それでも教員たちは真摯です。
この出来の悪い子に、この生意気な子に、このめんどくさい子に、どうやったら必要な内容がちゃんと届くか、どうやったら楽しく学校に来てもらえるか。
放課後の職員室はそんな話題でもちきりです。
子どもからも親からも文句を言われ、心が折れそうになりながら、それでもその子にとって何がいいかを考えている人たちです。
ベテランの先生などは、昔を思い返しながら、いま自分たちが置かれた無力な環境にため息をつきながら、それでも話の最後には「どうやって学校に意味を見出してもらうか」という話題になっていきます。

教員はもっと評価・尊敬されるべき

ここまで自分をすり減らして真摯に子どもの未来を考えている人たちが、もっと敬われてしかるべきだと思っています。学校で働いて3か月、教員という仕事が世の中に本当になくてはならない仕事だと、改めて思っています。

もちろん一部の変な教員がいることは承知ですが、大半の先生はひたむきに子どもの未来を考えています。
誰よりも一番未来への貢献をしている人たちが、もっと認められる世の中にしていきたいものです。

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