『チェンライという街にて』 1997.4.30


『チェンライという街にて』     1997.4.30

 チェンマイからチェンライまだはバスで4時間ほどの距離でした。 バス停で降りるともう一人ザックを背負った日本人がバスから降りてきました
 髪はややな長髪気味で僕より少し年上に見えました。話しかけてみるとチェンライでは僕が予定していたのと同じゲストハウスに泊まるつもりとだとのことであり、一緒に宿まで行くことにしました。

 彼の名前は重本さん、26歳。僕より学年では二つ下になります。彼は僕と同じく仕事を辞めてきたらしく、アジアの国々を3~4ヶ月かけて回る予定だとのことでした。重本さんとはこの後4週間近く行動を共にすることになります。
 

 ゲストハウスはお寺の裏手にあり、静かで落ち着ける場所にありました。宿代はシングルルームで60バーツ(約300円)になります。僕がチェンマイに来た目的はトレッキングでした。チェンマイで行っていたトレッキングはあまりに俗ぽかったので、チェンライに純粋なるトリッキングを求めてきたのです。

 そのゲストハウスにはもう一人、日本人がいました。上奈路(かみなろ)さんと言って、大学を卒業したばかりの22歳の女の子です。彼女は「これからどこ行くの?」と聞くと、3日後に三輪さんという人のつてで、少数民族の村に行くとのことでした。話を詳しく聞いてみると、チェンライの街外れに三輪隆(みわたかし)という人がおり、その人はボランティアで少数民族が学校へ通うための“寮”を経営しているといいます。

 彼女はバイクタクシーの運転手に偶然に連れて行ってもらったようで、そこで彼女が三輪さんと話したところ、数日後にラフ族という少数民族の村に三日ほど滞在する予定があるといいます。なんでも、皆さんのボランティア活動には芝浦工業大学にあるゼミが支援しており、寮の設計も芝浦工大の学生がやったとのことでした。今回芝浦工大の学生がラフ族の村を訪れるにあたり、三輪さんが引率することになっているようなのです。

 僕はチャンスだと思いました。お金を出してトレッキングに行ったのでは純粋なる少数民族と出会うことは出来ません。観光客に“お土産を買え”としつこく言い寄られた少数民族では、会いに行ってもしょうがありません。僕は翌日その三輪さんに会いに行ってみることにしました。


 翌日、僕は重本さんと共に三輪さんの所に向かいました。 ソンテウ(簡易タクシー)乗り場まで行き、寮の名前である“サクラ”と言うと、運転者すぐにわかったらしく、すぐに車を走らせ始めました。この辺りでは“サクラ寮”はけっこう名が知れているようです。サクラ寮には5分程で着きました。

 郊外にあるその寮はひっそりとした静かな場所にあり、中を覗いてみても人の気配はありませんでした。「こんにちは~」。僕と重本さんとの二人で声を張り上げていると、中から小柄な40歳ぐらいの髭を生やした人が現れました。顔は黒くタイ人かなと思ったのですが話を聞くと、その人こそは三輪さんでした。

 僕がサクラ寮を訪問したのはもちろんラフ族の村へ行くのに便乗させてもらおうと思ったからです。ただしもし迷惑ならばやめようと思っていたので、その感触を確かめに来たのです。多分三輪さんは駄目だとまずは言わないでしょう。ただし美輪さんの態度に少しでも困ったなというそぶりが見えたら辞退しようと思っていました。

 三輪さんはやはり「一緒に来ても構わない構わないよ」と言ってくれました。でもそれは“喜んで歓迎する”というふうでもなく、また“来てほしくないなー”というのとどちらでもなく、判断しにくい態度でした。しかし僕は三輪さんの話を聞いてるうちに『このチャンスを絶対に逃すべきではない』と思えてきました。始めは遠慮がちに考えていたのですが、“多少図々しい態度に出ても出てもう連れて行ってもらおう”と思うようになりました。

 重本さんは少し迷っていました。というのは、“僕ら旅行者がボランティアの組織の中に入って何ができるのか?”という疑問が僕らの中にあったからです。他のメンバーから見れば僕ら旅行者は“単に興味本位で冷やかしてきている”と思われるのではという心配がありました。

 僕としてはその問いの答えとして、『今は何もできなくてもしょうがない。ただ今は何かと何かを感じ取ればいい。そしてもし自分の心に感じるものがあればその後の行動に帰ればいい』と思っていたので、僕は一人でも連れて行ってもらうつもりでした。結局僕ら二人とも二日後にラフ族の村へと行くことになりました。

 翌日は僕と重本さんそして上奈路さんと三人でもう一度サクラ寮に行ってみました。タイでは今の時期夏休みにあたり、ほとんどの寮生は村へと帰っていました。でも何人かの寮生が残っており、彼らが先日あった際に「明日山登りに行く」と言っていたので、僕らも一緒に行こうと思いサクラ寮まで来たのです。しかし残念ながら彼らはもう出発した後とのことでした。残念がっていると三輪さんが来て、「彼らが帰ってくるまでビデオでも見てて」とビデオをかけてくれました。

 ビデオは4月の後半にテレビ東京で放映されたドキュメント番組でした。舞台はサクラ寮。そして主人公は三輪さんでした。早稲田大学を卒業してフォトジャーナリストとして活躍していましたが、少数民族の生活に魅せられボランティア活動を始めるまでの道のり、異国の地にて活動する時の苦悩、そして生徒たちとともに生活することの喜び。ラストの場面は寮生が卒業していく際の“お別れ会”の場面でした。

 それまで賑やかにはしゃいでいた寮生が三輪さんの最後の言葉を聞く段になり、急に静まり返ります。三輪さんは最初は流暢に言葉が出ていたのですが、しだいに言葉につまり始めました。このころになると隣に座っていた上奈路さんの方がシクシクと泣く声が聞こえてきました。

 このドキュメントは圧倒的な臨場感をもって僕らはに迫ってきました。僕らが今いる場所が舞台となっており、今私の隣に座ってる人が主人公なのです。僕はドキュメントを見て初めて三輪隆という人がどのような人物であり、どれだけすごい人のかを知りました。明日からのラフ族の訪問が楽しみです。


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