見出し画像

INFJが嫌なこと4つをINFJ-Aが解説(YouTube)

INFJの嫌なこと

あなたは「INFJ」ですか?

私はINFJ-Aに分類されますが、特に対人関係においては苦労することがとても多い人生であったと感じています。


16Personalitiesによる診断結果(参考)

今回は「INFJが嫌だな感じること」を4つピックアップしてnoteに書いていきたいと思います。

なお、以下に記載する文章はすべてYouTubeで私が語った内容を文章の体裁で整理したものになります。

動画媒体で流し聞きも可能ですので、その場合は下のYouTube動画をご覧ください。


① 知らない人を勝手に呼ばれる

まず1つ目はプライベートの予定に対し「知らない人を勝手に呼ばれる」ことです。

皆様御存知の通り、INFJは人付き合いを厳選する癖があり、これは自身が人付き合いでかなりのエネルギーを消耗してしまうためです。

心理機能の観点で考えると、外向的感情Feによって利他的に動いてしまうため、近しい人のための行動であればいいものの、あまり気の置けない人たちに対する気遣いは消耗してしまう、ということです。

そのため、端から見るとINFJの人付き合いは独特に感じられるかもしれません。

私自身も好きだなと思える人と付き合えていれば十分という感覚があります。

そのため、例えば仲の良いAさんと遊びの予定を立て、いざ当日、Aさんが私の知らない誰かを連れてきた際は非常に困惑します。

私としては「Aさんとの時間」を楽しみに当日を迎えたわけですが、見知らぬ人がいると、上述の通り、「気疲れしてしまうFe」が働くため、その日はほぼほぼ楽しめなくなると言ってよいでしょう。

また、遊びの予定を立てる際にもこれは当てはまります。

Aさんと遊びの予定を立てている際、Aさんに「誰か呼ぶ?」と言われると、なんとも複雑な気持ちになることがままあります。

ワガママだなと我ながら感じますが、Aさんとの時間(=楽しめるであろう時間)の話に対し、楽しめない可能性(=私が知らない人の合流)が割り込むと萎えてしまうわけです。

INFJは基本的には1対1の関係性を好むため、INFJと接する際は他の関係性はあまり出さないほうがよいのかもしれません。

② 他の人の気持ちを考えていない行動

2つ目は「他人の気持ちを考えていないような行動」です。

INFJは自己犠牲的(利他的)な側面がありますから、私の気持ちが配慮されない場合は「まだいい」として、私以外の誰かの気持ちに配慮が感じられない行動や態度は見ていてげんなりすることが多いです。

例えばですが、私が大事にしているものを壊される、これはまだギリギリ許容できる時があります。

一方で、私にとって大切な人が大事にしているものを壊される、これは許容できないことが多いです。

上記した例は一例ですが、INFJは心理機能として外向的感情Feの働きが強く、常に「他人のため」を行動指針に盛り込む特徴があります。

そのため、「全体の調和」や「個々人の尊重」を命題に掲げることが多いですが、そういったINFJが望む理想像と反する態度は許容できないわけです。

③ 意味が感じられない騒ぎ

3つ目は「意味が感じられない騒ぎ」です。

私自身適応すべきと感じていた「打ち上げ」「飲み会」の類については、学生生活から全く楽しむことができず、苦しんだ過去があります。

INFJは「物事の真理」「魂の交流」なるものを重要視するため、表層的な会話で盛り上がることが多い場は不得手であることが多いです。

また、そういった場の多くは「多人数」であることが多いため、個人を焦点とした外向的感情Feの行使が得意なINFJにとっては、そういった多人数向けのFeをうまく扱うことができず、「どういった自分で臨めばいいのか?」迷子になることもしばしばです。

そのため、飲みの場に参加した際などはドッと疲れて一人になりたいと感じることが非常に多く、なかなかどうしてこの社会に適応するのは難しいなと感じざるを得ません。

ただし、私自身も当てはまりますがそういった類の場を否定しているわけではなく、態度としては単純に「私が適応できないから私抜きでやってくれ」というものです。

参加する個々人がその場を楽しめて調和が取れているのであれば、良い場であるという風に解釈するわけです。

人とのコミュニケーション自体は好みますが、それは個人を相手としてゆっくりとお互いの人となりを語り合う場が好ましいですね。

④ 人を試そうとする

そして4つ目は(特に実利的な観点で)「人を試そうとする姿勢」です。

平たく言えば「使えるか、使えないか」という尺度で人を解釈する姿勢を指します。

感覚的に不快感を感じることが多いほか、基本的な人との接し方について、そういった評価軸は不適当であろう、と感じています。

もちろん社会に出れば、個人評価として人(というか成果)の良し悪しを定量的に判定することがしばしばですが、この仕組み自体は賛成の立場です。

一方で、プライベートの場などで上記した判断軸(使える/使えない)を用いる人に対しては「私と感性合わないな」と感じてしまいますし、もう少し言えば、「そういうあなた自身は使えるのか?」「あなた自身の評価はしっかりと出来ていますか?」という煽りが私の中に浮かんできます。

そういった人に対し、外向的感情Feを行使しないと決めた闇落ちINFJは、相手の弱点について理論武装して論破することがしばしばあるかと思います。

なぜならINFJの価値観として、人の価値は実利的に役に立つか否かという尺度ではなく、もっと奥ゆかしい世界観によって決まってくると考えるからです。

(そもそも、人に価値付ける….という考え方もなんともなところですが)

まとめ

今回は私の経験談も交えつつ「INFJが嫌なこと」を4つ記載しました。

嫌なことの中心には常に「外向的感情Fe」が位置しており、その判断基準として「全体の調和を取るためのFeの有無」であったり、INFJにとって重要な関係性については「INFJに向けられるFeの有無」が挙げられるでしょう。

「集団」を対象とする場合は「集団(他人)に対する気遣いが重要(集団(他人)向きのFe:INFJに対する気遣いは無用)」と考えるのに対し、気の置けない友人に対しては「INFJに対する気遣いが重要(個人向きのFe:個人個人の関係を意識してくれると助かる)」と関係性によってFeの解釈が微妙に異なる点が興味深いですね。

記事の感想をコメントいただけると幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?