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大江戸茶屋

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江戸時代をテーマにした記事を集めました。江戸の町中でちょっと一服。お茶に団子でも頬張る気分で、ゆっくりご覧ください。
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記事一覧

なぜ日本人は「忠臣蔵」が好きなのか? 赤穂浪士討ち入りの実際を探ってみよう

かつて年末の日本の風物詩の一つに、「忠臣蔵」の上演、上映がありました。昨年の年末、私は久しぶりに本所の吉良(きら)邸跡(本所松坂町公園)と高輪の泉岳寺(せんがくじ)の義士祭に出かけてみて、外国人を含めた観客の多さに驚いたものです。あれから4ヵ月。まさか外出もままならない事態になっていようとは、まったく予想もしておりませんでした。 それはともかく、少し前までは日本人の誰もが知っていた「忠臣蔵」や赤穂浪士(あこうろうし)ですが、最近の若い人には認知度が低いようです。義士祭でも、

えっ、こんなにあったの? 江戸時代のカレンダーは「年中行事」で埋まっていた

4月に入り、本来であればお花見のシーズン。でも、今年の桜は映像や画像鑑賞に留めて、楽しみは来年にとっておきましょう。 ところで皆さんは、年中行事というと何を思い浮かべますか? 2月のバレンタインデー、3月のホワイトデー、4月の年度替わりの歓送迎会……? まあ、現代ではこれらも年中行事といえるのかもしれません(歓送迎会も今年は自粛の方向でしょうね)。実は年中行事と呼ばれるものは昔から季節ごと、月ごとにあり、江戸の人々はそれらを大いに楽しんでいました。本日はそんな江戸の人々の生活

あの柳生の剣豪は嶋左近の孫だった

江戸と尾張に分かれながら、 数々の剣豪を輩出した柳生(やぎゅう)家。 その最後の剣豪は、 関ヶ原で勇名を馳せた嶋左近の孫だった。 一瞬の勝負 その日、江戸城内では人ばらいの上、3代将軍徳川家光上覧の剣術試合が行なわれた。 立合うのは将軍家兵法師範江戸柳生(やぎゅう)家の当主・柳生飛騨守宗冬(ひだのかみむねふゆ)。いま一人は尾張藩の兵法師範柳生連也斎巌包(れんやさいとしかね)である。 流派は双方とも新陰流。 勝負は一瞬でついた。 3尺3寸の木刀を中段に構える宗冬に対

地下鉄でこはだ小平次の幽霊に遭う

小幡小平次をご存じだろうか。 江戸っ子が大好きなコハダの鮨のことではない。 江戸時代の怪談でよく知られた役者の幽霊である。 あの葛飾北斎も、小平次の絵を描いている。 北斎が描いた小平次の幽霊 昨晩、帰宅途中のこと。地下鉄で座席が空いたので腰かけると、目に飛び込んできたのは、蚊帳の上から、半分骸骨になって、血走った眼で中をのぞき込む不気味な顔の絵。 「あ、この顔、見たことがある。こはだ小平次の幽霊だ」 と内心思いながら、「しかし、なんでこんな絵を持ち歩いているんだ?」と

徳川将軍の諜報組織「御庭番」とは

忍者や忍びというと、荒唐無稽な存在と私たちは考えるが、 スパイと言い方を変えるとどうだろう。スパイは現代でも 世界中で、諜報活動に暗躍していることを誰もが知っている。 忍者とは、江戸時代以前の日本で諜報活動に従事した者たちだ。 その中に、徳川将軍直属の「御庭番」がいた。 薩摩藩主を驚愕させた「蘇鉄問答」 「蘇鉄(そてつ)問答」と呼ばれるエピソードをご存じでしょうか。 江戸時代後期の徳川11代将軍家斉の時。江戸城に伺候してきた薩摩藩主・島津斉興に対して、将軍家斉が声をかけ

江戸の「難読」地名

独特の読み方をする地名は全国にある。 江戸の地名も例外ではないのだが、そのまま 現在の東京で使われているものも少なくない。 あなたはすべて読めますか? サラッとどうぞ。 Q 以下の25の江戸の地名を読んでください 1.高輪 2.市谷船河原町 3.八代洲河岸 4.神田佐柄木町 5.神田多町 6.松枝町 7.安針町 8.小塚原村 9.本所相生町 10.石神井 11.練塀小路 12.采女ヶ原 13.金助町 14.巣鴨御駕籠町 15.牛込払方町 16.通油町 17.檜物町 18.

「東京の地名の由来」に見る江戸

東京に限らず、地名はその土地の歴史を示すもの。 区画整理などで昔ながらの地名が消えていく傾向にあるが、 地名の由来を知れば、新たな発見もあるかもしれない。 江戸の記憶を伝える東京の地名、サラッとどうぞ。 千代田区 霞ヶ関(千代田区霞が関)・江戸以前からの地名で、日本武尊(やまとたける)が蝦夷(えぞ)征伐の際、ここに関を設けたなど、いくつかの説がある。 九段(千代田区九段北、九段南)・傾斜地に9層の石垣を築き、幕府の御用屋敷を建てて、九段屋敷と称したことに由来。維新後、石段

若年寄・田沼意知刃傷事件に使われた、「世直し大明神」の刀

江戸城内で起きた刃傷事件といえば、 忠臣蔵の浅野内匠頭が吉良上野介に斬りつけた松の廊下が有名です。 しかし、実はそれ以外にも刃傷事件はたびたび起きていました。 そのうちの一つで使われた刀のことで以前、相談を受けたことがあります。 若年寄・田沼意知を斬った刀 今から十数年前のことです。 仕事で知り合ったある方(Aさんとします)から、「プライベートのことなのですが」という前置きで相談を受けました。 Aさんの家に、先祖から伝わる一振りの刀があるそうです。昔からあるのではなく、

人骨と一緒に過ごす話

最近、ある住宅で大量の人骨が見つかり、ニュースになった。 一方で、部屋に大量の人骨を置いて研究を続けた学者もいる。 地中から江戸の人骨2,000体を引き上げた河越博士の研究とは。 住宅で大量の人骨が見つかった事件 ここ数日、テレビなどで、東京都足立区の住宅から500体分の人骨が見つかったと、騒がれています。 住宅の敷地には標本会社の倉庫があり、骨は数十年前に標本用にインドから輸入した外国人のものであったということです。 ニュースでは、住宅の庭に無造作に置かれていて、通

江戸の痕跡 神田お玉ヶ池界隈

かつて江戸の神田には、お玉ヶ池という池があった。 その規模はなんと、上野の不忍池よりも大きかったという。 しかし幕末の頃までには池はほとんど埋め立てられ、 界隈には、多くの著名人が塾や道場を開いていた。 今日は天気もよいので、江戸の痕跡を求めて、近所をぶらぶら散歩することにしました。 家から秋葉原や神保町に向かう際、通過するのが神田お玉ヶ池界隈。とはいえ今、池はなく、商業ビルとマンション、民家が建ち並んでいます。 まず目指したのは、大門(おおもん)通りにある弁慶橋跡。 弁

江戸の町は骨だらけ・・・らしい?

東京の地下には、当然ながら江戸の遺跡が眠っている。 地面を掘れば、遺跡が見つかることも不思議ではない。 そして遺跡が墓地の場合、夥しい骨が現われることになる。 およそ地下3mに眠る江戸 昨日、近所を散歩した折、千代田区岩本町2丁目の弁慶橋跡のあたりでマンションの建設工事をしていたことはすでに書きましたが、建物の基礎のためか、それとも地下を造るのか、パワーショベルでかなり深くまで掘っていました。 立ち止まって、柵越しに、穴の底を眺める私。土の質のことは、よくわかりません。