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多動性の不登校児

私は多動性の不登校児だった。
自己中な言動ばかり繰り返すから親にも先生にもよく叱られた。
けれど怒られてもピンと来なかった。
悪いことをしたいと思っているわけではないから。
だから指導をさせていただく側に回った時に、
怒られても腑に落ちない子どもの気持ちがよく分かる。

大人になった今も一つに集中すると後は全て飛ぶ。
気になる文章があるとキーボードを打ち続ける。
頭の何処かで足が寒いと思っても止まる事は難しい。
身体が冷え切って、結果布団に入る頃には喘鳴になる。
制作が楽しくなると気になって眠れなくなる。
積み重なると睡眠不足に陥って爆発的な食欲に繋がる。

多動性は赤い靴を履くと止まれない。
ずっと人生のバランスを取るのに苦労する。
忘れ物をしない。
人の話を集中して聞く。
思いを語りすぎない。
間違えないように数字の桁を書き込む。
帳尻が合うようにする。
いつでも掃除と整理をしておく。
どれも私にはとても難しいことだ。
だからいつも緊張して疲れる。

これを良くとれば才能が豊か。
悪く言えば社会不適合者という。
義務教育で抱えていた辛さ生きにくさは、
美大に行って楽になった。
住む水が同じお魚が沢山いる。
住んでいる水が同じでも種類は全然違う。
派手な衣装をつけて華麗に泳ぐ者もあれば、
水底にうずくまって微動だにしない者もいる。

多様性もオールオッケー。自分の人生だもの、
自由気ままに生きようよと干渉されるのを嫌う。
そのユルさをたまらなく楽に感じた。
私の両親は教育者だった。
勉強机の引き出しの検査をするような父親だったから、
家はリラックスできる港にはならなかった。
亡くなるまで自分を理解してもらえる事はなかった。

ゲームなど与えた日には、
中毒になるまでやっている永遠の3歳児だ。
起き抜けにゲームのオープニングテーマが頭に鳴り響いて、
“これはマズい。”と気がついた。
普通なら距離を置きたい種類の人間。
けれど長年側にいてくれる人は逆の解釈をする。
“先生だから子どもの気持ちが分かるのよ”と。

おそらく子どもの気持ちを代弁する事が、
私に与えられた才能なのだ。
どうすれば子ども達の短所と思える才能を活かす事が出来て、
好きなことをして生きていく方法を身につけられるか?
4半世紀をかけて理解した。
そこを追求することをしなかったら、
何をやってもダメな自分に絶望しただろう。

ある人にとってはものすごく簡単なことでも、
ある人にとってはものすごく難しい。
理解も行動も。


私は人を助ける事が使命だ。
自分の痛みを分かってもらえなかった生育環境。
理解が進んだ今は親を責められない。
親は親で必死だったのだろう、
距離ができた今ではそう思える。

全ての争いや諍いはただの理解不足だ。
神様がそう教えてくれた。
誰も責めなくていい世の中を作る。
いろんな人がいて良い。
気に入らない奴も喋りたくない奴もいる。
でも攻撃しなくていい。
そう思える人が70億人になればいいんだ。
これから始まる伝言ゲーム。
みんなに参加して欲しい。
必ず幸せになれるから。

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