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トライアル&エラー(挑戦と失敗=試行錯誤)

“先週からInstagramを始めました。
OKしてくれる人の作品だけ撮影させてもらいます。
画像はインスタやnoteの表紙にさせて下さい。
ご協力よろしくお願いします。”と、子ども達にお願いしたら、
みんな張り切って素敵な作品を描いてくれて嬉しかった。
彼等からは、助けてあげようの気持ちをいつももらっている。

昼間、長年の親交がある保護者と雑談をした。私にはインスピレーションをもらえる、巫女やシャーマンのような人がたくさんいる。
みんな私の努力に応じて手を差し伸べてくれるのだが、この方もそんな一人だ。
お子さんを家に置いて“話を聞きたい”と夜遅くに記念展に出直してくださったことがあった。

自分の話を聞きたいと足を運んでくださる方がいる。
その体験は、私が頑張って自分の声を世の中に広めていこうと思う気持ちの背中を押してくれた。
話していると、自分の気持ちが整理されてやりたい事がより明確になる。
そして頑張ろうと思える勇気をもらえるのだ。
信頼に足る人間でありたいと思う。

もちろん彼女は何を望むわけでもなく、ただ素の私を応援してくれている。
社会的な地位や名声があるわけでもなく、富もない自分。
そのトライアル&エラーを見守り続け、“手伝える事があれば何でも”と声をかけてくれる。
助けてくれる子ども達。見守って下さる保護者の方々。
幸せな時間を重ねている。

子ども達が想像力をフル回転させて作品に向かっている姿を、ただ眺めているのが好きだ。
究極お手伝いできることは、消しゴムのカスを片付けコンテと木炭の粉が入り混じってドロドロになったテーブルを拭くことぐらいでは無いかと思える。
試行錯誤して、描いては消し描いては消しする子ども達。

アドバイスをする術を知らないと言うことではなく、これが良い!と思って無心に描いた作品に批評を加えるのは違うと思ってしまう。
私は私の生きてきた分の世界と価値観しか知らない。
未来を生きる種を内蔵している彼等の、想像力の芽を積んではいけないと思う。
やり切ったと感じる子は直したがらない。

一人の子が描いた作品のタイトルは「昔の芽が生きている」
サソリと蛇と糞転がしがいる。
種がパラパラとこぼれ落ちフンを栄養に双葉が伸びる。
何やらタロットカードのように示唆的な絵だ。
小さな芽の下には力強く張った根。
ん?これもシンクロかな?
私も頑張って花を咲かせなくちゃ。そう思った。

そう言えば、美大の教授も言っていたっけ。
“何か言った端から、貴女たちの作品が変わるのが嫌だから何も言いたくない”と。
その頃は、どうしてもっと見てくれないの?なんのための授業料なの?と思っていた。自分が指示待ち症候群であることに気がついていなかったのだ。
答えは自分で見つけるもの。

占いに頼りすぎる私の扉が開かないのは、
失敗を避けて合理的に物事を進めようとした結果、
実力になっていないからだと最近気がついた。
一生懸命やっているつもりで、
圧倒的にトライアル&エラーが足りない。
言い訳だけれど、失敗を避けて育てられ半世紀。
価値観にないものは、気がつく事さえ難しい。

失敗をするから得るものがある。
失敗を経て手に入れてこそ自己肯定に繋がるものになる。
そんな視点は日本の子育てにも圧倒的に欠けているように思われる。
できるなら可愛い我が子に苦労をさせたくない。
勉強さえ頑張らせれば、苦労しなくても良い未来が手に入る。と
ばかりに走らせてしまう。

勉強は自分と人を幸せにするためにするんだよ。
山のような挑戦と失敗を繰り返してこそ、岩をも動かす実力が手に入る。
今では、娘にも生徒にもそう言ってあげられる。
そしてこれから未来に挑戦していく、同年代の子育てを終えたお母さん達にも。
定年を迎えて第2の人生を走り始める人にも。
私自身が挑戦と失敗の試行錯誤の毎日だ。

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