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“MIYAZAWA-SICK” 中南米ツアーの思いがけない結末 (2005③)

*2020.9.16.加筆修正しました。
*デビューからの30年を振り返るこのエッセイ。ページ単体で¥200でも読めますが、¥3000でマガジン「ずっと、音だけを追いかけてきた」を購入していただくと、過去と今後更新分の全ての連載(全42話・¥8400相当)を読むことが出来るのでおすすめです。

*今回は2005年10月に行われた宮沢和史ソロプロジェクト“MIYAZAWA-SICK” の中南米ツアーの様子を、当時のweb日記と初公開の写真を元に22000字強で描く。

ブラジル・ホンジュラス・ニカラグア・メキシコ・キューバ。なかなか行く機会のない国も含めた中南米ツアーは順調なスタートを切ったものの、最終公演のキューバでは、予想外のアクシデントに見舞われてしまった。結果的にそれは、翌年のGANGA ZUMBAの結成へのモチベーションにつながる「事件」でもあった。

MIYAZAWA-SICK '05 MEMBER
宮沢和史(vo, g, 三線)
GENTA(dr, per)
tatsu(b)
高野寛(g, cho)
今福健司(per)
ルイス・バジェ(tp, flg horn)*日本在住のキューバ人
フェルナンド・モウラ(key)*リオデジャネイロ在住のブラジル人
マルコス・スザーノ(per)*リオデジャネイロ在住のブラジル人
クラウディア大城(cho)*アルゼンチン出身・日本在住の日系三世
土屋玲子(vln, 二胡)

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20050929(Thu)
1年ぶりのブラジルは涼しかった。まぶしい日差しと、絵みたいな雲と青空。長いフライトだったけど、東京の秋と地続きの風が吹くようだった。ブラジルも異常気象で、いつになく気温が低いらしい。

アルゼンチンに里帰りしていたクラウディア、リオ在住のスザーノとフェルナンド、そして日本から来た僕たち、サンパウロでやっと全員揃う。MIYAは到着早々記者会見へ。

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二度目のブラジルだからか、旅をしすぎたからなのか、海外旅行のあの感じが薄くて、何だか至って平常心。もったいない気もするが、仕事の旅だからそのくらい冷静なほうがいいのだろうと思う、ことにする。

夕食はみんなでシュラスコ(ブラジル名物の食べ放題の焼き肉) 、食べすぎ注意。どこからともなく阪神優勝の知らせが地球の裏まで届く。食後、スザーノの部屋で盛り上がる。初日から打ち上げみたいになっている。レイコちゃんが自宅で録ったバイオリンをiBOOKでフェルナンドに聴かせる。冬のツアー以来、みんながフェルナンドとネット上のファイルのやりとりで共作している。僕も聴かせてもらう。いい。

このバンドには他では中々味わえない面白いメンバーが集まっている。しばしコンピュータ談義。ルイス、MIYA、tatsu、レイコ、僕、フェルナンド、みんな違う音楽ソフトを使っていて、他のソフトは外国語同然でよくわからない。日本在住が長いルイスは、日本語 macOSXを普通に使いこなしている。

スザーノと少し政治の話。が、うまく話せず。ニュースについて語れるボキャブラリーが足りない。tatsuが日本の自民圧勝のニュースを説明する。ブラジルの政情もよくないらしい(詳しいことはわからず)。異常気象も政治も経済も、どっかの国だけのことじゃない。

明日に備えて歯磨きしながらTVつけたらNHKの海外放送で「ピタゴラスイッチ」やってた。チャンネルを変えると、アルナルド・アンテュネスのライブ。そんなサンパウロの夜。

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20050930(Fri)
サンパウロにてリハーサル。ブラジルのスタジオは明るくて開放的で、音が乾いてよく響く。1~2曲演るだけで、半年前の感じが戻ってくる。それぞれの活動で得たものを持ち寄って、会う度にステップアップしてゆく。今までになかったグルーヴが波のように訪れる。全員が手応えを感じる。

リハが終わって、皆でルッコラとヤシの芽のサラダをつっつきながら、サッカー観てワーワー騒いでる時、ブラジルはいいなぁと思った。

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20051001(Sat)
午前0時。シャワーも浴びず、そのまま荷物を積んで大型バスでツアー最初の街、ロンドリーナへ移動。日本人移民の多く住む街。

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バスはあっという間にサンパウロを抜け、街灯もほとんどない暗闇の道をひたすら走る。シートがかなり倒れるので眠れそうなのだが、目を閉じると道の舗装がよくないらしく、結構揺れる。飛行機がちょっと気流の悪いところを通過する時に似てる。乗り物であまり眠れないタチなので、起きてるか寝てるのかわからない感じがつづく。みんなはグーグー寝てる。

途中2回の休憩をはさんで、午前8時ロンドリーナ着。すっかり夜も明けて。

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昼まで仮眠してリハーサルへ。春めいた日差し。沖縄のような。
リハーサルは住宅街の普通の民家を改造した小さなスタジオでやる予定.....が楽器が多すぎて入らず、スタジオ内の普通の部屋に無理やりセッティング。防音なし。窓も開いたまま。中庭のプールサイドで食事を取る。

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リハはいつもよりやや小さめの音、ではあるが、何しろ防音のない部屋なので、日本なら速攻警察をよばれるであろう状態。音を聞きつけた隣の人が窓からずっと覗いている。怒られるのかと思いきや、ノッて聴いたりしている。バンドは恐ろしく強靱なグルーヴを生み出している。

演奏は盛り上がる一方、音は遠くのスーパーまで響いたらしく、一時隣の部屋がどこからともなく集まった近所の人たちでごった返していた。拍手はないが、みんな集中して聴いてる。公開リハ状態。

7時間近くみっちりやって、手応え十分。このバンドのポテンシャルがラテンの地に来て一気に爆発してる。終わってみんなぐったり。最後まで苦情はこなかった。ブラジル人は音楽が好きなんだってことが、よくわかった。すごい国だ。

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20051002(Sun)
ゆうべ0時過ぎから1時間おきくらいに5時までホテルの近くで爆発音。テロか?と焦って外を見ると、巨大なロケット花火や爆竹のようだった。酔っぱらい?子供?ブラジル人はやっぱり大きな音に寛容なんだなーと納得して寝たのだが…さにあらん。

たまたまホテルに泊まっていた他の街のサッカーチームを睡眠不足にさせて邪魔しようとする地元チームのファンの仕業らしい。スザーノいわく、こういうことはブラジルのチームが他のラテン諸国に遠征したときもよくあるらしい。恐るべしラテンアメリカ。

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今日はとてもいい天気で汗ばむ程。公園でゲンちゃんに借りているリリー・フランキーの「東京タワー」を読む。隣の教会あたりから学生っぽいバンドが爆音で練習しているのがきこえる。やっぱりブラジル人はデカい音を気にしないらしい。

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ロンドリーナ、ツアー初日。会場は日本の地方都市のホールの雰囲気。今回、ブラジルの2公演は地元のエンジニア・ジョアンに音を作ってもらう。サウンドは少し掴みづらい感じだが、みんな冗談を飛ばしていつもと同じようにリハーサルに集中してゆく。

歓声に迎えられてライブが始まった。予想通り、日系の人を中心に老若男女が集まっている。演奏はツアー初日としてはベストコンディションですすむ。オーディエンスはなかなか立ち上がろうとはしないが、充分楽しんでくれているのが伝わってくる。MIYAはポルトガル語のMCでコミュニケートする。少しシャイな反応に、日系の血を感じた。

バンドはある冷静さを保ちながらもヒートアップしてゆく。冷静なまま、どれだけプレイを高められるか、それが今回のツアーのテーマだと思ってる。アンコール、2度目の「島唄」で会場は総立ちになった。いいライブだった。スザーノも「ギターソロよかったよ」と言ってくれた。

打ち上げは、ブラジルに来てから3度目のシュラスコ。こうなると食べ放題の店でも節制した食事ができるようになってくる(笑)。地元の酒、カシャーサ(さとうきびの蒸留酒。35度~45度)を結構のむ。帰り道、ゲンちゃんとクラウディアと「津軽海峡・冬景色」を歌う。ロンドリーナは春の夜風。

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20051004(Tue)
OFF。快晴。

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tatsuは地下鉄でどっかへ。みんなは買い物に。スザーノはリオに一度戻った。僕はフェルナンドと深い話。あとはギターの調整をしたり、練習したり。

夜みんなでリベルダージ(東洋人街)のラーメン屋でRAMENとGYOZAを食べながら『ハルとナツ』談義(日系ブラジル移民を描いたNHKドラマ)。ブラジルの幾つかの都市ではNHK国際放送がリアルタイムで見られる。時差が12時間だから、夜8時に放送している『ハルとナツ』が朝ドラみたいに見れるのだ。

そういえば一昨日のリハについてフェルナンドの見解。「田舎町に突然今まで聞いたこともないようなすごいバンドの音が流れてきて、何が起こっているのかわからないような状態だったんじゃないかな。都会だったら、警察呼ばれてるよ」とのこと。それでも、俺たちはのべ7時間はものすごいテンションの高さで本気の演奏をしてたのだ。音楽好きな国民なのは間違いない。

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20051005(Wed)
リハーサル。
新曲と、ニカラグアのMacolla(マッコーヤ)のカヴァーを参考にした「風になりたい」サルサバージョンを練る。全員がアイデアを出しつつ、ものすごいスピードで仕上がってゆく。

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リハが終わってホテルへ移動中、渋滞にはまって、皆で「Brasil」を歌ったりしてた。街の景色が目に馴染んできて、排ガスの臭いも気にならなくなってきている。

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20051006(Thu)
いつものように8時過ぎに起きて朝食のあと、部屋に戻って「ハルとナツ」最終回を見る。泣けた。最後のシーンでホテルのすぐ近くのパウリスタ通り沿いの赤い美術館が画面に映って、何とも不思議な気分。

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見終わった後いろいろみんなと話す。5話連続のドラマを、ドラマの舞台のブラジルでリアルタイムで観ながら感想を話し合う、貴重な体験。

昼過ぎ、ライブ会場到着。SESC(セスキ)はスザーノも「いい小屋だよ」と絶賛するとおり音がいい。キャパは600人で丁度いい。サウンドチェックも問題なし。

ブラジル人のスタッフは黙々とよく働いてくれる。日本からの移民の働きぶりをずっと見てきたブラジル人は今、日本人を尊敬してくれているらしい。ドラマに描かれていたように、戦後失いかけている古風な日本人の美徳が、移民達の誇りとともに、ブラジルにも引き継がれているのかもしれない。日本からのスタッフと一緒にテキパキと働くブラジルスタッフを見ていて、そんなことを思った。

サンパウロでのライブ、楽しかったブラジルの締めくくり。日系人を中心にしたオーディエンスは一曲ごとに大きな歓声で盛り上げてくれる。二日目にして揺るぎないグルーヴ。一曲ずつを確実に、熱く、解き放つ感じ。 初めて演った「風になりたい」サルサバージョンも、他の慣れた曲とまったく同じ熱量で演奏できた。

鳴り止まない拍手の中、最後にMIYAが2008年の移民100周年にはブラジル国内ツアーをやってみたい、とアピールしてライブは幕を閉じた。前回のヨーロッパツアーのパリ2日目と同じく、2日目にしてひとつの到達点を見た感じ。

いいライブのあと、祭りが終わった後に似た寂しさにおそわれる時がある。高揚した楽屋のムードの中で片付けをしながら、そんな寂しさをかみしめていた。

打ち上げは、そりゃもう盛り上がった。みんな酔った。食事も最高だった。あんなに酔ったMIYAを初めて見た。僕は途中でリタイヤ。明日は7時出発。旅はつづく。

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20051007(Fri)
10年に一度かという酒宴の夜が明けてすぐ、午前7時の集合時刻に全員が揃うはずもなく。一番最後に1時間近く遅れて起きてきた某ヴォーカリストは、ずっと昨日のつづきで「ハルとナツ」の父親の口調を真似して「日本はもっとよくなる」とか言い続けている。

ブラジルとはここでお別れ。みんなありがとう。ブラジルでは日系の皆さんに助けてもらって、一同、外国にいることを忘れるくらいすっかりリラックスできた日々だった。旅はつづく。

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メキシコまで9時間のフライト。入国はモスクワに次ぐややこしさでさんざん待たされる。ヘトヘトになって空港内のホテルへ。巨大なショッピングモールとホテルが空港の施設に組み込まれている。

MIYA、ゲンちゃん、クラウディア、レイコ、tatsu、カメラマンカーツとメキシカンレストランへ。TVでは大リーグ中継。松井がバッターボックスに。BGMは'70S。だんだん三宿のラ・ボエムにいるような気分になってくる。コロナもここでは地酒。日本とは味が違う(ように感じる)。

メキシコシティは標高2000m。3日もいると高山病になるらしい。そのせいなのか、疲れなのか、ずっとくらくらしている。爆睡……。

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20051008(Sat)
久々に泥のように眠った。

待ち合わせのロビーにあるテレビで、CNNが中米の洪水の様子を伝えていた。被害は主にカリブ海側らしく、これから行く街には影響は無いらしい。が、ついこの間も日本のニュースで見たのと同じ光景をメキシコのテレビでまた見て、既視感の入り混じった違和感を覚える。そしてパキスタンの大地震のニュースも伝わってきた。
「What's going on?」 最近よく、この言葉が脳裏をかすめる。

空港から一歩も外へ出ないままメキシコよ一旦さらば。サンサルバドルを経由してホンジュラスまで4時間ほど。今一度、冒頭の地図を御覧ください。サンパウロからの直行便がないので、一度メキシコまで大きく北へ渡ってから、小さな便で南下しているのです。

ホンジュラスに着いた時、日はもう暮れていた。入国審査で、瞳の虹彩の写真と左手人差し指、中指の指紋を採られる。アメリカと同じやり方だからアメリカからの要請ではないか、との事。

空港の外では、早速地元のテレビ局の取材が待ち構えていた。物乞いの少年が寂しそうな目で小銭をねだりにくる。空港の近くに大きなビルはなく、正面のバーガーキングの看板だけが目立つ。「プーケットみたいだなぁ」とゲンちゃん。ほとんど平地がない街なのだそうだ。遠くの山にオレンジ色と青い色の光が点々と張りついていて、天の河のように素朴に美しかった。

夜は日本大使の公邸で、日本食をごちそうになる。手に入りにく食材を集めて作って下さったとの事。丘の上から見渡す夜景と、ライフルを持ったガードマン。「危険なので一人で歩かないでください」という注意も受けた。スザーノやフェルナンドによると、ブラジルにも山の方に行くと危険な地域があって、似た感じがするらしい。

帰りながら街を観察する。オレンジ色の光は街灯、青い光は家やビルの窓。目立つネオンサインは、マクドナルド、バーガーキング、ピザハット…アメリカの「下」にあるこの決して豊かではない国に、縁あってやって来た。
目に入るものをちゃんと見て、感じられることを感じようと思った。
CNNではパキスタン地震のニュース。死者18000人以上。

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20051009(Sun)
今日もぐっすり眠った。
飛行機の中で読んでいる途中に涙が出そうになって二度中断していたリリー・フランキー「東京タワー」を読み切って、涙する。

結局ホテルから一歩も出ないまま会場のマニエル・ボニージャ劇場へ向かう。老朽化が進んでいるものの、オペラハウスのような趣のあるホール。

今回のツアーは、なるべく楽器を機内に持ち込めるようにと、小さなギター(スタインバーガーとサイレントギター)、そして小さなマルチ・エフェクターと最小限の機材だけ持ってきた。もし、演奏中に弦が切れたら舞台上で張り替えるしかないのだが、海外遠征を続けて、いつしかそんなことを不安に思う気持ちは1ミリもなくなっていた。トラブルを恐れても意味がない。いつも、ただ成功を信じるのみ。
足元にはお守りがわりに故・大村憲司さんの写真を置いていた。

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レンタルしたギターアンプも決して状態がいいものではないが、なんとか手なずける。フェルナンド、ゲンちゃんもレンタル楽器と格闘している。でも、今日から音響、照明の日本人スタッフが合流したので、心強い。

去年サンパウロで共演したブラジルのミュージシャン達が、どんなにショボい楽器でも弾き倒してしまうのを見て以来、自分も『弘法筆を選ばず』の域に達したいものだと思っている。

ホンジュラスの現地スタッフは結構マニアックで、僕とtatsuにピックアップは何なのか、とか、何年製なのかとか、いろいろ尋ねられた。リハはいつも通り。「イルザオン・ジ・エチカ」を演ったら現地スタッフから拍手。今日は盛り上がりそうだ。

開演が近づく。何度か客席をのぞいてみる。ホンジュラスにも縁もゆかりもない僕らのライブに、本当に人が集まるのだろうか?という心配は完全に杞憂だった。三階席まで立ち見がぎっしり、待ちきれない歓声が楽屋にまで届く程。

いよいよステージへ。割れんばかりの拍手と声。歴代のライブの中でも群を抜いて若い客層。日本人の姿もかなり目立つ。(ホンジュラスに住む100人の日本人のほとんどが駆けつけてくれたらしい!)

曲順はブラジルの時とほぼ同じ、でも反応はまるで違う。日本のように客席が一丸となっているわけじゃない。踊る人、歌う人、じっと聴き込む人、それぞれの楽しみ方がうれしい。静かに歌いかける曲には耳を澄まし、僕らがあおればさらにヒートアップする。メンバーと目が合うと、みんな笑っている。なんていいヴァイブなんだ!今思い出しながら書くだけで鳥肌が立つ。

アンコール、「風になりたい」のサルサバージョンはまさに最高潮だった。ブラジルのリハーサルでルイスのアイディアでふくらんでいった長いエンディング、至福の時。

いつものようにライブが終わると、みんなで握手とハグ。日本人同士が日本でハグするのは照れるけれど、MIYAZAWA-SICKではそれも普通のこと。MIYAのシャツはいつもにもましてぐっしょりと汗でぬれていた。
今日のライブはここ数年の中でも最も熱いライブになった。

打ち上げの帰り道、車の窓から見えた夜景。青い灯の向こうにいる人々の姿が見えるような気がして、それは切なくなるような美しい風景に見えた。

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