1999_夕焼け

初の弾き語りツアー / フィッシュマンズ・佐藤君との別れ /はっぴいえんどの3人と「風をあつめて」を歌った日 (1999)

*2020.3.16.加筆修正しました。
*このエッセイはデビューから2018年までの30年間を振り返る連載です。このページ単体で¥200でも読めますが、¥3000でマガジン「ずっと、音だけを追いかけてきた」をご購入いただくと連載の全ての記事(全42話・¥8,400相当)を読むことが出来るので、おすすめです。
*1999年の出来事:欧州連合に加盟する11か国でユーロが銀行間取り引きなどの通貨として導入される / アメリカ合衆国コロラド州の高校で、生徒二人が銃を乱射し、後に自殺(コロンバイン高校銃乱射事件)/ 1999年以降音楽CDの生産金額・生産枚数が減少傾向に転じ、CDバブル崩壊 / ソニーが子犬型ペットロボット「AIBO」の発売を開始 / パイオニアがDVDへの録画・再生を可能にしたDVDレコーダーを発売 / 国旗国歌法成立 / 第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行の3行が持株会社を設立、事業統合することを発表(現・みずほ銀行)

1999年は、前年暮れから続いていた9枚目のアルバムの録音で始まった。

90年代初頭から、パソコンを使って録音するソフトは製品化されていた。従来のテープ録音に代わるパソコンによる録音システムは、後にデジタル・オーディオ・ワークステーション(DAW)と呼ばれるようになる。当初は実験的なプロダクトで音質も悪かったが、日進月歩に進化して音質もコスパも上がっていった。

僕がDAWで録音された作品として初めて認識したのは、コーネリアスの「FANTASMA」(1997)だった。80年代半ば以降はサンプリングを使った音楽作品が発表されてきたが、あくまでフレーズやドラムの音色などを貼り付けるアレンジ上の手法・要素に過ぎなかった。

「FANTASMA」の曲やアルバム自体の時間軸が縦横無尽に伸び縮みするような、サイケデリックなコラージュ感覚には大きな衝撃を受けた。小山田くんのセンスとアイデア、プログラマー美島豊明さんのDAWオペレートなくしては生まれなかった作品だ。

当初は高価だったDAWも次第にコストダウンが進み、98年末には僕もためらわず導入できる価格になった。小山田くんのように音楽の作り方そのものを変える使い方はしなかったが、CDクオリティの録音が思いついた時にいつでもできるようになり、完全にデモとスタジオの境界線がなくなった。テープの録音と違って巻き戻しの待ち時間がないので「作業の進行が速すぎて今までにない興奮状態になって寝られない」と当時の日記には記してあった。

ベーシックなバンドの録音やドラムス・ストリングスなどは外部のスタジオで。歌やギター、ベース、キーボードなどはプライベートスタジオで好きなときに録音し、スタジオの時間にとらわれずじっくりミックスする。今日では一般的になったそんな作り方を初めて実践したのが、この年のアルバム「tide」だった。自分自身で録音を手がけた曲が多数収録された初めての作品でもある。

96年の「Rain or Shine」以降オリジナル作品を音源化していなかったので、曲のストックは豊富にあった。高橋幸宏さんが、山本耀司さん・高橋信之さん・田中信一さんと共に97年に立ち上げた「コンシピオ・レーベル」からのリリースが決まった。

「tide」には、リリースのなかった3年間に知り合った多くの若手のミュージシャンたちが、ゲストで参加してくれている。クラムボンの原田郁子さん、まだソロデビュー前の畠山美由紀さん、ゴンドウトモヒコ君。弦アレンジの渋谷慶一郎君が連れてきたのは、まだ大学生だったチェロの徳澤青弦君だった。配信はクレジットがないので(本当、この問題どうにかしてほしい)曲ごとに貼ります。

*郁子さんコーラス、ゴンドウ君ユーフォニアムで参加の「オレンジジュース・ブルース」
*畠山美由紀さんコーラス参加の「フルーツみたいな月の夜に」
ある親友の結婚式のために書いた曲。
*徳澤青弦君参加の「黒焦げ」「暮れてゆく空」


アルバム「tide」は音だけでなくビジュアルもD.I.Y.精神で制作していて、オリジナル盤のジャケットは、自分で撮った写真を合成している。(ただ、オリジナル盤のジャケットのデータは紛失してしまい、2014年のリマスター盤はアートワークを差し替えることになった)

*オリジナル盤のジャケットとブックレットより。
(右の写真は撮影・平間至)

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