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細野晴臣ライブ・高橋幸宏ライブへの参加 / カフェとの接近 / ブラジルの新しい友達 (2006)

*2020.10.16.加筆修正しました。
*このエッセイはデビュー30周年の2018年のエピソードまでの連載です。それぞれのエピソードを¥200でも読めますが、¥3000でマガジン「ずっと、音だけを追いかけてきた」を購入していただくと、過去と今後更新の全ての連載記事(全42話・¥8400相当)を読むことが出来るのでおすすめです。
*2006年の出来事:世界の推計人口が65億人突破 / イラクでフセイン政権崩壊後、約3年ぶりに正式政府が発足 / ライブドア(現・LDH)の代表取締役社長であった堀江貴文らが証券取引法違反容疑で逮捕 / 北朝鮮が地下核実験に成功したと発表 / 東京三菱銀行とUFJ銀行が合併、三菱東京UFJ銀行が発足 / 安倍晋三が第90代内閣総理大臣に就任。小泉内閣はこの日午前の閣議で総辞職 / 家庭用ゲーム機「プレイステーション3」日本先行発売 / 任天堂の家庭用ゲーム機「Wii」が日本で発売 / マイクロソフト「Xbox 360」コアシステム日本発売

この頃の僕はとにかくいろいろな動きをしていて、調べながら書き起こすことことで記憶の中で混濁している時系列を再構築している感じ。

前回、前々回とMIYAZAWA-SICKツアーの緊張感のある長文が続いたので、今回はゆるく、写真多めで楽しくいきます(笑)

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2005年の「Hyde Park Festival」出演を契機に、細野晴臣さんはフォーク・カントリースタイルの演奏を軸に自ら歌うライブをスタートした。「東京シャイネス」と名付けられたバンドのメンバーとして、僕もギターとコーラスで参加することになった。そんなアコギを抱えて歌う細野さんのライブスタイルがその後15年弱に渡って継続していくことになるとは、おそらく御本人も含めて誰も想像していなかったと思う。

細野晴臣& Tokyo Shyness
■ 細野晴臣(Vo/Ag)
■ 鈴木惣一朗(Mandolin)
■ 浜口茂外也(Dr)
■ 高田漣(PedalSteel)
■ 伊賀航(Wb)
■ 三上敏視(G)
■ 高野寛(G/cho)
ゲスト:高遠彩子(Vo) 木津茂里(太鼓・歌)

2005 12/28 東京・九段会館 
2006 1/28 京都・京大西部講堂
2006 4/21 福岡・西南学院大学ランキンチャペル
*京大西部講堂の楽屋にて  
画質の悪さと西部講堂の古さも相まって、
左から二人目、伊賀くんの70年代感が凄い(笑)

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*福岡・西南学院大学ランキンチャペルで
(たしかスタッフと出演者向けに出された)「ハリー弁当」
美味しそう(記憶なし)

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8/29には「吉野金次の復帰を願う緊急コンサート」と題されたチャリティライブが東京・下北沢の北沢タウンホールで開かれた。

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吉野金次さんは、70年代から日本初のフリーランスのエンジニアとしてキャリアをスタートし、数々の名作に参加している日本を代表するエンジニア。特に「はっぴいえんど」の「風街ろまん」でそれまでの日本のレコーディングの常識を打ち破る方法で新しいサウンドを切り開き、細野さんの初ソロ作品「Hosono House」で自宅に録音機材を持ち込み、時間にとらわれず制作する「宅録」のスタイルが実現できたのも吉野さんの功績だった。

吉野さんが脳梗塞で倒れたのをきっかけに、矢野顕子さんと細野さんの呼びかけの元開催されたコンサートには、多くのミュージシャンが集まった。出演は矢野顕子、細野晴臣&東京シャイネス・オールスターズ、友部正人、大貫妙子、井上陽水、佐野元春、ゆず、徳武弘文。僕も細野さんバンドのメンバーとして参加した。


僕のカヴァーアルバム「TOKIO COVERS」に収録されたビートルズ「In my life」は吉野金次さんの手による作品だ。1992年のレノン&マッカートニー・カヴァーアルバム『Love Me Do』に収録されていた録音の歌とギターを2000年代初頭にリテイクして、吉野金次さんがリミックスした作品。

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