1986_TENT合格後

TENTレーベルオーディション・高橋幸宏さん、ムーンライダーズとの出会い (1986②)

*2019.8.7. 大幅加筆・修正しました。

*このエッセイは来年春まで毎週連載を続ける予定です。このページ単体で¥200でも読めますが、¥3000でマガジン「ずっと、音だけを追いかけてきた」を購入していただくと連載の全ての記事を読むことが出来るので、おすすめです。

3000人が応募したという「TENTレーベル・究極のバンドオーディション」最終選考突破の知らせを聞いて、僕は小躍りした。黒電話の受話器を置いた時の興奮を、今でも思い出す。それまでいくつものコンテストやオーディションでいつも苦い思いを味わってきた僕の人生に、初めて訪れた大きなチャンスだった。

最終選考は東京で、公開ライブの形で行われるという。バンドのライブはそれなりに経験があったが、ソロのデモは宅録で一人でいろいろな音を重ねてつくった曲だ。それまでライブでやったことなど一度もなかった。カセットで自分で作ったカラオケをバックに、一人でギターを弾きながら歌うしかない。ライブ審査は1曲のみ。何度も何度も個人練習を重ねた。

いよいよその日がやってきた。10ミリ位宙に浮いたままの気持ちだった。バンドで一度上京してライブして以来の東京。まだ右も左も分からない状態で地図だけを頼りに、会場の虎ノ門・FM東京ホールに到着した。

実はこの時、当時高校生だったTokyo No.1 Soul SetのBIKKEもオーディエンスとして会場にいたらしい。「(自分は落ちてしまった)オーディションには一体どんな奴が合格したのか確かめようと」観に来てみたんだと、後に本人から訊いた。

司会は、いとうせいこうさん。せいこうさんは当時革新的だった日本語ラップグループ・TINY PUNXのメンバーとしてTENTレーベルからアルバム「建設的」(1985)をリリースしていた。


そしてTENTレーベル主催者であり審査員でもある高橋幸宏さんとムーンライダーズのメンバーがなんと、ステージ上の向かって右側に置かれた机に、ずらりと並んで座っているのだ。机の上には「審査員席」と札が立てられている。生まれて初めてソロパフォーマンス、ただでさえ緊張するライブ審査なのに、間近に、真横から見られてしまうなんて!

せいこうさんの滑舌のいい司会で、いよいよオーディションが始まった。ヴォーカル部門に応募した人が3〜4人(合格者には後にMC.A.T.としてデビューする富樫明生君もいた)。そしてベース部門、ドラム部門がちらほら、ギターは僕の他にいただろうか? 何しろ緊張していたので、他の人の演奏はあまり耳に入ってこない。皆、僕みたいにひねくれていない正統派(YMOの影響があまり感じられない音楽)だったような記憶はある。とにかく、自分にできることをやるしかないと思っていた。

いよいよ、自分の出番がやってきた。今までの全ての音楽遍歴を振り返ってみても、あの時ほど緊張したステージはなかったように思う。演奏したのは(前回音源を貼った)「GEAR」というタイトルの、インチキ英語の曲。後に3rdアルバム「CUE」の1曲め「I.O.N.」となる曲の原曲だ。

自分で改造した小さなエレキギターで、間奏はひたすらフリーキーにアームをギュンギュン言わせてた。頭の中は真っ白だった。無我夢中であっという間に出番は終わった。客席の反応は、悪くなかった。

ここから先は

1,514字 / 2画像
この記事のみ ¥ 200

この「サポート」は、いわゆる「投げ銭」です。 高野寛のnoteや音楽を気に入ってくれた方、よろしければ。 沢山のサポート、いつもありがとうございます。