見出し画像

高野寛 ≦ 「HAAS」 ・インターネットの海へ (1998年①)

 *2020.1.28.加筆修正しました。
*この連載はデビュー前の1987年から2018年のデビュー30周年までをおよそ1年ごとに振り返るエッセイです。各章を¥200で販売していますが、¥3000でマガジン「ずっと、音だけを追いかけてきた」を購入していただくと42話(¥8400相当)の全ての記事を読むことが出来るのでおすすめです。
*1998年の出来事: Windows98発売 / Google設立 / 日本でiMac発売 / 原宿の歩行者天国が廃止され21年間の歴史に幕を閉じる / 明石海峡大橋が開通 / 長野オリンピック開催 / エルニーニョ現象の影響で世界的な異常気象が発生し、世界の平均気温が観測史上1位の記録的な高温となる / 日本国内での音楽CDの生産金額が約5879億円(レコードやカセットテープを含めると約6075億円)CD生産枚数が合計で約4億5717万枚とそれぞれ国内史上最高を記録しCDバブル絶頂期となる / ヴィジュアル系バンドブーム / 貴乃花と若乃花、史上初の兄弟横綱が誕生 / ポケベルが地方の中高生を中心に最後の流行。都市部では大学への進学や卒業を機にPHSや携帯電話への移行が進む


僕が最初にネットの世界に飛び込んだのは、Windows 95が発売されパソコンブームが始まった95年、「土曜ソリトンSide-B」の司会をやっていた頃。

きっかけを作ってくれたのは坂本龍一さんだった。95年の坂本さんのアルバム「Smoochy」に歌詞を書くことになったのだが、坂本さんからインターネットをモチーフにした詞を書いて欲しい、というオーダーがあった。

当時の日本はWindows 95の発売でパソコンブームに湧いていたが、メールアドレスを持っている人はまだ少数で、僕自身ネットには触れていなかったので、ニューヨークの坂本さんとは留守電とFAXで歌詞のやりとりをしていた。ところが時差もあってレスポンスは遅れがち。そんな折、業を煮やした坂本さんからこんな司令が下った。

「インターネットがテーマの詞なんだから、高野君もメールを始めなさい」

さてここからが大変。この時代、メール一つ送るのにも案外高いハードルがあった。まず当時使っていたMAC・Power Book 180cだと、インターネットに繋ぐのにマシンパワーが足りないことが判明。ネット黎明期は繋ぐ (=モデムを駆動する)だけで相応のマシンパワーが必要だったのだ。それにしてもパソコンがネットに繋がってなかったなんて、今では想像もできない。

*PB180c。apple初のカラー液晶ラップトップ。
iPad mini(7.9インチ)より少し大きいだけの8.4インチの画面。この時代カラー液晶は高価だったので、同価格帯のモノクロのラップトップに比べて画面は小さかった。

僕にとっては基本仕事のための道具だったので、ワープロ、音楽制作ソフト(Performer)と、お絵描きソフト(kidpix)、あとピンボールゲームしか入れてなかった。まだ、デジカメも持ってなかった。

画像1

*当時kidpixで作った「CG作品」。プリンターではなく、
X-Yプロッターという製図用の出力機器を買って使っていた。
*僕が使っていたX-Yプロッターと同じ機種の動画があった。
ペン画を描くロボットのようなもの。

詳しい方に調べてもらうと、インターネット普及以前から存在したローカルな(日本国内用の)コンピューターネットワーク「パソコン通信」のアカウントを取得すれば、経由してインターネットにメールを送れることが判明。

*その時入会した「NIFTY serve」の画面(復刻版)。見ての通りテキストのみの質実剛健な画面。いろんなコミュニティがあって、中は後のmixiみたいな感じ。あれこれ覗いてみたが僕には興味が持てず、結局メールの中継地点としてのみ1年間ほど活用。

画像2


そんなこんなで、なんとかメールだけは使えることになった。
満を持して坂本さんのアドレスに生まれて初めてのメールを送信。
即座に、短い返信が。たしかこんな文。

「Congratulations! Wellcome to Cyber World !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

その時の興奮は、今でも忘れられない。あの頃「サイバーワールド」という言葉には、リアルな未来のイメージがあった。

画像3

*1995年の「CAPE X」というハイパーカルチャー系の雑誌。表紙は細野さん。「Cyber Space Tour」という連載ページには「ホームページは世界規模の楽しい広告塔だ」「インターネットで進化したウェブは地球規模の接続能力をもつ」などの見出しが踊る。

Adobe Premier 4.0J Mac版は定価¥120,000也。

---------------

その後坂本さんとN.Y. ⇔TOKYOのメールでやりとりしつつ書き上げた「電脳戯話」の歌詞は、まだ全貌が見えなかったネットとその未来をひたすらオプティミスティックに描いている。僕に限らずあの頃1995年にネット大航海時代に旅に出た人々は、誰もが希望に満ちたビジョンでまだ見ぬ新大陸を目指していたに違いない。

電脳戯話 作詞:高野寛 作曲:坂本龍一

僕らは意識の旅に出る 
あの海を渡り波に乗る
音もなく場所も時間もない
光の速さで泳ぐ旅
We're Surfing' on the Neuro Network
初めての
未来を奏でる Story
新たな世界の Party

 全文 >> https://petitlyrics.com/lyrics/73181

---------------

*余談だが、トッド・ラングレンは1996年に「CDは次回作が最後、以降曲はネットで配信する」と宣言していた。(*下の画像)そのアイデアは時代の先を見越していたが「長く続くのかは微妙なところ」という記者の予想は的中。大きな画像をDLするだけで何十分もかかったりすることもあった当時の回線に音楽データは大きすぎて、配信は快適に利用できずトラブルも多かった。

トッドは音楽配信専用のブラウザも開発して、「パトロネット」と名付けた会員制・定額の配信サービスを運営し続けたものの、後に「最後のCD」宣言を撤回しCDの発売は継続することになった。文中で語られている「日本のヒット曲のカヴァーCD」は結局発表されなかった。
(いただきもののコピーのため、記事の出典は不明)

画像4

*更に余談。2019年1月の「『実売823枚』のアルバムが全米チャート首位に」というニュース。トッドが23年前に想像した未来がついに現実になったかのような。

私見だが、ダンスやファッションと密接なヒップホップと違って「鑑賞する」楽しみのあるロックやポップスの世界では、配信と共に根強くアナログが生き残る気がする。一方で日本ではターンテーブルやアナログ盤を気軽に置けない住宅事情もあるので、CDもまだまだ需要があるようにも感じる。


--------------

時は流れて1998年。
1月から1年間、東京のFM局・J-Waveで「Internet Cafe Plug-In」という番組のナビゲーター(DJ)を担当することになった。インターネットがマスメディアでも連日話題に上るようになり、企業や著名人のホームページ(*以下HP)が次々と開設されていた時期。オフィシャルサイトを開設することになったJ-Waveがその告知も兼ねて、様々なHPを紹介しながらネットの歩き方を指南する、そんな番組だった。

当初「http://」の「:(コロン)」や「/」(スラッシュ)」の読み方も分からず、サイトのURLを番組で読み上げる時に、戸惑ったりもしたのもあの頃ならではの思い出。初回の台本には、URLの「j - wave.co.jp」に「ジェイウエイブドットシーオードットジェーピー」と仮名が降ってあった。なんとなく気になって「jwave.co.jp」を検索すると別の企業のページが出てくることが分かり(*この会社のHPは今も存在する)「『ジェイ ハイフン ウエイブ』と読まなきゃいけないみたいです」なんてスタッフに報告した記憶がある(笑)。

*収録時のスタジオの写真。巨大なブラウン管モニター。

画像5

続きをみるには

残り 2,906字 / 11画像
この記事のみ ¥ 200
期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が参加している募集

はじめてのインターネット

この「サポート」は、いわゆる「投げ銭」です。 高野寛のnoteや音楽を気に入ってくれた方、よろしければ。 沢山のサポート、いつもありがとうございます。