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散文

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あなたのあの椅子、どうしましたか。

あなたのあの椅子、どうしましたか。

「捨てられた椅子に座るシリーズ写真展」二○一七年六月に始まった“捨てられた椅子に座ってみる”というこのアクティビティ。足掛け五年の歳月を経て1,000脚の椅子に座ることを達成。それを記念する展示イベントが「捨てられた椅子に座るシリーズ写真展」だ。

1,000脚の椅子に座ってきたのは、
クリエイターで俳優のスミマサノリさんだ。

コロナ禍明けには、チェアリングをしたいなぁと思っていた私は、
この展

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クニさんの思い出

クニさんの思い出

その昔。本田技研のPR誌の仕事をしていた。その関係で、高橋国光さんに取材する機会があった。場所は、鈴鹿サーキット。クニさんは出場するレースのあとに取材を受けてくれる段取りだった。いや、レースではなかったかもしれない。マシンのチューンナップのためのサーキット走行だった可能性もある。このあたり記憶は曖昧だ。

走り終えたクニさんは、インタビュー場所、記憶違いでなければ、鈴鹿サーキットの食堂のようなとこ

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「パークに行かない? とウラディミールが聞いた。」

「パークに行かない? とウラディミールが聞いた。」

「わたしは、わたしは行きますと返信した。十三時に、と返ってきた。」

わたしとは、『春の庭』で芥川賞を受賞した柴崎友香さんである。

これはアイオワでのできごとだ。

アイオワ大学のインターナショナル・ライティング・プログラム(IWP)に参加した柴崎さんが滞在三か月のできごとを記した本が『公園へ行かないか? 火曜日に』(2018)だ。

以前読んだ、『死んでいない者』で同じく芥川賞をとった滝口悠生

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失われていく人が残してくれたもの。

失われていく人が残してくれたもの。

すっかりコロナ禍で引っ込み思案になり、
美術館、ギャラリーなどから遠のいてしまっていた。
あえてそうした情報に触れないようにしていた面もある。

だが、ふとその知らせは目に止まった。
「東京プロジェクトスタディ」(アーツカウンシル東京主催)で
一緒に学んだ方が自分も関わっているとして告知していたのが、
尾山直子さんの「ぐるり。」という展示だ。

それは訪問看護師であり、写真家である
尾山直子さんの

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偶然の再会。

偶然の再会。

あの頃。
というのは1970年代の終わりの時分。
僕は、小劇場を観ることに多くの時間を費やしていて
いろいろな劇団をさまざまな場所で観ては、
ああでもない、こうでもないと、
演劇好きの友人たちと、やがて酒に塗れて思い出せなくなる
どうでもいい話を繰り返していた。

そのひとつ。
寺院と公園の間に小さくあった劇場で、
(うっすら半地下だったような感覚が残っているが
この記憶はかなり怪しい。
覚えてい

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まさゆめに佇む。

まさゆめに佇む。

(この記事のヘッダー画像は、公式サイトから借用しました。Photo: KOBAYASHI Sora)

オリンピック憲章は、
オリンピック・パラリンピックの開催にあたり、教育を含めた文化オリンピアード(文化プログラム)の実施を義務づけている。
つまりオリンピック・パラリンピックは、いささか商業的過ぎるとしても、スポーツと“文化”の祭典なのだ(開催の是非については、ここでは触れない)。

大成功と謳

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「わからなさ」というのりしろ。

「わからなさ」というのりしろ。

「どんな別れのときを迎えるのか、それを思うと一読者である自分も寂しくなった」

そんな内容の、とあるTwitter氏の投稿が目に入った。彼をフォローしているのかもしれなかったが、Twitter氏とは直接的なつながりはないと思う。
だが、この言葉は妙に私の気持ちの中に飛び込んできた。

書き手と同じように、一読者に過ぎない自分自身も登場人物たちとの別れが寂しい。そんなことを思わせる本とはどんなものな

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周回遅れの回転木馬。

周回遅れの回転木馬。

2017年から三年間。
 僕はとあるソーシャルプロジェクトに熱中していて、仕事以外の、いや仕事を犠牲にしている面もあったかもしれないが、ほぼすべてのプライベート時間をそのプロジェクトに使っていた。
 そのプロジェクトには、二十歳前の若者もいれば、年金暮らしの老人もいた。何かしらの不自由を抱えている人もいれば、日本以外にルーツをもつ人もいた。これから何かになろうとしている人も、何かであったかもしれな

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hinata_longboardさんが人々を魅了するわけ。

hinata_longboardさんが人々を魅了するわけ。

最近、毎日、毎日、何度も、何度も見てしまう
インスタがある。
熊本に住む11歳のひなたさんがロングボードを巧みに操り
ボード上で軽やかにステップを踏む何本もの動画たちだ。
フォロワーは1.3万人もいる(私がフォローしたときは1.1万人だった。ものすごい勢いでフォロワーが増えている)。撮影者はお父さん。

何度見ても全く飽きない。
私は全くこの手のカルチャーに興味はないのだが、
なぜ、彼女の動画が

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夜のまなざし。

夜のまなざし。

 その日、僕は割と遅くまで仕事をしていた。徒歩通勤なので電車の時間が気にならないこともあって、いつも成り行きで仕事をしてしまうのだ。サラリーマンでもなく気軽なもので、“一人ブラック企業”などと自嘲気味に人には話したりしている。
 たぶん事務所を出たのが23時頃だったと思う。深夜というほどでもない、日付が変わらないうちに家にたどり着きたい人がカツカツあるいているような時間帯。なかには酔っ払いもいる。

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湖面を滑る小さなボート。

湖面を滑る小さなボート。

誰もいないチミケップ湖。
湖を取り囲む木々の濃淡が湖面に写り込んでいる。境目は曖昧で、どこまでが山の木々でどこからが湖面に映るそれなのか、わからない。そんな風景に見とれていると、視界の外から、音もなく手漕ぎボートがフレームインしてくる。櫓は上げられていて、滑るように湖面を渡ってくるのだが、やがて水の抵抗に負けてスピードは緩みそこに佇む。まるで致景の風景画が完成するがごとく。

わずかばかりボートが

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原っぱと駄菓子屋と瓶のヨーグルト。

昭和の半ばごろ。僕としてはまだ鮮明な記憶を保っている思い出の領域なのだが、多くの人にとっては歴史に属する時代になってしまったあの頃。

小学生の僕は、学校が終わると自転車で原っぱをうろうろして遊び仲間を見つけては、その時々でいい加減な遊びに興じていた。まあ、全然社交的なタイプではなかったので、だいたいお決まりの連中を探すのだが、それでもうまく輪に入れず一人ぼっちで家に帰るなんてこともよくあった。

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「家」にことばを与え記す。

「家」にことばを与え記す。

中田一会著【家を継ぎ接ぐ】 読了

実におもしろかった。
この本は、広報・PRを生業としている中田一会さんが
空き家となっていた祖父母の「家」に住むことを決めたところから始まる

ドキュメンタリーだ。
自費出版なので、ISBNもなにもない。

その「家」は避難所だという。

自分自身の、親兄弟の、親戚の、不思議な知り合いたちの。

「家」という物理的な装置があることによって、
さまざまな人たち

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走る老女

走る老女

いつもの公園でウォーキングをしていた。一周約二キロの周回コースを歩いていると、時々、小さなできごとに出くわす。いくつかある公園の入口のうち、スロープ状になっていたり、僅かな階段が設けられている箇所がある。そのうちの一つ、ちょうどジョギングコースが左にカーブするあたりにある入口。時と場合によって、スマホやタブレットでモンスターを捕まえようと大人たちが湧き出す地点。
今朝はそんな光景もなく、いつものよ

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