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走る老女

いつもの公園でウォーキングをしていた。一周約二キロの周回コースを歩いていると、時々、小さなできごとに出くわす。いくつかある公園の入口のうち、スロープ状になっていたり、僅かな階段が設けられている箇所がある。そのうちの一つ、ちょうどジョギングコースが左にカーブするあたりにある入口。時と場合によって、スマホやタブレットでモンスターを捕まえようと大人たちが湧き出す地点。
今朝はそんな光景もなく、いつものように閑散としていた。
ここを縄張りとして、いつも怒りながら落ち葉を掃いているおばさんもいなかった。そうか、今の時期、落ち葉がないから出番がないのか。
「まったく、公園をきれいにしているのはアタシだけだよ。みんな、なんにもやらない。偉そうに走ってるんじゃないよ。人の苦労を考えろ、バカヤロー」
こんな調子で本当に怒っている。そして大きなゴミ袋三つくらいの落ち葉を掃ききってまとめている。仕事は丁寧だが、おばさんの気持ちはいつもささくれだっている。おそらく公園の人ではない。公園の清掃を請け負っている人たちは、たいてい男性で、市場で活躍するターレのような、だがけっしてターレとは呼ばれていないだろう四輪の乗り物に清掃道具や集めた落ち葉を乗せて移動している。
おばちゃんは、近所の人感満載の雰囲気を醸し出している。そういえば、集めた落ち葉はどうしているのだろう。
新緑が深まりつつあるこの時期、そういうわけで怒りのおばちゃんはいない。
と思っていたら、寝癖だらけの白髪、化粧も何もなく、失った歯の分だけ頬が痩けている老女が、毎日着ているのかもしれないよれたブルーのトレーナーにグレーのスエット、ベージュの普段履きの靴という出で立ちで入口のスロープを下ってきた。
今朝はジョグではなく、歩いていたので仔細がよく見て取れた。黄土色のような肌には老いの斑が浮かび、進む方向を緊張感をもって見つめているようだった。彼女の足取りにはどこかこわばりがあって、膝の柔軟性がまったく感じられない。
スロープを下りきったあたりで、私との距離はたぶん三〜四メートルくらい。転ぶのではないか。ならば手を差し出すくらいのことはしようと身構えるが、老女は下ってきた勢いのまま、スタスタスタとジョギングコースを横切り、隣のサイクリングコースにまで差しかかろうとしていた。明らかに勢い余ってという様子。それほどのスロープでもないのだが、老女にとっては怖さを伴う下りだったのかもしれなかった。
ようやく勢いがおさまったとき、彼女の頬が一瞬緩んだような気もした。両足を肩幅より若干広くがに股風に開いていた老女は、止まったその地点で、機械式駐車場に車を入れるときに円盤の上に乗って車ごと回転するように、中心点を変えずにその場で右に向きを変えた。そうか、曲がりたくても曲がれなかったのか。そしてゆっくりとジョギングコースに移動し、歩き始めた。
いや、よく見ると、直角に曲げた肘を後ろに大きく引きながら、リズミカルに前に進んでいた。ウォーキング中の私が楽々と追い越してしまうスピードではあったが、それは明らかに“走って”いるのだった。その証拠に、追い越しざまにきちんとした息遣いが聞こえてきた。老女はとても気持ちよさそうだった。
まさか、その老女が落ち葉拾いの怒りのおばちゃんの夏の姿ではあるまいな。一瞬だけ、そんなことを考えた。

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