「量と質」

 「量よりも質が大事だ」と言う人がよく居るが、私は「量の中に質が生まれる可能性がある」と思っているので、そう言う人に反感を覚えてしまう。それと同じ様な事に「ヘビーユーザーが市場を壊す」との意見も見聞きするがライトユーザーにだけ売れれば良いのか。果たして何方の言い分が正しいのであろうか。

 娯楽産業、特に個人で作品を作り出す漫画や小説では、書店などに行けば山の様にある。何時も疑問に思うのがそれだけの作品数を網羅している評論家など居ないのではと。書店に並ぶ書籍の九割は読む必要の無い物ではと私は思っている。では、その九割は出版社にとっても必要の無い物であろうか。

 書籍の作品数は年々増加しているとネットニュースで見たが、それと反比例して一冊あたりの発行部数は減っていると言われている。出版社とて売れる作品だけあれば良いと思うのだが、それが出来ないのは何故だろうか。それは量産しないと産業として成り立たない為だと思う。

 此処で持論を持ち出すと「何が売れるか分からないのが娯楽産業の宿命である」と言う事になる。十年前のギャグ漫画が今でも通用するのかと些か疑問に感じてしまう。飽く迄も嗜好品として漫画やアニメ、小説は存在している。愛読者と言うと熱心なヘビーユーザーを想起させるが、単一の作品を購買するだけに留まらない存在として今はある。

 漫画やアニメのキャラクターグッズの蒐集家は今では珍しくないが、その為に本来の作品の質が落ちている場合が多々見られる。具体的に言えば作品としては終わっている物がキャラクターグッズの販売によって支えられている為に作者としては書き続けなくてはならない状況が発生している。それに伴って出版社も作品を終わらせる事が出来ない。

 そう考えると「量より質」ではなく「質よりも量」が大事なのであろう。ただ、私が始めに書いて置いた「量の中に質が生まれる可能性がある」と言う意見とは離反した事だと言いたいのだ。量産する事によって市場を満たす場合が結果として市場を壊すのが現状なのだが、本来は量によって購買者だけでなく生産者を育てる環境を作る必要がある。

 漫画の読み方が分からない人が増えている、とこれまたネットニュースで知った。その事自体は当たり前の様に私は思える。私の子供時分は書店での漫画の立ち読みで色々な作品と出会った。今は漫画本にはビニール袋に入れられて立ち読み出来ない状況であるが、結果としてヘビーユーザーを育てる環境が一つ失われたのだ。

 要は入り口の問題なのであろう。テレビアニメ化された漫画を大々的に宣伝する書店に存在意義はあるのかと苦言を吐く。エンターテイメントは産業構造が比較的単純に出来ているのが、自体の悪化を招いているのではと思えた。

 ヒット作の二次使用による副産物で今のエンターテイメント産業は成り立っている。「昔から漫画とアニメの同時展開はあった」との意見もあるのは承知している。ただし現在の娯楽産業の消費の速さは、この二十年で加速度を増している。その為に産業として基盤が崩壊しようとしていると私は思う。

 では、単純にライトユーザーを取り込めば良いのか、と言った話になるが、それが簡単に出来る様なら私が指摘するまでもなく誰かが実践しているであろう。売れる物と売れない物、その何方かしかない極端な市場として今のエンターテイメント業界はある。

 商品のブランド化が娯楽産業で通用しない。と言うと「アメリカの大手アニメーションスタジオがあるじゃないか」との意見もあるだろう。しかしアニメ好きの年配の方なら分かるが四十年程前は業績が悪化して、他のスタジオに乗っ取られそうになっていた時期がある。エンターテイメント作品には付いて回るブランド化ではあるが、それ故に一度評価が下がるとスタジオの経営破綻を引き起こす事態となる。

 量と質の話に戻すが個人であろうが集団で作品を作り出す場合でも、ある程度の量産性を維持出来なくては、質の高い作品は生まれないのである。それを消費者に伝えるために評論家は居るのだが、ネットによってその存在意義に疑問が出てきた。

 ネットで検索すれば多くの作品レビューを見る事が出来るが、飽く迄も匿名の一愛好家の意見でしかない。そんな意見を信じるほど私はエンターテイメント作品に疎い訳ではない。けれど多数意見としてのネットの力の前では、本当に良質な作品を届ける事が出来るのだろうか。

 ネットの口コミでヒットした作品もあるにはあるが、少なくとも私と同じレベルで語る事が出来る評論家でなければ信用出来ない。となると口コミとは自分と同レベルの人の意見を参考にしているだけなのだ。そんな状況では埋もれてしまう作品が出てきてしまうと危惧している。

 作者と作品、それを伝えるメディア。その関係性が従来と違ってきているのはネットを活用する者なら理解できると思う。その様な状況でいかに質の高い作品に日の目を当てるのか。また量産されるエンターテイメント作品の良否の選別は誰がするのか。それは過剰供給であるが故の問題でもある。評論家不在のエンターテイメント産業が何処に向かうのか、私は心配でならない。

 質の高い作品を見たいのは誰でも同じだが、何を以て判断するかは個人の裁量に委ねられている事にもう一度鑑みる必要があると言いたい。

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