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押上〜曳舟、鐘ヶ淵、隅田川東岸を歩いてみた(曳舟・東向島・鐘ヶ淵「荷風の記憶を探して」編)

旧知の人との再会は良いものだ。「また来ます」と押上猫庫を後にし、気分良く散策を再開した。次の目的地は「曳舟」。押上猫庫で「これから曳舟の方に歩いていく」と言ったらSさんが「曳舟は最近すごく発展してるよ。都会だよ」と。僕の中の曳舟のイメージは、下町の雑然とした、ちょっとディープなエリアだったので「都会」と言われても困惑する。困惑しながら歩いていたが、やがて目の前に姿を現した曳舟駅周辺は「都会」だった。

曳舟

曳舟駅近くには新しそうなマンションが何本も建ち並び、子供連れの若い夫婦がたくさん歩いていた。公園には子供たちが楽しそうに遊び、とても活気ある街に感じた。「都会」とは言わないまでも、わりと発展していて、当初のイメージは相当に覆った。「実際に来てみないとわからないものだな」そう思いながら東武曳舟駅と京成曳舟駅の間を抜けて国道6号線に向かった。

途中とても狭い小道を歩いていたら「いちやのどら」と言うお店があった。最近できたのか、真新しいオシャレなお店で、ケースには美味しそうなどら焼きが並んでいた。僕はどら焼きが好きなので買おうか買うまいか悩んだが、今回は断念した。まだ旅は始まったばかりだから。でも今度通ったら購入したい。ちなみに近くにある「いちや」の別店舗っぽい。

東向島

「いちやのどら」の小道を抜けると国道6号線に出る。やがて東向島の交差点にぶつかり、頭上には東武の線路が横切る。その高架の下に突如現れたのがこのSL機関車。どうやら東武博物館の展示の一つのようだ。向こう側を見ると「東武博物館」と書かれた建物がある。その横には東向島駅。

東向島駅を横目にもうしばらく国道6号線を歩いてみた。国道を渡って鐘ヶ淵方面に行くか、そのまま国道を真っ直ぐ進んで荒川を見に行くか。考えながら、先ほど押上猫庫の店主にもらったガイドに付いていた地図を見た。「あ、玉の井があった」。

玉の井(たまのい)は、戦前から1958年(昭和33年)の売春防止法施行まで、旧東京市向島区寺島町(現在の東京都墨田区東向島五丁目、東向島六丁目、墨田三丁目)に存在した私娼街である。永井荷風の小説『濹東綺譚』、滝田ゆうの漫画『寺島町奇譚』の舞台として知られる。
Wikipedia - 玉の井

永井荷風の『濹東綺譚』の舞台である玉の井。当時の賑わいを示すものは何か無いのかな?とキョロキョロしながら路地を歩いた。しかし歩けど歩けど普通の下町の風情が続くだけで、戦前には1,000人の女性が働いていたという名残りは感じられなかった。まぁ空襲でこの辺は焼けてしまったからしょうがないのかもしれないが。永井荷風の記憶も見つからなかった。そもそも永井荷風の作品を読んだことなかった...。

(呑んで唄える店はちらほら存在する)

鐘ヶ淵

旧玉の井地区を抜けると、そこはもう鐘ヶ淵。鐘ヶ淵はカネボウの創業地として知られている。カネボウは「鐘ヶ淵紡績」が由来だそうだ。鐘ヶ淵駅の西口は何差路がわからないくらい、まるで全ての道がここに通じているのではないかと錯覚するほどの「辻」になっている。曳舟や東向島と違いガチャガチャしてて、人の往来もそれなりにあった。

地図を見たら荒川がすぐそこにあるっぽいので荒川まで行ってみることにした。僕のInstagram見るとわかるのだが、どうやら僕はすぐに川に行ってしまう傾向があるようだ。なんでだろう。前世で何か川に関係してたのかな。

ちゃんとまじまじと荒川を見るのは初めてかもしれない。けっこう広い川だ。「荒」川という名前だが、川面はとても穏やか。たまたまかもしれないけど。

荒川も見たし、次は隅田川でも見に行こう。そう思って荒川の土手を歩いていたのだが、地図を見ると例の鐘ヶ淵の「辻」まで戻らないといけないっぽいので、さっき来た道を戻ることにした。やっぱりあの「辻」は全ての道路に通じてるのかもしれない...。下町のローマ。

【次回予告:隅田川「防災団地と夕暮れの浅草」編】

街歩きで生計をたてて生きていきたい...