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苦手だったものがキラリと光るとき

子どもの頃はチームプレイが苦手でした。

苦手だと認識したのは小学生の頃。少年野球に所属していたのですが、試合に負けてチームメンバーが泣き崩れている中、僕だけはニヤニヤしていたことがありました。なぜなら僕は3安打の猛打賞だったから。

その時に「あ。この世界は僕は向いてない」と諦めて、中学生からは個人種目の陸上競技に打ち込むことになります。
※そのあたりの背景はコチラから。

そんな僕が今では人と人をつなげる仕事をしたり、コミュニティの有用性をビジネスに活用したり、自分自身もコミュニティにドップリ浸かっていたりする。

わからないものです。

大学生の頃はインターネットが苦手でした。

その頃はようやく掲示板が出始めたばかり(メールは普通にあったな)。画面上に映る言葉のやりとりが寒々しく見えてしまって、僕はその“輪”には入れませんでした。

そんな僕がいまやwebマーケティングを生業とし、Twitterやらinstagram やらでフォローし合ったり声を掛け合ったりして新しい関係を紡いでいくことに喜びを感じていたりする。

わからないものです。

とは言え不思議です。苦手なものが強みになっている。

苦手を克服したか、と言われればそうとも言えるし、そうではないとも言える。いまだに大きなチームで動くときは一歩引いてしまうし、ネット上の過剰な言葉のやりとりを見るたびに胸がざわつきます(それがポジティブなやりとりでも)。

振り返って思うのは、あれだけの熱量を込めて高校まで続けた陸上競技を、大学に入ったときにあっさりと辞めてオールラウンドサークル(飲みサークル)に入ったことと、あんなに毛嫌いしていたインターネットだったのに、就活中はインターネットサービスの会社を選んでエントリーしていたこと。

今でもその理由はわからない。でもなんとなく「この苦手意識の理由を知りたい」「みんなの“当たり前”を知りたい」という好奇心が働いていたように思います。そこに僕の適当な性格が相まって苦手な世界に飛び込ませたのだと思っています。そして不思議と克服しようとは一切思わなかった。

世の中を見渡すと「得意なことで能力を伸ばそう」という風潮があります。でも、僕に限って言えば、得意なことだけが自分の「伸びしろ」にはならなかったようです。

僕の得意なことにスポーツがあります。でも数年前にゴルフを始めたき、運動神経に自信をもっていた僕が運動神経の悪そうな人たちに圧倒的なスコア差をつけられました。そのとき負けず嫌いが発動して練習に打ち込むよりも「もうわかんないからゴルフはいいや」って早々に諦めてやめてしまいました。

得意なことは理由もなくできてしまうから、いざどこかのタイミングでできなくなると「わからない」と慌てるんですよね。「得意なもの≒好きなもの」だったりすると、一気にその分野が嫌いになってしまうことさえある。

でも苦手なことは、苦手だからこそ多くの時間をかけて向き合うことになる。どうしたら良くなるんだろう、とか、そもそもなんでこれが苦手なんだろう、とか。

それを続けていると、自然とより多く、広く、深く「わかる」ことにつながっていく。結果として得意分野になる、なんてことも(僕というサンプルで見れば)あるんですよね。

昨日は成人式でした。新成人がこれを読んでいるとは思えないけれども、何か「これから」に向かっている人に言いたくなって今日はこのことについて書きました。

やりたいことがない、得意なものがないと悩んでいる方、たぶん慌てなくても大丈夫です。苦手なもの、やりたくないもの、そんなことでも、向き合ってさえいればいつか得意に変わり、キラリ光るかもしれないから。

ありがとうございます。 サポートって言葉、良いですね。応援でもあって救済でもある。いただいたサポートは、誰かを引き立てたたり護ったりすることにつながるモノ・コトに費やしていきます。そしてまたnoteでそのことについて書いていければと。